オーストリア散策エピソード > No.140
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帝政時代の人が空想した脱力の未来
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フランスでジュール・ヴェルヌが今のSF小説の走りとなる作品を書き始めた19世紀後半、オーストリア=ハンガリー帝国の人々も当時の科学技術の進歩にワクワクしていました。例えばウィーンで最初に開通したとき、人々はさっそくこれに殺到します。ただしそれは、「より便利な交通機関」としてではなく、「いつ脱線するか分からないエキサイティングな乗り物」としての人気でしたが。

そして、理由はどこにあるにせよ、こうしたワクワク感はウィーンを遠く離れたボーデン湖の畔の町・ブレゲンツにまで、しっかり伝播していました。その証拠として、このオーストリアの最西端の町には、「未来のプフェンダー(←ブレゲンツにある山)」が科学技術で大いに発展する様子を空想し、これを絵にした人がいます。しかもその絵は絵ハガキとなって、白昼堂々とおみやげに売られていました。今日はその空想画の各部分をひとつづつ取り出して観察し、おしまいにそれがトータルでどんな妄想になっていたのかをご紹介しましょう。

インスブルック行きのロープウェイ

中距離交通1
プフェンダーとチロルのインスブルックを結ぶ約200kmの中距離交通には、左の絵の乗り物が使われることになっています。これ、まるで市電のように見えますが、実はロープウェイです。こんなに長いケーブルに重い市電車両を吊るすのは物理的に無理という気もしますが。スピードの面でも、素直に地上を走る鉄道のほうがずっとマシかでしょう。

ミュンヘン行きの飛行風船

中距離交通2
プフェンダーとバイエルン王国の首都ミュンヘンを結ぶ交通には、ロープウェイよりももっと現実的な飛行風船が使われることになっています。しかし、これは乗船できる定員が少なすぎですね。こんなので採算は合うのでしょうか?また、この飛行風船には舵を取る道具もついていませんから、風向き次第ではイタリアにでもスイスにでも飛んでゆきそうです。たぶん昔ながらの馬車にしたほうがよっぽど早く確実にミュンヘンに辿り着けたと思います。

火星行きの蒸気機関車

遠距離交通
ミュンヘンよりも遠いところに行く交通手段としては、左の絵にある蒸気機関車が使われることになっています。これならスピードも輸送量も文句ないでしょう。ただ、この蒸気機関車の行き先が「火星」となっているところは、いくらなんでも遠すぎです。それに、火星から来る列車のほうは「(オーストリア・ハンガリー帝国の)プフェンダー行き」とかなり具体的に行き先を絞っているのに対し、プフェンダー発の列車のほうは単に「火星行き」となっているだけで、その惑星のどこらへんに着くのかはまったく不明。実に大雑把で無責任です。

地上の風景1

地上の光景1
空中の状況は大変すごいのですが、地上のほうは全然すごくありません。これだけ外国や宇宙との交通網が充実しているにもかかわらず、プフェンダーにいるのは地元の民族衣装に身を包んだ田吾作ばかりなのですから。火星人の観光客や外国人の姿はまったくありません。

地上の風景2

地上の光景2
道路は全然舗装されてなくて、のちの20世紀にオーストリア中で溢れかえることとなった自動車もゼロ。予想は見事に大ハズレですよ。また、車がないおかげで、「アルプスカモシカのミルク、販売中」という看板の前にいる売り子らしき少年は、呑気に道の真ん中で寝そべっていますよ。牛も負けずに道で通せんぼです。地上の生活は前近代的なまま放置と考えられていたのですね。まあ、技術の進歩より人間の進歩が遅いという点は、あながちハズレともいえませんけど。

地上の風景3

地上の光景3
インスブルック、ミュンヘン、火星とあちこちに交通網を張っている割りに、プフェンダーは寒村そのもので、駅舎らしき建物も見当たりありません。施設といえば、山の中腹に質素な「プフェンダーホテル」が1つ開業しているだけです。

地上の風景4

地上の光景4
この看板には、「保険をかけてない人のみ、(山から)転落はご自由に」と書いてあります。保険会社が保険金を払いたがらないという点は、見事に未来を的中させていますね。科学技術の発達に反比例して企業のモラルが後退するのを見破っていたところはさすがです。

以上の要素を組み合わせた結果、帝政時代の人が想像した未来のプフェンダーはこんな感じになりました。なかなかの脱力モノでしょ。

ちなみに、当時この絵ハガキを買った1人は友人に宛てて、「将来のプフェンダーはこんなふうになるんだとさ。ホントかね?」と、大変懐疑的なことを書いています。そりゃそうでしょうね。思うに、たぶん絵を描いた張本人も、マジメにこんな未来など期待はしていなくて、せいぜい「誰か物好きがこの絵ハガキを買ってくれれば」ということぐらいしか考えていなかったのでしょう。

しかし、現代の私たちはこの「プフェンダーの未来の絵」をそれほど笑うことはできません。なぜなら、現代の各国ではこの絵の中にあるバカバカしい状況と同等またはそれ以下の世界がある意味で現実のものになっているのですから。例えば、科学技術の進歩で生まれた機械を上手に使えば、人間はより短い労働時間で豊かに暮らせるはずでした。しかし20世紀以降の人々はその機械を生産拡大競争や価格競争に利用するばかりだったので、労働者の負担軽減にはあまりつながりませんでした。また、科学技術は破壊力の大きな武器開発に暴走して、ひとたび戦争をすれ勝ったほうも負けたほうもひどく深手を負う世の中もできました。どんなに技術が進歩しても、それを使う人間の欲望が相変わらずなら、結果はむしろトホホですよ。

科学技術が何の役にも立たない道化役を演じている「プフェンダーの未来」の絵は、もしかしたらのちのアホな人類に対する警告だったのかも知れませんね。

◆参考資料:
Ansichtskartengruesse aus der Kaiserzeit - Vorarlberg
企画・制作:Rudolf Walter、出版: オーストリア・絵ハガキ出版協会会員有志



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