オーストリア散策エピソードNo.051-100 > No.064
前に戻る


オーストリア外交の鬼門、それは米国
line


キルヒシュレーガー大統領
R.キルヒシュレーガー

聞くところによると、ウィーンフィルというのは日本にはよくくるけど、アメリカにはほとんど行かないのだそうです。ハプスブルク家600年の歴史を誇る国ですから、1,000年以上続く天皇家のある日本のほうが好きなんでしょうか?アメリカには皇帝も王様もいませんから。これ、冗談じゃなくて、アジアじゃ嫌われる天皇制も、オーストリアでは意外に敬意を払ってもらえるんですよ。

さて、そのウィーンフィルは1984年2月、珍しくもアメリカで演奏旅行を行っています。実はこの年、オーストリアのルドルフ・キルヒシュレーガー大統領が、同国の元首としては戦後初の米国公式訪問をすることになっていたので、その前に「オーストリアの高貴な文化を見よ!」という先制パンチの意味でウィーンフィルを送り込んだようです。涙ぐましい努力という気もしますが。というのも、何もわかってないアメリカ側は、「息抜きに楽しいワルツでもよろしく!」なんてくだけたことを言ってる始末でしたから。もちろんウィーンフィルはそのことばを断固拒絶、ガチガチのクラシック音楽でプログラムを固めて応戦しました。

オーストリアは第1次世界大戦前まで、曲がりなりにも欧州の老大国としてそれなりの存在感をもっていた国です。そして第2次世界大戦後は、鉄のカーテンのこちら側とあちら側をとりもつ窓口として、世界の政治に貢献してきたという自負を抱いていました。そこに格調高いウィーンフィルですから、キルヒシュレーガー大統領も自信をもってレーガン大統領に会いに行ったことでしょう。

しかし、その自信は初っ端から打ち砕かれることに。まず、レーガン大統領はサービスのつもりでサウンド・オブ・ミュージックの歌を口ずさんだのですが、これはオーストリアの人から見たら単なる米国作の娯楽映画の歌。キルヒシュレーガーはちょっと傷ついてしまいました。このことは後日オーストリア記者団からアメリカ記者団を通じてレーガンに伝えられたのですが、当人はどこがいけないのか見当もつかずキョトンとしていたそうですよ。トホホ。

さらにレーガンは心からの善意を込めて、キルヒシュレーガーのプライドにダメ押しの一撃を食らわします。キルヒシュレーガーの一行がロサンゼルスを訪れたときに、なんとチロリアンハットに半ズボンの田舎っぽい一団が演奏するアルプス民謡で出迎えたのです。この事態を日本人にもわかりやすくご説明しましょう。もし当時の中曽根首相がロサンゼルスに行ったとしましょう。そのとき、レーガン大統領の指令を受けた一団が「めで〜ため〜で〜た〜の〜」と陽気に花笠音頭を踊りながら出迎え、会談では「ゲイシャ、フジヤマ、ビューティフル〜、うひょうひょ、ウッキー!」なんて話題ばかりだったら、中曽根首相どう思ったでしょう。これと同じくらいのインパクトを、キルヒシュレーガー大統領はアメリカで受けたわけです。すごい笑い事ですよ。

しかし、レーガンが大統領のときを狙って米国を公式初訪問するなんてオーストリアもオーストリアです。もう少し教養のある人が大統領になるまで待てなかったのでしょうか?アメリカ側ばかりを責めることはできませんね。

ちなみに、当時のオーストリア首相はブルノ・クライスキーというインテリでした。この人はユダヤ系だったのですが、非常に優れたバランス感覚をもち、過激なユダヤのシオニズム運動には批判的な立場をとる賢さをもっていました。そして親アラブ政策をとり、冷戦時代の東西だけでなく、西側諸国とアラブの仲介役まで努めていました。この人がキルヒシュレーガー大統領をこのタイミングでアメリカに送り込んだとは、とても考えられません。ということは、もしかしたら当時外務大臣だったアンドレ・モック氏がこの墓穴を掘ったのでしょうか?そういえばこの前の年(1983年)にオーストリアで総選挙があったのですが、そのとき社会民主党のポスターに「モックと共に!」とあるのを見て、現地の人が「アホといっしょに何をするんだ?」と言ってました。やっぱりモック氏は相当ドジな人だったようです。

キルヒシュレーガー大統領のあとには、もっとひどいことも起こりました。今度の御難に遭ったのは、元国連事務総長も勤めたクルト・ワルトハイム大統領です。この人、大統領選挙のときに元ナチスの将校だったという疑惑が出て、一大センセーションの渦中に放り込まれました。それで一時は落選しそうになったのですが、各国のユダヤ人団体が反オーストリア的なキャンペーンを派手に始めたことが逆効果を招き、意地になったオーストリア人がキレたおかげで当選してしまいました。で、ユダヤ人団体に弱いアメリカは、「ワルトハイム大統領の入国拒否」を発表。オーストリアの面子は丸潰れとなりました。かつてのハプスブルク帝国も栄光も、アメリカでは空振りばかりですね。

私は思うのですが、もしキッシンジャー氏がアメリカ大統領だったら、キルヒシュレーガー大統領も快適な外交ができたことでしょうね。その後ウィーンフィルはちゃんとアメリカに行ってるんでしょうか?この気位の高いオーケストラ、日本には今年も11月に来ていたようですが。


line

前に戻る