オーストリア散策エピソードNo.051-100 > No.074
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オーストリア人もお笑いが好き
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ハンス・ヴルスト
シュトラニツキーの演じるハンス・ヴルスト

日本ではお笑いタレントというのがいつも大人気ですが、実はオーストリアの人もそういうのが大好きです。私が留学していた頃見たテレビでも、昔の「8時だよ、全員集合!」とか「ゲバゲバ90分」と大差ない番組がありました。しょうがないですね。

オーストリアのお笑いのキャラクターとして最も有名なのは、「ハンス・ヴルスト(Hans Wurst)」です。ハンスというのはヨハンという名の愛称で、ヴルストはソーセージという意味。よって、この名前を日本語でいうなら、「ソーセージ太郎どん」とでも表現すればピッタリかと思います。名前を聞いただけでロクでもないことがすぐわかりますね。

ハンス・ヴルストが人気を博したのは18世紀初めのことです。1710年にウィーンでケルントナー・トーア劇場がオープンし、最初にイタリア人の一座が出たもののこれは不発。この一座を推していたのはイタリア語が流行していた宮廷勢力だというのですが、市民にはそんな外国語の喜劇なんてやっぱりわからなかったんですね。で、この劇場はあえなく経営不振に陥りました。そこで数ヵ月後には市当局側の推すシュトラニツキー一座がここに登場し、ハンス・ヴルストのお笑い演劇をします。

シュトラニツキーというのは1705年ごろウィーンに現れた流れ者の芸人で、そこらの広場に粗末な舞台を作って道化芝居などをしては市民から苦情を受けてそこを追い出されたトホホな人です。ただし、ウィーンの人々が苦情を言ったのは自分の家の近くが騒々しくなることについてのみであって、シュトラニツキーの喜劇そのものはみんな大好きでした。人気があるからこそ、観客が増えて騒々しくなるわけですから。で、楽しみは失いたくないから、誰の迷惑にもならないところで出し物を続けてほしいということになったわけです。つまり、新しくできた劇場はシュトラニツキーの幸せな収容所という性格を持っていました。

こうして市民の推す一座が演じて活況になった劇場は、誇らしげに「名実伴った市立劇場」ということになりました。でも、そこでドリフターズみたいなのばかり演じられてるところは、あまり威張れたものじゃありませんけどね。

さて、シュトラニツキーの演じたハンス・ヴルストとはザルツブルク出身の田舎者という設定で、元々の職業は豚殺し(だからソーセージという苗字!)でしたが、劇の中では足手まといの従僕という役でよく登場しています。で、その時は主人のライバルとその従者も出てきて、ハンス・ヴルストは敵の従者と互いに悪態を突いたりドジを踏んだりといったドタバタの即興喜劇をします。そういえば、NHK教育放送で平日の夕方放送している忍タマ乱太郎では、信兵衛とおしげちゃんが男の子の組と女の子の組のお荷物になってますが、このへんの設定はなんだかハンス・ヴルストの喜劇と大差ありませんね。

ところで、ハンス・ヴルストの出し物には歌と音楽もよく盛り込まれていたそうです。で、これがドイツのジンクシュピール(Singspiel=歌謡劇)につながるのだとか。さらに、ジンクシュピールはイタリアオペラに対抗するドイツオペラにつながったとされています。これは確かに事実と思いますよ。モーツァルトのオペラに「魔笛」というのがありますね。あの作品に出てくるパパゲーノは主人公の従者という役だし、ドジばかり踏んでるところもハンス・ヴルストと同じです。今でこそオペラは高尚な芸術という扱いを受けてますけど、それができるまでの経緯を考えると、なんだかマヌケですね。一度モーツァルトのオペラとかウィーンやパリのオペレッタの台本を読んでみて下さい。ストーリーを見たらひどいもんですから。初演当時の人々から見たら芸術性なんてどうでもよくて、払った代金に見合うだけ楽しめるかどうかのほうが重要だったのでしょう。この調子なら、今の日本のお笑い芸人だって、数百年後には偉大な芸術を創造した人たちとして世界に紹介されるかも知れませんね。


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