オーストリア散策エピソードNo.051-100 > No.090
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タンホイザーは宗教改革の前触れ
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タンホイザー
タンホイザー

「タンホイザー」といえばドイツの作曲家であるワーグナーのオペラが有名ですね。そのあらすじは以下のとおりです。

ヴァルトブルクの城で恒例の歌合戦が行われます。今回のお題は「愛の本質」。それまで連戦連勝を重ねていたタンホイザーは官能的な「熱愛」を歌い、親友でライバルのヴォルフラムは「純愛」を歌いました。で、その軍配はヴォルフラムのほうに上がります。これに納得のいかないタンホイザーは、ヴェーヌス山(Venusberg=ビーナスの山)の愛欲の女神のもとで経験した「ウフフ生活」のよさを告白。が、その山に行くことは大罪とされてましたから、人々から大ヒンシュクとなります。そして領主の指示により、タンホイザーはローマへ贖罪の旅に出ることになりました。

ところが、つらい旅の甲斐もなく、ローマ教皇の許しは得られませんでした。絶望したタンホイザーはヴェーヌス山に戻ろうとします。そのとき親友のヴォルフラムはタンホイザーに恋人のエリザベトのことを思い出させ、間一髪のところで彼を引きとめました。が、そのエリザベトは、自分の命と引き換えにタンホイザーの罪を許してもらうことで天に召されます。そしてタンホイザーも彼女の亡骸の上で息絶えました。


まあ、この世ではとんでもないことになりましたが、とりあえず地獄行きだけは免れたし、タンホイザーとエリザベトはあの世で一緒の場所にいられるのだから、結末はそこそこよしといういうことにしておきまでょう。

ところで、このオペラの主人公であるタンホイザーのモデルとなった人物は、実をいうとバーベンベルク家時代のオーストリアで宮廷に仕えていたことのある騎士のミンネゼンガー(恋愛詩人)なんですよ。その名はダンフーザー(1200-1268)といって、これを現代のドイツ語でいうとタンホイザーになります。日本語にするとたぶん「樅の木の家の住民」という意味ですから、以外に素朴な名前ですね。

ミンネゼンガーの「ミンネ」とは、「純愛(minne)」を意味する中世のドイツ語です。しかし、タンホイザーの詩は異色で、むしろ官能的な熱愛(Liebe=リーベ、中世のドイツ語ではliabe=リアベ)を歌っていました。いわば、いにしえのオーストリア版の与謝野晶子ですね。相当インパクトがあったことでしょう。

実在したタンホイザーがヴェーヌス山に行ったとか、ローマに贖罪の旅に出たという記録はありません。ドイツ語圏の中ならけっこう旅をしていましたが。また、ヴェーヌス山の伝説は元々イタリアに起源をもつお話しです。これがゴチャゴチャになったのは、ドイツ語圏の沼沢地(Venne)にあった「沼池の徒(Vennesleute)」の伝承が「愛欲の徒(Venusleute)と似た綴りのせいだったためという説もあります。

いずれにしても、タンホイザー自身にとってこのお話しは濡れ衣としか言いようがなさそうですね。お気の毒です。

ところで、ワーグナーのオペラのタンホイザーのストーリーは、オリジナルのままではありません。そして、このお話しには、その土地と時代の事情に応じてたくさんのバリエーションがあります。

文献として残る最古のタンホイザーのお話しは、15世紀半ばの北ドイツ(口承はもっと古いはず)で書かれています。1515年にはこれがもっと南に下がり、ドイツのニュルンベルクでも印刷されています。これ、よく考えると宗教改革の前夜にあたる時期ですね。そう、実を言うとタンホイザーのお話しはバチカンのローマ教皇に象徴されるカトリック教会の権力対する当てつけという一面があったのです。教皇に許されなかったタンホイザーを神が許すというところがそれ。1500年ごろに書かれたタンホイザーのお話には、こんな文句まで入ってますよ。

(誤った判決をした)教皇ウルバン4世は 永久の破滅に沈んだぞ

ドイツと同様に反カトリック勢力が意気盛んだったスイスになると、これはいっそう過激なストーリーになってきます。なんでも、「山に篭ったタンホイザーは石のテーブルに着き、その髭が伸びてテーブルを3周したときに世界は最後の審判の時を迎える」のだそうです。ザルツブルクのウンタースベルクで眠るカール大帝の伝説と完全に混同してますね。元罪人がゲルマン民族の英雄と肩を並べるところまで格上げとは、すごい出世です。

一方、オーストリアに伝わるタンホイザーは全然過激じゃありません。なにしろ600年にわたってこの地を治めたハプスブルク家はカトリックの守護役として名うての存在でしたから、あまり無茶は書けなかったのでしょう。その代わり、タンホイザーの罪に対する追求もだいぶ手ぬるくなってますよ。たとえばケルンテン州のフリーザッハの近くに残るお話しの場合、タンホイザーは何の罪で贖罪を求めているのかがらうやむやになってるし、教皇に「ダメ」と言われたあともヴェーヌス山には寄り付かず、神様から「99人のいい人より1人の悔い改めた人のほうが偉い」と褒められて天に召されています。もちろん教皇もお咎めなしで、みんながそれなりにハッピーというストーリーです。

ドイツとスイスの人々は、タンホイザーのお話しにある意味で正義を託しました。一方、オーストリアの人々は「罪人にも名誉回復のチャンスをちょうだい」とおねだりしながらがらも、結局事をなあなあで済ませました。そこには時代や社会の背景による違いもあったのでしょうけど、なんだかお国柄も出ているという気がしますね。

ついでながら、オーストリアのタンホイザー伝説の中には、主人公が騎士ではなく普通の人だったり、時には名前さえないというパターンもあります。つまり、このお話しを通じて一般の人たちはタンホイザーの罪を自分の罪と重ね合わせることができるようになっているのです。で、罪のない人なんてほとんどいませんね。だから話しの結末が甘くなるという一面もあるようです。

一方、北ドイツやスイスに伝わるお話しのほうは、罪をやらかすタンホイザーもも判決誤る教皇も自分ではない第三者ですから、どっちがひどい目にあっても他人事です。でもこれを見ていると、ある意味で「正義」というものは厳しいばかりで独善的なところが強いということを感じずにはいられません。


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