オーストリア散策エピソードNo.001-050 > No.033
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伊達男、手強い皇帝を蒼ざめさせる
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カウニッツ
カウニッツ

シュレジエン地方を奪った天敵プロイセンにお灸を据えるために、オーストリアがやってのけたロシア・フランスとの同盟。これは当時の人々をあっと言わせる大芸当でした。なぜなら、フランスとオーストリアは長いこといがみ合っていた敵同士だったのですから。時のハプスブルク家の女帝マリア=テレジアは、いったいどんな手を使ってフランスを丸めこんだのでしょう?

1750年10月、マリア=テレジアに任命された新しい駐仏大使ヴェンツェル フォン カウニッツ伯爵は、金貨がたっぷりの財布を懐に絢爛豪華な馬車数十台を連ねてウィーンを発ち、ヴェルサイユに入ってきました。カウニッツは物腰がスマートで人の心を捕らえる話術もお得意なうえ多彩な教養を持ち合わせた人物で、しかもフランス文化を愛好していたといいます。今までオーストリアのことを田舎だと軽んじていたフランス人もさすがに「今度の大使はいつもと違うぞ」と唸ってしまいました。

ヴェルサイユに来たカウニッツは、ここで王侯並みの屋敷に住み連日豪華な祝宴や舞踏会を開催、遊びごとに目のないフランス宮廷の人々を何かと楽しみに誘いました。かと思えば、色とりどりの花で飾った馬車に乗って市内を駆け巡ったり。まるで外交官というよりは、リッチで明るいエンターテイナーという感じでした。そして3年後の1754年、カウニッツは突然フランスからオーストリアに帰ってゆきます。帰国後のカウニッツに準備されていたポストは、宰相の地位でした。豪遊帰りで大出世とは、まったく破格の扱いですね。

さて、無為に遊んで帰ったばかりに見えたカウニッツですが、実はただのお人よしではありません。彼はまずフランスで人気者になることによって、ルイ15世の愛妾ポンパドール夫人に近づくチャンスを作りました。そして、趣味のよさと教養ではフランス屈指というポンパドール夫人をして、「カウニッツ伯爵はそこらの教養のない貴族とは違い、フランス語も流暢」と言わしめることに成功しました。次にカウニッツは巧みな話術を使い、女性蔑視のきついプロイセンのフリードリヒ2世がマリア=テレジアとポンパドール夫人の共通の敵であることを説きます。そして、事態の打開にはオーストリアとフランスの同盟が必要だと訴えました。時のフランス王ルイ15世はポンパドール夫人の言いなりでしたから、彼女さえ押さえれば細工は隆々です。そしてこの狙いは的中、フランスの人々がカウニッツに対する好感からオーストリアへの意識を変えつつあったことも手伝って、ついに犬猿の仲だった両国の同盟が成立したというわけです。7年がかりの大芝居はこうして大成功しました。

しかし、まずは3年もかけてフランス人の心をなごませるところからやるというのは、実に悠長な外交という気がします。急がば回れということですね。そして、オーストリアに新たな道を開いて強豪フリードリヒ2世を蒼ざめさせたのが、軟弱でデリケートな伊達男だったというのは笑えます。文人だって負けてはいませんね。


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