オーストリア散策エピソードNo.001-050 > No.028
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貧乏伯爵と欲ボケの選帝侯たち



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ルドルフ1世

今日のタイトルを見て、ちょっとでもオーストリア史のことをご存知の方なら、これが誰のお話しかすぐに察しがつくことでしょう。そう、今日の主人公はハプスブルク家のルドルフ1世です。

1273年、4人の世俗君主と3人の聖職者からなる7人の選帝侯は、20年間も国王不在の「大空位時代」にあった神聖ローマ帝国の代表である「ローマ王」として、ハプスブルク家のルドルフを選びました。このときローマ王指名の知らせを受けたルドルフは思わず、「人をおちょくるのもいいかげんにしなさい、冗談でしょう!」と言ったとか。そのことばが事実かどうかはわかりませんが、この選挙は立候補制とはちょっと違いましたので、確かに買いもしない宝くじがあたるのと同然のことがあったとしても不思議ではありません。ちなみに、当時のルドルフは今のスイスのアールガウのあたりに小さな領地をもつだけの伯爵でした。その城はハービスブルク城(鷹の城という意味)といい、のちのハプスブルク(Habsburg)家の名はこれに由来しています。

さて、このローマ王の選挙でルドルフが選ばれた理由は、彼が弱小貴族だったことにあるとする見方が一般的です。当時の本命は大国ボヘミアの国王オットカルだったのですが、彼が権力と地位を同時に握ってはなにかと厄介だと考えた有力者たちは、無害そうな田舎貴族をローマ王に据えて自分たちの権力維持を確保しようと企んだというのです。

しかし、こうなると気がおさまらないのはオットカル王です。あれだけ虎視耽々と狙っていたローマ王の地位を逃したばかりでなく、アーヘンで行われる戴冠式では、形式的とはいえ貧乏貴族だったルドルフから封土の貸与を受ける儀式があるのですから。オットカルはその屈辱を3度にもわたって拒否しました。ここで選帝侯たちはついに邪魔者を退治する大義名分ができたと判断、ルドルフにオットカルの征伐を要請します。ただし、その選帝侯たちは自分の兵を出す気などさらさらなく、ルドルフとオットカルが共倒れになればその領土までいただこうなんてひどいことまで考えていました。

この討伐劇、実力からいうと4分6分でオットカルのほうが有利と見られていたようです。そして1276年8月26日、ウィーンの北東にあるマルヒフェルトでついに決戦がなされました。戦闘は初めのうち、両軍の接戦状態となりました。が、ここで突如事態は一転します。ルドルフが潜ませておいた50騎か60騎の伏兵が出現、この奇襲作戦でボヘミア軍は総崩れとなり、オットカル王も命を落としました。「騎士の戦い」に伏兵を置くというのは当時としてすごく卑怯な手だったのですが、背に腹は変えられなかったというわけでしょう。まあ、いちばん卑怯な選帝侯に比べたらルドルフはまだマシだと思いますから、ここは油断したオットカルのほうがアホということにしておきましょう。

こうしてオットカルをやっつけたルドルフのやり手ぶりに驚いたのは、例の選帝侯をはじめとする連中です。オットカルよりも手強い人物をローマ王にしてしまったことに気付いたからです。しかし、それはあとの祭りでした。その後ルドルフはしっかりと地固めをしてゆき、名目だけではなく、実質的にも確固とした「ローマ王」になってゆきました。

ところで、ここまでを読むと権力欲につかれたオットカル王と領土欲いっぱいの選皇侯たちが実直なルドルフを乗りこなし損なってめでたしめでたしの勧善懲悪みたいですね。しかし、歴史ってそんなに甘いものでしょうか?実をいうと、私はルドルフがいちばんの食わせ者だったのではないかと思っています。例えば「権力のない者をローマ王に」というアイデアを出したのは誰でしょう?これがルドルフの発案だったとしたら、1273年の選挙はちょっとした茶番ですよ。当時ルドルフは教会から破門状態にあった主君に愚直ともいえるほどの忠誠ぶりを発揮していたといいます。これも自分を無欲とみせかけるための罠だったかも知れません。欲ボケの有力者が多い中で、こうしたルドルフ自身にローマ王の白羽の矢が当たることは十分に計算可能だったでしょうから。そして極めつけは、オットカルとの戦いでルドルフを応援した貴族たちの存在です。元々は1対10以上あったはずの力の差が、マルヒフェルトの戦いでは4対6にまで接近していましたね。正義も何もあったものではない時代、なぜルドルフに味方する仲間がここまで増えたのでしょう?たぶん、ルドルフはオットカルの領土を担保にして、欲の深い貴族たちを仲間に引き込んだのだと思います。以前米国で相手企業の資産を担保にしたM&Aが流行したことがありますが、ルドルフもちょうどこれと同じ手を使ったのかも知れませんね。

もし私の仮説が正しいとすれば、ルドルフは他人の欲をコントロールしていちばん大笑いした人物ということになります。そして面白いことに、このルドルフの人物像は日本の田中角栄元首相によく似ていたようです。田中元首相も官僚を欲ボケさせてうまくコントロールしましたね。やっぱりこういうことは洋の東西を問わないのでしょうか?


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