オーストリア散策エピソードNo.001-050 > No.036
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中立といっても国様々
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中立国といえば真っ先に浮かぶのはスイスでしょう。1815年11月20日に永世中立が認められたといいますからもうちょっとで200年になりますね。また、この国が外に戦争をしかけるのをやめたのもっと古く、なんと1500年代前半まで遡ります。実はこの国(正確には邦の集まった同盟)、昔はけっこう戦争好きだったんですよ。その軍事力が頂点を極めたのは、1476年でしょう。当時の先進国だったブルゴーニュ公国のシャルル突進公はスイス誓約同盟軍相手にまさかの敗北を喫し、命まで落としてしまいました。これで調子に乗ったスイスは1515年、不敗を誇っていたミラノ公国にまで攻めてゆきます。しかし、そこに待ち受けていたのはフランソワ1世に率いられた強豪のフランス軍でした。いかに勇猛なスイス軍とはいえ、物量の差はいかんともしがたく、ここでとうとう敗退です。しかもそのときスイスは、戦争で負けるといかに大損するかということを思い知らされました。フランスのように肥沃な土地と人口があれば軍資金の心配もいらないのでしょうが、山奥のスイスの経済力ではあと1敗したら再起不能です。つまり、資金力のない個人投資家がソフトバンクやみずほの株に全額投資すのと同じくらいのリスクがあったというわけですね。で、スイスの人々はそんなバクチなど金輪際イヤだとばかりに、おとなしく鳩時計でも作ることにしました。「カッコー」と鳴くのに「鳩時計」というところは変(ドイツ語ではちゃんとカッコー時計といいます)ですが。また、ヤギと鳩時計だけで生活できない人は傭兵として外国で働いていましたが、1859年にはこれも禁止されたそうです。ただ、スイスの永世中立というのは外に対してだけのことであって、国の中は話が別でした。たとえば今のザンクト=ガレン州などは19世紀後半までスイス国内の植民地という扱いでした。フランスやドイツ相手では大変ですが、アルプス山中の小邦が相手なら簡単に勝てましたから。ホントに油断もスキもない人たちですね。

一方、骨のある中立国といえばスウェーデンが挙げられます。この国はフランス革命の頃すでに中立を掲げていたのですが、このときはイギリスをはじめとする交戦国に揺さぶられてダメでした。しかし第1次世界大戦ではノルウェー、デンマークとともにしっかり中立を貫きます。この国、アジアやアフリカにも植民地をもちませんでしたから立派ですね。次いで第二次世界大戦時には、「ドイツに鉄を輸出したら食料の輸出を止めてやる」とイギリスにどやしつけられる一方、仲間の中立国・デンマークはドイツに蹂躙されるという状態で、ノルウェーやフィンランドも風前の灯火に。普通の神経をしていたらさっさと連合国に味方して中立を放棄するところでしょう。しかし、ここでスウェーデンは頑なに中立の原理を守りきりました。近隣諸国を見殺しと言われそうな中立はさぞかしつらかったことでしょう。でも、私はスウェーデンを尊敬しますよ。ちなみに、一時エリクソンでスウェーデン人と一緒に働いていた友人は、「スウェーデンの人たちは実に温厚かつ実直だった」と述べています。で、スウェーデン人が最もイヤがるのはイギリス人だそうです。「嫌い」なのではなく「苦手」と控えめにいうところがまたスウェーデン人らしいですね。

いちばん可哀想な中立国といえば、ルクセンブルクでしょう。小国なので、いくら中立を宣伝しても他国はおかまいなしに攻めて来ますから。ただ、私が思うに、この国はたとえ大国だったとしても中立政策をとったと思いますよ。私の記憶が正しければ、ルクセンブルク公家はホヘミア王国の名君カレル4世を輩出した家柄です。善政を行い、生意気に領土を要求してきた娘婿のオーストリア公ルドルフ4世も好きに騒がせておく懐の深さをもち、文化や芸術の発展にも力を入れたカレル4世由縁の公家がいる国ですから、その誇りにかけて、無茶はしないでしょう。ブルボン家やホーエンツォーレル家とは格が違います!

おしまいに我がオーストリアはというと、実はこれがけっこう情けない永世中立国でして。はっきり言って、妥協の産物でした。第2次世界大戦の戦後処理で、オーストリアは自身を「ドイツに併合された被害者」と位置付け、実はヒトラーがきたとき国民が大喜びしていたことを棚に上げました。一方連合国(特にフランス)のほうは、お調子者のオーストリアは許し難いが、ヘタにドイツやソ連に組み込まれたらまずいと思っていました。おかげでオーストリアはうまく戦犯国のレッテルを免れます。ただ、国民の中には良心の呵責もあったようで、それが例のワルトハイム事件で国内に論議を巻き起こしました。一般国民にも臭いものにはフタを決め込んだ人が多いという反省です。しかし、他国のマスコミが「それ見たことか、オーストリアはナチスの一派だ!」とやたらほざくものですから、オーストリア人は反発して、再び過去の話しにフタをしてしまったようです。マスコミの連中は余計なことをしましたね。さて、そこで肝心のオーストリアの永世中立ですが、ひとことでいうなら、これは旧ソ連と西側諸国の利害から生まれたものです。ソ連としてはオーストリアを共産圏に組み入れたかったのですが、レンナーじいさんがスターリンをうまく手玉にとったものだから、これは失敗しました。そこで、ここを中立国にすれば西側の戦車が東欧にくるとき往生するだろうということでソ連は納得、一方の西側諸国はオーストリアがソ連の傘下に入らなければまあいいかということでこれまた了承しました。また、オーストリアにしつこく意地悪を言ってたフランスも、これでドイツ−オーストリアの合併は永遠になくなるから勘弁してやろうかということになりました。さらにオーストリアもオーストリアで、独立できるならなんでもいいから黙って永世中立国になりましょう、と決めました。なんだか全然主体性はありませんが、これもこれでどこかオーストリアらしく、私は好きですよ。

ところで、中立国ではないのですが、今のチェコはある意味でスウェーデンにも匹敵するほど立派な中立精神をもっています。チェコは第2次世界大戦のときドイツ軍に占領され、そこに住んでいたスラブ系やユダヤ系の人々はドイツ人からだいぶ痛めつけられたといいます。しかし戦後は立場が逆転、同国のズデーデン地方を中心に住んでいたドイツ系チェコ人たちは家を奪われ、国を追い出されました。それから約50年して、チェコのハベル大統領はドイツに対し、戦勝国側としては異例の謝罪をしました。「チェコの一般人が受けた仕打ちを一般のドイツ人にし返したのは誤りだった」と。そしてチェコでは、ドイツ人からチェコ人が受けた仕打ちとそのあとチェコ人がドイツ人に与えた仕打ちの両方が学校で教えられたといいます。いつまでもしつこくドイツを非難するポーランドが野蛮人の国だとはいいませんが、このハベル大統領の意向を飲んだチェコの人々が立派な文明人であことは確かだと思いますよ。一方、勝てば官軍の米英仏中などは、ハッキリ言って野蛮人です。


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