オーストリア散策エピソード > No.158
前に戻る


ババヌキ紙幣でデフレ退治
line


ミヒャエル・ウンタークッケンベルガー
ミヒャエル・ウンタークッケンベルガー
(1886-1832)

1929年に始まった世界恐慌が大輪の花を咲かせていた頃、チロルの小さな町・ヴェルグル(人口4,200人)はご多分に漏れず強烈なデフレに襲われ、その経済は麻痺状態となっていました。誰もお金を使わないため消費は凍りついて仕事もなく、1932年には失業率が21%にも上っていたのです。しかもそれは税収の大陥没をもたらし、雇用確保の公共事業もままなりませんでした。

そのとき、ヴェルグルの町長だったミヒャエル・ウンタークッゲンベルガー(1884-1936)は、「町にはするべき仕事がちゃんとある。資金の流れさえ正常ならその仕事は発注できるのに・・・」と思っていました。で、「それなら、どうやったらお金の流れを復活させられるのだろうか?」と考えます。そしてこの人がたどり着いた結論は、シルビオ・ゲゼレ(ドイツ生まれ、アルゼンチンの実業家・経済学者、1862-1930)が考案した「自由貨幣」の採用でした。これは、早く使わないと価値が劣化してゆくという、まるで「生もの」みたいなババヌキ貨幣です。

ちなみに、「自由貨幣」の実効性に興味を示す学者や政治家は世界にたくさんいました。しかし、誰も導入したことのない「時間で劣化する貨幣」にはどんな副作用が潜んでいるか分かりません。秘策ならいいけれど、ウンコ策だったら大弱りです。よって、誰も実行する勇気はもっていませんでした。

そういう中、勇者・ウンタークッケンベルガーは1932年7月31日、まず第1弾として1シリング、5シリング、10シリングの3種類の「労働価値紙幣」(※注1)を合計1,800シリング分発行。これを給与の支払いに充てました。その紙幣は1ヶ月に1回、額面の1%を払ってスタンプをもらわないと使い続けることができません。つまり、使わなきゃ1年で12%も価値下落のお仕置きがあるのです。これならデフレのスピードには十分に勝てそうですね。

ヴェルグルの「労働価値紙幣」の1シリング札
■■■ヴェルグルの「労働価値紙幣」の1シリング札■■■
右側の「1g」と書いてあるシールみたいなのは、月末に1グロッシェン(100分の1シリング)を払った証明です。また、この紙幣の左上には「苦悩を和らげ、仕事とパンを与える」と書いてあります。

ヴェルグルの「労働価値紙幣」の総発行額は合計34,500シリング(他説もあり)で、そのうち一度に放たれたのは最大で12,000シリングだったといいます。しかしその流通量は短期でもやすやすと発行額の何十倍だかそれ以上にに膨れ上がってゆきました。なにしろ町中がスタンプ代の押し付け合いという大ババヌキ大会に励んでいたんですから。しかも人々がそのババを最も熱心に押し付けた先は、なんと税金の窓口でした。確かにそこにウンコ札を掴ませれば、自分のところに戻ってくる恐れはまずありませんね。しかし、これで税収の増えたヴェルグルの町当局はウッシッシ。まさに思うツボです。しかも、早く使わないと紙幣の価値は減るのですから、公共事業の発注もさぞ早かったことでしょう。そしてこの「労働価値紙幣」のおかげで実行できた公共事業は1932年に10万シリング相当、1933年にはさらに8万シリング分に達しました。税収だけでも「労働価値紙幣」の総発行額の約5倍ですよ。おかげで1933年にはオーストリア全体の失業率が19%に上昇してゆく中、ヴェルグルでは逆に1年で6%も下がって15%になった(※注2)といいます。

ヴェルグルの「労働価値紙幣」が成果を出すと、この町は単なるチロルの田舎町から世界が注目する経済復興最前線の町に出世しました。そしてフランス財相のエドゥアール・ダラディエ(←見るだけで真似はしなかったようですが)だの著名な経済学者たちが視察に来るわ、「Das Wunder von Woergl (ヴェルグルの奇跡)」という絶賛のことばは生まれるわと、けっこうなもてはやされぶりになってきました。また、近隣の6つの村もヴェルグルを真似て「労働価値紙幣」を導入、さらにウンタークッケンベルガーは世界の170もの町や村の代表者とのミーティングもしたといいます。

