オーストリア散策エピソードNo.001-050 > No.027
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最初の歌詞はロクでもなかった「青きドナウ」
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ヨハン・シュトラウス2世
ヨハン シュトラウス2世

日本では大晦日になると、ベートーベンの第九を歌いますね。ベートベンはドイツのボンに生まれた人ですが、その活躍の場はウィーンでした。こういうところにも日本とオーストリは縁があるんですよ。ちょっと話しのもってゆき方は強引ですが。

さて、オーストリアでは1月1日になると、この国の第二の国歌といわれるヨハン シュトラウス2世(1825−1899)作曲の「美しき青きドナウ」がラジオで流れるという話しを聞いたことがあります。ニューイヤーコンサートでも、この曲が始まると大きな拍手でメロディーがかき消されてしまうほどですね。しかしこの曲、できたてのときは全然人気がなかったようですよ。

1866年、プロイセンに戦争で負けたオーストリアはガックリ意気消沈していました。その前には1859年のソルデリーノの戦いでイタリア勢にも負けていましたから、気分はサイテーだったことでしょう。そこで1867年、このしょぼーんとした人々を元気づけるため、当時ウィーン男声合唱協会の指揮者だったJ. ヘルベックがヨハン シュトラウス2世に景気付けの合唱曲を作曲するように頼みました。ヨハンはそれまで合唱曲なんて作ったことがなかったので一度は断るのですが、しつこく要望されて結局引き受けます。一部では「愛国心に燃えて」と書いた本もありますが、実際はそれほど本気じゃなかったみたいですよ。こうして生まれた「青きドナウ」には、合唱団員のJ. ヴァイルによって下記のような歌詞がつけられました。そして、1867年2月の初公演となったわけですが、実はあまり好評じゃありませんでした。「踊らにゃソンソン」って、徳島県なら大ウケだったと思うんですけどね。メロディーが阿波踊りと同じだったら、ウィーンの人も受け入れたんでしょうか?

1.ウイーン子よ、陽気にやろうぜ くよくよ嘆くは、愚の骨頂
  ふところ具合が悪くとも 舞踏会で 踊らにゃソンソン!

2.お百姓さん、頭ガリガリ 大変な時代になったもんだ
  税金納めて 懐スカスカ お金なくても 踊らにゃソンソン!

3.家主さんも、頭カリカリ  どの部屋見ても空っぽだもの
  なあにかまわんとばかりに 出かける先は仮面舞踏会

4.芸術家は うれしくも、また悲し 理想の姿は長年の夢
  若くてハツラツ  ご婦人たちのお気に入り

5.政治家、批評家の先生たちも  分別くさげに踊っているが
  調子はずれで ワルツも台無し

  今日の幸せ 二度とは来ない  喜びのバラも 褪せるもの
  されば 踊ろう 休まず 踊れ!


また、私が読んだ別の本によると、こんな歌詞も作られていたそうです。これはパロディーで作った替え歌との説もありますが、いずれにせよこの曲が不人気だったことに変わりはありません。喜べと言われても、相次ぐ戦争でボロ負けしたあとじゃ、確かにそりゃ無理というものでしょう。それにしても、おバカなくらいわざとらしい歌詞ですね。かえって「トホホ」という気分を高めてしまいそうです。











ウィーンっ子よ、喜べ。
ほう、どうして?
ほのかに曙光が。
まだ見えないよ
ファッシングが近づく
あ、そうか!
悲しんで何になる、
くよくよしてどうなる。
だから喜べ ほがらかに。

ところがこの曲、強引に国民を元気付けようなんていう邪念を捨ててオーケストラ用にアレンジしたら、いきなり大人気作品に化けてしましました。一説によると、ヨハンの妻アデーレがこれはいい商品になるメロディーだと鼻ざとく気付いて、演奏旅行に行く夫のカバンにこっそり入れといたという話しもあります。で、ヨハンが演奏会のアンコールのとき、たまたま手にとったその楽譜を見て「まあこれでいいか」と演奏したところ、聴衆が喝采で大ヒットしたというのです。ホントかな?たぶん、アデーレの名妻ぶり(これは事実)に敬意を表して話しに尾ひれをつけたのでしょう。

まあ、いずれにしても、人気曲になればしめたもの。のちに改めて詩人F. v. ゲルネルトに作詞を依頼、下記の通りの歌詞がつけられて、今日ウィーン少年合唱団などが歌う「美しく青きドナウ」の歌が完成しました。


Donau so blau, so schoen und blau,
durch Tal und Au wogst ruhig hin,
dich gruesst unser Wien
dein silbernes Band knurpft Land an Land
und froehlich Herzen schlagen
an deinem schoenen Strand.

ドナウはかくも青く美しく
谷や牧場を静かに流れる
ぼくらのウィーンは君に挨拶をし、
君の銀のリボンは土地と土地を結ぶ
君の美しい岸辺では
嬉々として心が高鳴る


なお、この「青きドナウ」には、ほかにもいくつかの歌詞のバリエーションがあるようです。その中でちょっと面白いのは、R. リンガーという人が悪乗りして書いた歌詞の3番です。「ウィーンのリズムと同様にドナウは勢いよく流れる、だからライン河をもつドイツとオーストリアは対等だ」なんて書いてますよ。よくわからない論理ですが。強国プロイセンに対して微笑ましいコンプレックスを抱いていたのですね。

おしまいに余談ですが、実はヨハン シュトラウスってユダヤ人でした。ただ、早くからキリスト教に改宗していたので、これを知る人は少なかったようです。その後オーストリアがドイツ第三帝国の一部になったとき、ヒトラーはユダヤ人の芸術をことごとく排除しようとしましたが、さすがに「美しく青きドナウ」を禁止したらオーストリア人がいうことをきかなくなるかも知れないと危惧しました。それで、ヨハン シュトラウスがユダヤ人であることはひた隠しにしていたそうです。そういえばヒトラーも生まれはオーストリアでしたね。ドナウの支流のイン川のほとりにあるブラウナウという町が故郷です。ひょっとして、ヒトラーも実はドナウが好きでたまらなかったんでしょうか?


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