オーストリア散策エピソードNo.051-100 > No.089
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髭の聖女キュマニスの伝説
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聖十字架のキリスト像 (伊・ルッカ)

オーストリアのケルンテン州にゲルラモースというひなびた町があります。その町にはドラゴン退治の英雄にちなんだ「聖ゲオルク教会」という小さな聖堂があって、その教会の入り口には十字架にかかった聖人の像が立っています。その名は「聖キュマニス」。まあそこまではどこにでもあるお話しなのですが、実はこの像の人物、頭に王冠をしてて髭もあるのに、首には真珠の首飾りをしていて衣服も女性風。知らない人が見たらオカマの聖人と間違えそうです。

ゲルラモースに伝わる伝説によると、この像の人はノイベルクに住んでいたガラの悪い騎士の娘なんだそうです。本人は親に全然似ず、優しく美しく信心深い女性でしたが。で、ある日私利私欲を目論む父親は、娘を自分と同じくらい粗野で極悪なシュトゥーベンベルクの領主に嫁がせようとしました。が、娘は一生独身で修道女になってもいいからその縁談は勘弁してほしいと懇願しました。当然の心境ですね。

ところが、下品で欲深で利己主義でウスラトンカチでモモンガーでウンコタレの父親がそんな願いを聞き入れるわけはありません。そして婚礼の前日、困り果てた娘は神様に「どうぞ私をブスにしてください!」とお祈りをしました。するとどうでしょう、いきなり娘に髭が生えてくるではありませんか!で、翌日の婚礼の朝、髭おやじになった娘を見て人々は阿鼻叫喚、シュトゥーベンベルクの領主も恐れをなして逃げ出し、縁談は破棄となりました。

しかし、神様はもう少しマシな解決策を考えつかなかったんでしょうか?私だったら、娘を化け物にするより、父親と領主をねずみにでも変えてネコに食わせますけど。

その後この娘は魔女の疑いをかけられ、父親である悪徳騎士の判決により火あぶりの刑にされてしまいました。ところが、騎士の召使いやノイベルクの領民たちには、優しく慈悲深かったこの娘が魔女だなんて信じられません。そこで人々は無実の娘を偲んで彼女の像を作り、生前と同じ衣服と金の靴をその身につけてあげました。そしていつしかこの像は領民の信仰を集めるようになってゆきます。ちなみに、この聖女に与えられた聖キュマニスという名は、ドイツ語で「苦しみ」を意味するクンマー(Kummer)からきています。自分たちの苦しみを理解してくれる優しい聖女として、人々の信仰の対象になったんですね。

この伝説には続きがあります。ある日貧乏な旅の楽師がこの像の前を通りかかって自分の生活の苦しさを訴えていたら、キュマニスの像は右足に履いていた金の靴をポンと投げてよこしました。で、喜んだ楽師はこれを村の人に見せたのですが、村の人々は「敬愛する聖女様の靴をかっぱらうとは太い野郎だ!」と怒ってこの楽師を逮捕、死刑の判決を言い渡してしまいました。神様ならここで見捨てるところですね。しかし、聖キュマニスは違いました。

刑の執行の前に、楽師は最後の願いとして聖キュマニスの像の前でヴァイオリンが弾きたいといい、これを許されました。そして彼が曲を奏でると、キュマニスの像は頭を動かして頷き、左足に履いていた金の靴もポンと脱いで与えました。これを見た村人たちはその像にあの優しかった娘の魂が乗り移っていたことを知り、歓喜しました。楽師も濡れ衣が晴れて釈放されて逆に贈り物をたくさんもらったそうですよ。

ところで、聖キュマニスの伝説はオーストリアだけじゃなく、ドイツ、ポーランド、ハンガリー、チェコなどにも名前を変えて広く伝わっており、実はグリムの童話にも出てきます。でも、女の子に髭というのはどこかムリのある話しですね。そこでちょっと調べてみたところ、やっぱり元々の像の人物は男性でした。

聖キュマニスの伝説は、このページの上にあるイタリア・ルッカ(ピサの近く)の「聖十字架にかかったキリストの像」(別名は聖なる顔の像=Volt Santo)と、15世紀のポルトガルにあった「異教徒の王に嫁ぐことを拒んだキリスト教徒の王女」の伝説が同一視されて各国に伝わったお話しのようです。ルッカの聖十字架のキリストが長いスカートのようなものを履いていたので、これが誤解の元になったみたいですよ。

さらに、ポルトガルの伝説も古代ギリシアから伝わったものと見られていて、そのギリシアもどうやらメソポタミアのどこかからこのお話しを輸入したようです。太古のオリエントからオーストリアの山間僻地までよく伝わったものです。いつの日にか、楔形文字で書かれた聖キュマニスの原典が発見されるかも知れませんね。そういえば、オーストリアには浦島太郎とよく似た「ウンタースベルクの洞穴」の伝説がありますけど、これも実は同じルーツという可能性だってありますよ。

それと、オーストリアの人々に苦情がひとつ。この伝説はキュマニスがハッピーエンドを迎えられるように書き替えるべきです。私は個人的に優しいお姉さん(よそのお姉さんですが)に大切にされて育ちましたので、キュマニスのような人が不幸になる伝説には激しく抗議したいところです。なんであの悪徳騎士は無罪放免なのか、納得できません。いくら伝説でも、ほどがあるでしょう!どうしても書き替えないのなら、私が「オーストリア散策」で「新作・聖女キュマニス」を発表し、ついでにそれをドイツ語、英語、イタリア語、フランス語にも訳して世界中に発信しますよ。


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