もっとも、ヴェルグルで「労働価値紙幣」が成功したのは、住民が金融の知識をロクにもっていない素朴な人ばかりだったからという面もあるでしょうね。知恵というのはしばしば有益なものですが、使い方次第では少数の利得者を生むために多数の犠牲を払うという危険性もあります。そして、すでに小賢しい金融の知恵をつけてしまった現代の私たちなら、さっさと「労働価値紙幣」で金貨や債券でも買って、消費は凍えさせたまま放置する可能性のほうが高いでしょう。また、政府紙幣との価値の差の歪みを利用に目をつけて金融工学を駆使した怪しい商品を開発する企業だって出てくるかも知れません。いずれにせよ、他人を出し抜く知恵と引き換えに今の私たちが失ったものが小さくないことも、「ヴェルグルの奇跡」は教えていると思います。

なお、こうして世界から賞賛された秘策は、意外に早く終わりのときを迎えます。というのも、中央政府が「各自治体で勝手に紙幣を発行されてはかなわない」と圧力をかけてきたからです。そして1933年9月、オーストリア政府の禁止通達により、ヴェルグルの「労働価値紙幣」はわずか1年余りで廃止となりました。

しかし、この廃止を「貨幣発行券の侵害」で片付けるのは早計です。というのも、「労働価値紙幣」は資本家にとって大きな刃でもあったからです。この紙幣を考案したシルビオ・ゲゼルが想定していたのは1つの町での使用ではなく、もっと広い国家レベル以上での使用でした。この人の本当の狙いは「利殖生活」を排除することだったのです。で、よく考えてみると、1年で12%も価値が減るお金なら、どんなお金持ちでも労働をしないと8年4ヶ月で無一文になりますね。これ、資産家にとってはすごく怖ろしい紙幣ですよ。つまり、素朴なヴェルグルの人たちは、知らずして現代の資本主義に挑戦状を叩きつけていたことになるのです。なんと大胆な・・・。

余談ですが、「労働価値紙幣」の意思を継ぐ人や団体は今も存在しています。そのひとつは、この貨幣の発祥の地であるヴェルグルの「ウンタークッケンベルガー協会」です。たぶんこの人たちは自分たちがアングロ・サクソン風の資本主義に対峙してることも自覚しているでしょう。また、スイスには「ヴィーア・バンク」というのがあって、さすがにマイナス金利はないけれど、メンバー同士でスイスフランと独自通貨の併用をしています。しかも、ちゃんとゲゼルの精神に則った哲学付きで。その人たちの何割が本気で「労働価値貨幣」の実現を夢見ているのかは分かりません。しかし、「投機マネーが肥大化した現代経済への警鐘」という観点でいうと、こうした活動はとても健全なことだと思います。

※注1)一般には「労働証明書」と翻訳されていますが、これはドイツ語→英語→日本語を経るうちに訳語が変になったものと思われます。よって、ここでは原語のArbeitswertschein(労働-価値-紙幣)に忠実に「労働価値紙幣」としておきます。

※注2)一部には完全雇用を達成と書いている資料もありますが、さすがに1年でそれというのは話しができすぎなので、ここではウンタークッケンベルガー協会の公式数字を採用しました。

◆参考資料
Wikipedia - Woergl
http://de.wikipedia.org/wiki/W%C3%B6rgl#W.C3.B6rgler_Geldexperiment
Berliner Zeitung [2009/2/28] - Das Wunder von Woergl
http://www.berlinonline.de/berliner-zeitung/archiv/.bin/dump.fcgi/2009/0328/tagesthema/0027/index.html
Der Freitag - Das Wunder von Woergl
http://www.freitag.de/politik/0928-zeitgeschichte-woergl-freigeld-weltwirtschaftskrise
Wiener Zeitung Lexikon - Das Wunder von Woergl
http://wienerzeitung.at/Desktopdefault.aspx?tabID=3946&alias=Wzo&lexikon=Geld&letter=G&cob=4852
Gemeinde Woergl - Michael Unterguggenberger
http://www.vivomondo.com/de/rathaus/woergl/wissenswertes/geschichte/
michael_unterguggenberger_biographie
tribe.com - An Expriment in Worgl
http://alt-money.tribe.net/thread/70e5eb29-853d-44ca-9faa-b789d1757037
Untergukkenberger Institut - Die Geldreform von Worgl 1932/33
http://unterguggenberger.org/page.php?id=162
Wikipedia - WIR Bank
http://en.wikipedia.org/wiki/WIR_Bank

◆画像元
Gemeinde Woergl - ミヒャエル・クッケンベルガーの肖像
http://www.vivomondo.com/de/rathaus/woergl/wissenswertes/geschichte/
michael_unterguggenberger_biographie
Wikipedia - 1シリングの「労働価値紙幣」
http://de.wikipedia.org/wiki/Datei:Freigeld1.jpg



line

前に戻る