オーストリア散策エピソード > No.134
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インチキ英雄となった時代遅れの老騎士
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鉄腕ゲッツ
鉄腕ゲッツ

シラー作の「ヴィルヘルム・テル」(日本では英語名の「ウィリアム・テル」という名で通っていますが)では、スイスの村人たちがハプスブルクのお代官様をやっつけていますね。これ、史実としても、まあそのとおりのことが起こっています。極悪かどうかは知らないけど、ハプスブルク家のルドルフ1世がアルプレヒトに代替わりしたとき、スイスに代官が派遣されたのは事実でした。そして、それを自治権の侵害と感じたスイスの人々は1315年にルツェルン近郊のモルガルテンでハプスブルクの騎士軍と一戦を交え、見事に勝利をしました。が、これに懲りないハプスブルク家は1386年にまたまたルツェルンの近くへ騎士軍を派遣。ところが、これもゼンバッハの戦いでスイスの農民軍にボロ負けしました。

プロの軍人が農民にトホホな敗北を喫したのは、40kgもある鎧で身動きのとりにくい騎士たちを軽装のスイス農民兵が柄の長い槍でビシバシ突くという戦法をとったからだといいます。しかも農民軍は、騎士たちを狭い山の道に誘い込んで上から岩を投げるというお仕置きまでしていました。しかし、隘路に敵の大群をおびき寄せるって、1273年にハプスブルク家のルドルフ1世がボヘミアのオットカル王退治に使っていた作戦ですよ。自軍が昔やった手でスイス人に2回も負けるなんて、ハプスブルク軍はアホですね。    

ところで、このスイスでの2つに戦闘におけるハプスブルク軍の敗北は、中世風の騎士という商売が斜陽産業になってきたことの象徴ともいえます。そして、代わりに成長産業への道筋をつけたのは、かの有名なスイスの農民による傭兵でした。その強さたるや、16世紀にシャルル突進公の率いるブルゴーニュ軍をさえ破るほどだったといいます。おかげでスイス人の傭兵は各国の王に引っ張りだこでした。    

しかし、軽装で長槍さえ揃えれば「あなたも今日から騎士に勝てます」ということがこれだけハッキリしているのなら、それを模倣する人だって簡単に出てきますよね。そして事実、スイスの農民とすごく仲の悪かった西南ドイツのシュヴァーベン地方の連中がさっそく長槍パワーで頭もたげ、スイス傭兵の商売仇となりました。シュヴァーベンの傭兵といえば、特にハプスブルク家のマクシミリアン1世の部隊として長い槍を振り回したランツクネヒトが有名ですね。一方、スイス傭兵を最も多く採用したのはハプスブルク家の天敵であるフランスのブルボン家でした。この調子じゃ、スイス人とシュヴァーベン人の仲はいちだんと険悪になったことでしょう。ルーツは同じアレマン族(ゲルマン系の一派)なのに。    

ところで、スイスでの敗北から約150年も経って騎士産業がすっかり凋落したころ、ハプスブルク家の帝都ではオスマントルコ軍による第一次ウィーン包囲という事態が起こりました。そしてウィーンを危機から救うべく馳せ参じたキリスト教軍の中には、なぜか時代遅れの家業をしつこく頑なに続ける老騎士が1人混じっていました。その騎士の名はゲッツ・フォン・ベルリッヒンゲンといいます。この人、戦闘で味方のドジにより右腕を失って鉄の義手をつけていたことから、「鉄腕ゲッツ」という渾名をもっていました。「鉄腕アトム」みたいですごいでしょ。しかも「鉄腕ゲッツ」の義手は左手で自由に指を曲げられ、ボタンを押すとその指がバネでピョーンと元に戻る精巧なものでした。本人はそれをすこぶる自慢だったことでしょうね。    

鉄腕ゲッツのすごいところは名前だけではありません。この人はゲーテの「ゲッツ・フォン・ベルリッヒンゲン」(1773年)という作品の主人公にもなっていて、鉄腕アトムに負けないくらいの「自由の戦士」にでっちあげられているのです。ゲーテのお話しによると、鉄腕ゲッツはドイツのシュヴァーベン地方で起こった農民戦争の首領に担ぎ出され、最後はシュヴァーベン同盟軍に捕らえられて「自由!自由!」と叫んで死んじゃったことになっています。が、実際のゲッツは別に農民のために戦争に加担したわけではありません。都市の発達や軽装軍隊の普及などで田舎の騎士の商売が圧迫されたことに溜りかねてキレただけです。しかも、たまに捕まったときには「ごめんなさい!」と謝って身代金を払い、ちゃんと生きて帰っています。    

また、1522年には没落寸前の騎士たちが壊滅的な敗北となった戦争があったのですが、そのとき鉄腕ゲッツは別な戦いに敗れて敵の捕虜になっていたため、貧乏くじを引かずに済んでいます。運もいい人ですね。    

ついでにいうと、鉄腕ゲッツの本職はフェーデ(私闘)でした。フェーデ(当時の皇帝は禁止していたんですけど)とは、騎士(だけじゃないけど)が侮辱などを受けたときに相手と決闘をすることなんですけど、負けたほうは死ぬのがイヤなので、しばしば「身代金」というお詫び料を支払っていました。よって、たくさんフェーデをしていっぱい勝てば、収益はなかなかのものになります。なんだか1970年代に日本のテレビでやっていた「ぶらり信兵衛道場破り」(わざと負けたフリをして道場主からお金をせしめる場面がウリの時代劇)と大差ありませんね。とはいえ、騎士が他人に文句をつける機会なんてそうそうあるものではありません。しかし商売熱心な鉄腕ゲッツは、ムチャクチャな言いがかりをつけるという方法で相手を怒らせ、ビジネスチャンスを堅実に増やしてゆきました。もちろん勝率もけっこうよかったようで、トータルではしっかり高収益を挙げていたそうですよ。    

以上のようなわけで、鉄腕ゲッツはむしろ「歴史上最も騎士道精神からハズレた騎士」というべき人物でした。しかし、ゲーテのペテンのおかげでいつの間にか嘘八百のほうが優勢となり、事態は手遅れに。今日ではヤークストハンゼン(ドイツのネッカー川の支流であるヤークスト川の畔の町)にある鉄腕ゲッツの城の野外劇場で、本人を鉄腕アトム並みの正義の味方にしたインチキ劇が来る年も来る年もこれ見よがしに行われています。トホホ。    


◆参考資料:
ドイツ 歴史の旅 - 鉄腕の騎士ゲッツ
坂井栄八郎著、 朝日選書
Wikipedia - スイス人傭兵
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%A4%E3%82%B9%E5%82%AD%E5%85%B5
Meidaval Bazaar - 第三回「スイス傭兵の衰退の原因」
http://sinba.seesaa.net/article/4084022.html#more
大学時代の講義 - ゲッツ・フォン・ベルリッヒンゲン、他
すべて学生時代の講義に記憶より

◆画像元:
Wikipedia - Goetz von Berlichingen
http://de.wikipedia.org/wiki/G%C3%B6tz_von_Berlichingen



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