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ウィーンのピアノブーム、その魂胆は?
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ピアノを弾くモーツァルト
ピアノを弾くモーツァルト

ウィーンといえば音楽、そして音楽といえば、やっぱりピアノですね。今日はこのピアノのことについて触れてみましょう。

モーツァルトがいた頃の音楽先進国だったイタリアのことばで、ピアノはpianoforteと言います。pianoは「弱い」という意味で、forteは「強い」という意味です。つまり、ピアノとは「弱い音から強い音まで幅広く出せる楽器」を意味していたのです。それ以前の楽器だったハープシコードなどは弦を掻く楽器でした。これに対してピアノは弦を叩くという仕組みを採用、これが音の強弱に幅をもたせることにつながりました。実はこれ、とても革命的なことなんですよ。例えばショパンをハープシコードで弾いたらどうなるでしょう?力の抜けた変な曲になりますね。そう、ピアノの誕生によって、音楽はより表現力を増しただけではなく、メロディーの流れさえも変えてしまったのです。

ピアノのような鍵盤楽器のための各装置を最初に作ったのは、イタリアのパドヴァに住むバルトロメオ・クリストフォリだったそうです。時は1717年でした。同じ時期にはドイツとフランスの人もこれを開発していたそうですが、バルトロメオのがいちばん優れていました。そして、ピアノの製造を実験レベルから実現レベルに引き上けた最初の人物は、ドイツのゴットフリート・ジルバーマン(1683-1753)という人でした。ピアノはその後も絶え間なく音の表現力に改良が加えられてゆきます。そして、18世紀の後半には当時のクラブサン(この楽器、私はよく知りませんが、ハープシコードみたいなものでしょ、たぶん)に代わって、ピアノが鍵盤楽器の主役に登ってゆきました。

最初に作られたピアノは「翼型」だったといいます。これは今のグランドピアノの原型ですね。そして1760年ごろには箱型のピアノというのも発明されました。ただし、これはヨーロパでは不人気だったようです。リストが「角型はイヤだ!」とごねた(1840年ごろ)という話を聞いたことがあります。しかし、アメリカでは職人がいろいろな工夫をしたおかげで、「角型」もけっこう人気があったといいます。

また、今のアップライトピアノの原型(竪型ピアノ)ができたのは1780年だったといいます。それを作ったのは、ザルツブルクのヨハン・シュミットという人でした。ただし、当時のザルツブルクはオーストリアの一部ではなく、ローマ教皇の直轄領でしたけど。ちなみに、オーストリア最古のピアノ工場は、私の調べた限りでいうと、ヨハン・アンドレアス・シュトライヒャー(1761-1833)がアウグスブルクからウィーンに移した工場のようですね。このシュトライヒャーのピアノはベートーベンご用達で、その商標は今でも存続しているそうですよ。

ところで、このアップライト式ピアノの登場は、当時の人々に対して偶然にも「音楽の前で人々の身分の差を縮める」という効果をもたらしました。高価で大きな翼型ピアノは主に貴族や教会(およびそこに雇われた音楽家)のものでしたが、アップライトピアノはちょっと富裕な市民なら手が届きましたからね。そして1820年代になると、いつしかウィーンの中産階級の家庭の子供たちは無条件でピアノを習うのが当然、という風潮が生まれました。なんか微笑ましいですね。フランスにも同じ風潮があったようですよ。ただし、ヴィクトリア女王の英国だけは、「ピアノを弾く男は軟弱、若い女性は貧血かノイローゼになる」とされていたそうです。200年経った今を見ると、どうやらウィーンの人たちのほうに理があったようですが。

しかし!実直とはいえ、ウィーンの人たちは現世の利益に鼻ざい人々です。あの1820年以降のピアノブームは、単なる音楽愛好の心だけから始まったものではありませんでした。なんと、ピアノは当時のウィーンにおいて、強力な出世の道具だったのです。若い女性が金持ちと結婚したり、多くの男性がよい社交界や高い地位に推薦されるには、当時流行の教養とされたピアノの腕が驚くほどモノを言ったのだとか。ちょうど平安時代の京都で、和歌や漢詩の知識と才能が出世の役に立ったのと同じですね。ウィーンではまた、弁護士や医者も、あちこちでピアノの腕前を披露することにより、多くの知人や顧客が得られたのだそうですよ。

「貴族=ピアノの才能」から転じて「ピアノの才能=優れた人物」という半ばムチャクチャな論理のおかげで、中産階級の人々が得た「ウィンナー・ドリーム」。それがウィーン市民の音楽熱の震源地でした。トホホといえばトホホですね。しかし、理由は何にせよ、それがもとでウィーンが音楽先進都市になったのは確かだし、本当に音楽を愛する人がたくさん現われたのも事実です。決して恥ずべき歴史ではないでしょう。


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