オーストリア散策エピソードNo.051-100 > No.080
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オバカな伯爵のありがたい贈り物
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W.A. モーツァルト
W. A. モーツァルト

映画「アマデウス」に、モーツァルトが黒いコスチュームとマスクのブキミな使いの男から秘密の作曲依頼を受ける場面がありましたね。注文の曲はレクイエム(鎮魂曲)、本当の依頼主は名を明かせないということで。これがモーツァルトの亡くなった1791年と重なることから、まるで依頼主は死神であるかのようにおどろおどろしく描かれていました。

ところが!この依頼の真相はミステリアスなどころか、むしろ笑えるシロモノだったということがあとでバレています。実はこの曲、1791年2月に奥方を亡くしたフランツ・フォン・ヴァルゼック-シュトゥーパッハ伯爵(Franz von Walsegg-Stuppach)が注文したものでした。まあ、亡き妻のためにレクイエムを捧げるのはマトモなことなので、別に問題はありません。ただ、この裕福な伯爵はちょっとけしからぬことを考えていました。それは、モーツァルトに作らせたレクイエムを自分の作品として発表しようと企んでいたことです。

しかし、あの黒装束とマスクの使者はもう少し普通の恰好をできなかったんでしょうか?逆に目立ってしょうがないという気がします。それと、よりによってモーツァルトに代作を依頼するとはなんという図太さ。夏休みの宿題の絵をピカソに描かせるのと同じくらい大胆な発想ですよ。

この異様な演出のオバカなレクイエム依頼企画をモーツァルトの亡くなるちょうどその年にやったことは、伯爵にとってまさに一生の不覚となりました。あまりに出来すぎた展開とタイミングが世間の野次馬根性をおびき寄せ、藪から蛇をつつくことになったからです。そして、ゴキブリが1匹見つかれば20匹いると言われるのと同様、1回作曲者詐称のバレた人がほかにもしているはずと疑われるのは当然のこと。で、探すと出るわ出るわ。おかげで伯爵は、カネにモノを言わせてインチキ作曲をあれこれ発表していた恥知らずと歴史に名をとどめるハメになりました。自業自得とはいえ、ちょっとカワイソー。

ところで、あのレクイエムは完全にモーツァルトの作品かというと、そういうわけでもありません。本人は少し作っただけで亡くなっていますから。で、前金を半分もらっていたので途中で放棄するわけにもいかず、妻のコンスタンツェがモーツァルトの弟子だったフランツ・クサーファー・ズュースマイヤー(Franz Xafer Suessmayr)に続きを作らせ、どうにかこれをヴァルゼック-シュトゥーパッハ伯爵に納品したといいます。そして伯爵は1792年12月14日にウィーンの教会で、自分の指揮によりこの曲をめでたく演奏しました。もちろん、「吾輩の作曲じゃー!」という触れ込みで。

なお、ズュースマイヤーも負けずに「レクイエムの大半は我が作品」と主張していましたが、その後彼の書いた部分はモーツァルトらしくないところがあるということで、さら別な人たちに書き替えられています。ホントに寄ってたかってやり放題ですね。

おしまいに、フランツ・フォン・ヴァルゼック-シュトゥーパッハ伯爵について一言。私はこの人物にどこか憎めないものを感じます。いくらインチキ作曲とはいえ、伯爵はそれを盗んできたのではなく、ちゃんと買ってきてますから。それに、例のレクイエムではモーツァルトが100ドゥカーテンを吹っかけてきたそうですが、伯爵にはこれを値切ったフシが見られません。よいものにはそれなりの報酬を払うという態度は、とても立派だと思います。また、この伯爵は作曲でのし上がろうなんていう野心など持たず、どうやら純粋に音楽が好きだったようです。それで、ちょっと名曲のオーナーになってみたいという微笑ましい感情に至り、人の曲をこっそり購入したのでしょう。

伯爵が100ドゥカーテンを気前よく払わなければ、モーツァルトはレクイエムを作曲しませんでした。この費用は今の金額に換算すると200万円か300万円になるそうですが、現在の私たちはそれを2,000円か3,000円のCDで聴けます。後世にいい贈り物をしてもらったとは思いませんか?歴史の記述家たちは、フランツ・フォン・ヴァルゼック-シュトゥーパッハ伯爵のことをあまりバカにしてはいけません。


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