オーストリア散策エピソードNo.051-100 > No.055
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小鹿のバンビはオーストリア生まれ
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フェリックス・ザルデン
フェリックス・ザルデン

ウォルト・ディズニーといえば、アメリカを代表するアニメキャラクターで有名ですね。しかし、その中のひとつである「小鹿のバンビ」がオーストリア生まれだということは、ご存知でしたか?

バンビの原作の著者はフェリックス・ザルデンという人です。本名はジークムント・ザルツマンで、日本語にすれば「塩夫勝口」という変な名前ですが。この名前はドイツ系ですが、フェリックス本人は1869年6月9日にハンガリーのブダペストで生まれたユダヤ人でした。

フェリックスが生まれて3週間後、この家族はブダペストからウィーンに引越しました。理由は、この帝都で1867年にユダヤ人に市民権を与えることがOKになっていたこと。おかげで多くのユダヤ人がウィーンを目指して移動してきたといいます。記録によると、1860年におけるウィーンのユダヤ人は約6千人で、これが1870年には4万人にまで増え、世紀末まにはさらに数倍に膨れ上がったそうですよ。

さて、せっかくウィーンにはきたものの、いくら市民権が得られると言っても仕事までそう易々と見つかるものではありません。おかげでザルテンは貧乏をせざるを得ず、まともな学校教育もほとんど受けられませんでした。しかしこの人、どうやらとても頭がよかったようですね。フェリックスは従兄弟の紹介してくれた保険事務所でのちょっとした仕事の傍で、新聞社向けに詩、エッセー、短編の物語などを書き始めます。そしていつしか、これが彼の本職となってゆきました。

1902年、フェリックスは女優のオッティリエ・メッツルと結婚。この頃になると彼の仕事はだいぶ好調になっていたようで、ウィーンの「新自由新聞 (Neue Freie Presse)」に記事を書くと同時に、「ベルリン毎朝新聞 (Berliner Morgenpost)」の編集役も務め、さらに「ウィーン一般新聞 (Wiener Allgemeine Zeitung)」向けに劇場評論もしていました。このほか、劇場やその上演作に関する本も出版していたそうです。しかし、学校にロクに行ってなかったのに、よくここまで大した仕事ができますね。感心です。

フェリックの快進撃はその後も続きます。彼は「若きウィーン」という芸術家の集まりの一員となり、カフェーハウス文化の一翼を担うようになりました。そのメンバーにはオペレッタのフランツ・レハールや作家のフーゴー・フォン・ホフマンスタール、シオニストのテオドール・ヘルツルなどもいたといいます。この雰囲気だと、子供向けにバンビの本なんか書きそうにありませんね。むしろ政治運動にでも走りそうですよ。

ところが、ここでちょっと流れが変わってきます。フェリックスが小説を書き始めたのは1910年でした。第1次世界大戦のちょっと前ですね。そしてこの年は、反ユダヤのウィーン市長、カール・ルエガーが亡くなった年でもあります。さて、その第1次世界大戦の終わったあと、ヨーロッパにおけるユダヤ人への反感は増幅されるばかり。そんな中、ザルデンはノホホンと突如動物を主人公にした作品を執筆、1923年に「バンビ」を発表しました。森の自然の美しさや厳しさと恐ろしいハンターを相手に元気に生きてゆく小鹿のお話しです。ついでながら、「バンビ」の語源はというのはイタリア語で「子供」を意味するbambinoです。

この「バンビ」はしっかり人気を博したようで、1928年には英語にも翻訳されました。で、その成功以降、ザルテンは「15羽のうさき(1929年)」、「皇帝の馬フロリアン(1933年)」など、動物物語を次々と書きます。また、ドイツの作家トーマス・マンは1937年に「バンビ」をウィールト・ディズニーに紹介。ディズニーはこれを5年かけてアニメ化し、1942年8月8日にまずロンドンで上映、次いで8月13日に米国でも上映しました。その結果ですが、一部には「内容が感傷的すぎる」という批評とか、「鹿狩を否定するのはとんでもない」というハンター協会の抗議もあったようですが、良識ある大多数の観客はこの作品を好ましいものと認めたようですね。ただ、ザルテン本人は1933年に「バンビ」の著作権を売却していましたから、その後このアニメの大ヒットによる利益には、それほどあずかれなかったそうです。でも、本業が繁盛していたのだからいいでしょう。

なお、その後のザルデンですが、実は「ガラスの夜」と呼ばれる1938年9月9日のユダヤ人街襲撃事件の難を逃れて妻とともにスイスのチーリヒに逃亡、ドイツ第三帝国の崩壊を見届けたあと、1945年10月8日にその地で76歳の天寿をまっとうしています。とりあえずめでたしでいいでしょう。

しかし、ジャーナリストから動物物語の作家への転身って、なかなか意外な人生ですね。そしてもうひとつ驚きなことに、彼の出世作である「バンビ」は、なんとナチスによって1936年に発禁処分にされていました。その理由はザルデンがユダヤ人だったことだけにあったのではなく、物語の中で「小鹿=ユダヤ人、ハンター=ナチス」というふうに解釈されたことにもあるといいます。ヒトラーがもっと早く政権をとっていたら、今のディズニーの「バンビ」のアニメはなかったかも知れません。

おしまいに私の所見ですが、たぶんザルデンが「バンビ」を書くとき、ナチスに続く反ユダヤの流れは意識の外だったと思います。この人の生涯を見ていると、貧乏の経験はあるものの、苦労とか被害者意識を感じたフシはあまりなさそうなので。実は政治に無関心で天真爛漫に好きなものを書いていただけの、まさにオーストリア的な人だったのではないでしょうか?さもなかれば、厄介は政治に関わるのを避けるために子供向けの動物のお話しに走ったのかも。


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