オーストリア散策エピソードNo.051-100 > No.093
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トルコ行進曲よもやま話し
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オスマントルコの古い軍楽隊
オスマントルコの古い軍楽隊

オスマントルコによる2度のウィーン包囲(1529年、1683年)という大迷惑のずっとあと、オーストリアではモーツァルトやベートーベンが「トルコ行進曲」というのを作曲していますね。もちろんこれらはオスマントルコのスルタンに頼まれて作った曲じゃありません。ましてや最初から「トルコ行進曲」なんていう題名がついていたわけでもないようです。なんでも、トルコの軍楽隊があまりにも印象深かったので、その楽風を作品に取り入れた結果なのだそうです。もっとも、私の耳にはあまりトルコ風の響きという感じなどしませんけど。

実はこの時代、ほかにもトルコ風のメロディーをつけた(あるいはつけたつもり)の曲がたくさんあります。ベートーベンの第9交響曲の楽譜には「アッラ トゥルカ(alla turca=トルコ風に)」と書かれた部分があるし、ハイドンだって負けずにこの「アッラ トゥルカ」を採用してます。モーツァルトに至っては、「後宮からの誘拐」というトルコそのものの大奥を舞台にしたオペラまで作ってますね。

オスマントルコは世界で初めて(欧州より300年くらい年から)軍楽隊らしい軍楽隊をもった国でした。その軍楽隊の原型については、結婚式などのお祝いで演奏する楽団に起源をもつとか、紀元前の中央アジアにいた楽器をもつ兵士にあるとか、好き放題でいろいろな説があります。要するにわからないということでしょう。

トルコの軍楽隊の基本編成はズルナ(チャルメラみたいな楽器)に太鼓やシンバルといった打楽器が加わったものですが、その打楽器が3拍打って1拍休むリズムにはなかなか凄みもあります。オスマントルコのウィーン包囲のとき、このエキゾチックながら不気味に景気のいい音楽を撒き散らしつつ近づいてくる異教徒の軍に、オーストリアの人々の恐怖はさぞかし増幅されたことでしょう。そしてのちにそのトルコ風のリズムが人気を博したところを見ると、イスラム軍が去ってもう来襲の気配がなくなれば結局「喉元すぎて」となる、呑気なオーストリア気質も垣間見ることができます。

ところでオスマントルコの軍楽隊の調べは戦争のときだけでなく、スルタンや政府の高官などが登場するときにも演奏されていました。なんだかプロレス選手がリングに上がるときみたいですね。で、オーストリアの王侯貴族はそれを見て「おおーっ、カッコイイ!」と思っていたそうです。となると、身分の高い人たちに接する機会の多かったモーツァルトやベートーベンが、「カッコイイなら商売の作曲に取り入れよう!」と考えるのも自然ななりゆきですね。一説によるとモーツァルトが作曲したK331の「トルコ行進曲」と呼ばれる部分を演奏するときは、雰囲気を醸し出すために太鼓の音も加えられていたといいます。なんと逞しい商魂でしょう。

余談ですが、1871年だか1872年にウィーンで株が暴落したとき、ヨハンシュトラウス2世はこれをネタに「暴落ポルカ」という陽気な曲を作ったそうです。異教徒軍襲来の恐怖だろうが株暴落の大損だろうが最後は何事もなかったかのように音楽でハッピーエンドに持ち込むところは、さすがオーストリア。精神衛生に大変よさそうですね。


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