オーストリア散策エピソードNo.051-100 > No.065
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尖塔が1本だけのシュテファン大聖堂
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聖シュテファン大聖堂
聖シュテファン大聖堂(ウィーン)

私は学生の頃、ドイツ人の先生から「ヨーロッパのクリスマスのイメージを絵にしなさい」という宿題を出されました。それで、先生の故郷に近いケルンの大聖堂に雪の降る風景を描こうと思ったのですが、ギリギリまで何も手をつけていなかったので、2本ある尖塔のうち片側だけ描いた絵を提出するハメになりました。するとその絵を見た先生は「あー、この教会、懐かしい!」と一言。で、ドイツを思い出してくれたのかな、と思ったら、先生はさらに続けて、「これはシュテファン大聖堂ですね。ウィーンに行ったときに見ました。」と自信満々に言ってました。そう、シュテファン教会には尖塔が1本しかなかったのです。もちろんこのとき私は、「ケルン大聖堂の描き損ないです」なんて口が裂けても言えませんでした。

さてそのシュテファン大聖堂ですが、これはウィーンのシンボルとして、地元ではシュテッフェル(Steffel=シュテちゃんという意味)という愛称で親しまれています。元々ここには12世紀にバーベンベルク家の辺境伯によって造られた教会(2度の火災を経て1263年に再建)がありました。聖堂の名前はキリスト教の殉教者ステパノ(ドイツ名はシュテファン)に因んでつけられたものです。その後、1350年に建設公と言われたハプスブルク家の大公ルドルフ4世が旧教会の大半をぶっ壊し、大規模な工事を開始。ボヘミヤ王カレル4世に対抗して、巨大な聖堂の建築に着手しました。もっとも、ボヘミア王のほうはルドルフ4世を全然相手にしてなかったみたいですが。例の1本だけの尖塔は1350年から83年もかけて建てられたもので、高さは137mもあります。もう1本の尖塔も作る気だけはあったようですが、トルコ軍の来襲に備えてウィーン市を囲む壁のほうにお金を使ったら、資金が足りなくなってしまいました。それで1,490年に見切り発車で屋根をつける作業が始まり、1511年に工事は完了しました。

ところで、この尖塔が1本だけということについては、ひとつの伝説があります。昔、シュテファン大聖堂の設計を任された若い建築家のお話しです。この人は大聖堂の建設中、どうしてもいいプランが浮かんでこないといって悩みます。作り始めてから迷うとは、呑気な建築家という気もしますが。するとある日不思議な老人が現れて、この若者に知恵を授けようと言いました。ただし、仕事中には何があっても人と口をきかないという条件付きで。もちろん若き建築家はその約束に従います。そして、シュテファン大聖堂の建築は順調に進んでゆきました。

しかしある日、建設中の大聖堂の下を建築家の恋人が通りかかります。これを見て気の緩んだ建築家は、思わずその娘の名を呼んでしまいました。すると足場の木がひとつ音をたてて下に落ち、それとともに大聖堂の設計アイデアが建築家の脳裏からすべて消え去ってしまいました。こうして建築家はもう1本の尖塔を作ることができなくなり、シュテファン教会は今の姿のまま工事を終えたのだそうです。金欠で工事中止というのよりも、こっちのほうが詩的でいいですね。

しかし、この伝説が出来たのはだいぶ昔の話しです。建設の続きはいったいいつ行うんでしょうね?オーストリアの友人にそのことを訊いたら、とても面白い答えをしていました。「もう1本の尖塔は、実をいうともう出来ているんだよ。人間の目には見えないけれど。」だそうです。そういえば、ウィーン生まれのシューベルトにも「未完成交響曲」という作品がありますね。この人、ほかにも5つほど作りかけの曲(リストはこちら)を隠してますよ。これも実は完成していて、未完とされる部分は人の耳に聞こえないだけなんでしょうか?


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