オーストリア散策エピソードNo.001-050 > No.026
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5国と1皇室を潰したトホホな国歌
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Gott erhalte...−神よ護り給え

Gott! erhalte Franz den Kaiser,
Unseren guten Kaiser Franz!
Lange lebe Franz der Kaiser
In des Glueckes hellestem Glanz!
Ihm erbluehen Loorbeer-Reiser
Wo er geht, zum Ehren-Kranz!
Gott! erahalte Franz den Kaiser,
Unsern guten kaiser Franz!

神様、フランツ帝を護ってね。
いい皇帝よ、フランツは!
フランツ皇帝、長生きしてよ。
最高にラッキーな人生を送ってね。
月桂樹の若木だって咲き誇って、
あんたのことを褒めてるでしょ。
神様、フランツ帝を護ってね。
いい皇帝よ、フランツは!



上の歌は、オーストリア最古の国歌です。正確に言えば国歌(Nationalhymne)というよりも帝歌(Kaiserhymne)と呼んだほうがいいようですが。しかし、上の歌詞ってなんだか半分皮肉や冗談にも聞こえてきますね。フランツ帝とは、ナポレオンにひどく負けてついに「神聖ローマ帝国」の看板を下ろした、ヤル気なしの皇帝ですから。しかも、その看板を下ろした「神聖ローマ帝国」は、何の改革もしないまま「オーストリア帝国」と商標を変えて細々と営業を再開しました。要するに、民事再生法に陥ったボロ会社とさほど変わりなかったわけです。

この国歌(帝歌)を作曲したのはヨーゼフ・ハイドン、時は1796年から1797年でした。英国の「God save the King(1745年制定)」が国民の意識高揚に役立っているみたいだから、是非自国にもというわけで作られたのです。当時オーストリアはフランス相手にずいぶん旗色が悪かったので。しかしトホホなことに、はるばるロンドンから「神よ護り給え」という歌詞を盗んできたのに、ナポレオン軍にはまったく効果なしでした。

ところで、このハイドンが作曲したメロディーには、その後ヨゼフ・ビヴィツキー将軍によって独自の歌詞がつけられ、ポーランドの国歌にも流用されました。その国歌のタイトルは「ポーランドはまだ消えじ」です。ロシア、プロイセン、オーストリアによるボーランド分割がよほど悔しかったのでしょう。しかしここでまたトホホなことが。20世紀に入ってから、ポーランドは独ソに蹂躙されて、またもや地図から消えてしまったのです。ちなみに、今のポーランドの国歌はこの縁起の悪いメロディーをもう使っていませんが、「ポーランドはまだ消えじ」の歌詞だけは健在だそうです。

もちろん、オーストリアも負けはていません。もっとトホホなことをやってのけますよ。国歌に秘められた願いとは裏腹に帝政が崩壊したあとの1920年12月、カール・クラウスが「神よ皇帝を護り給え」の替え歌で「神よ皇帝から(国民を)護り給え」という歌詞を作りました。さらに、共和制の指導者を讃えて「神よレンナーとザイツを護り給え、スイスにいる皇帝にはご用心を!」という替え歌まで作られる始末で、いやはやです。もちろん、ここでもハイドンのメロディーは疫病神ぶりを遺憾なく発揮、レンナーやザイツの新共和国は長続きしませんでした。神様はスイスに亡命中の皇帝こそよく見張っていたものの、ナチスのほうには全然気をつけていなかったので。

オーストリア国歌のメロディーがもつトホホの歴史はなおも続きます。かのヨーゼフ・ハイドン作曲の縁起悪いメロディーにドイツの詩人ホフマン・フォン・ファラースレーベンの書いた歌詞(1841年作詞)がつけられて1848年に「Lied der Deutschen(ドイツ人の歌)」という歌ができていたのですが、これが1922年にワイマール共和国の初代大統領エーベルトによって正式な国歌と宣言され、その後ご存知のようにワイマール共和国もまるでハイドンの祟りに遭ったかのごとく崩壊。さらにこの国歌を相続したドイツ第三帝国も第二次世界大戦に敗れて露と消えました。

以上、これでハプスブルク家、オーストリア=ハンガリー帝国、ポーランド、ワイマール共和国、旧オーストリア共和国、ドイツ第三帝国と、合計で1皇室と5国がハイドンのメロディーとともに沈んでしまいました。

そして戦後。オーストリアはとうとうこの疫病神みたいな旧国歌の旋律に恐れをなしたのか、新しい国歌にはモーツァルトのメロディーを採用しました。その甲斐あってというわけじゃないんでしょうけど、同国はヒトラーの生まれ故郷であるにもかかわらず、戦後はドイツに併合された被害者という扱いを受け、国家としてのお咎めはウヤムヤになりました。一方、ドイツ(旧西独)は戦後も1952年にワイマール共和国時代から続く旧国歌のメロディーを頑固に維持することを確認。そして東西ドイツに分断されるという厄介も乗り切ってドイツ統一を果たしヤレヤレと思ったものの、旧戦勝国にいじめられて果てしなくお詫びし続ける身分であることは依然変わらず。ここまでくるとハイドンのメロディーはどうも縁起が悪いとしか言いようがありません。

ちなみにこのドイツ国歌の「Deutschland, Deutschland ueber alles.」という部分は一般に「alles=世界の他の国」と取られて「ドイツ国、ドイツ国、世界に冠たる」という意味とされていますが、当のドイツ人たちの真意からするとこの「alles」は「ドイツ圏にあるたくさんの国々」を指したもので、「バイエルン王国だプイセン帝国だと分かれた国々よりも統一体のドイツ国が重要」として、ドイツ民族の統一国家を求める愛国心を言いたかったというお話しがあります。さらに現ドイツ国歌はアーデナウアー首相の提唱により国家の式典では3番しか歌われないようになったのですが、それは1番の歌詞に今のポーランド領がドイツ領として歌われているためといいます。しかし、今のポーランドのうち西部のほうは第二次世界大戦後に連合国側が無理矢理ドイツから分捕ったもので、それに苦情をいうと叩かれそうなところはちょっと可哀想。

こうして考えると、ドイツがハイドンの祟りに負けずに今の国歌のメロディーを維持しているのは、旧戦勝国側の論理に対する静かな抵抗なのかも知れませんね。

※注)戦後のオーストリア国歌のメロディーを「ハイドン作曲」と書いておりましたが、よく調べたら「モーツァルト作曲」だったので、これを訂正しました。(2003/12/13)
※注)日独協会の方から現ドイツ国歌はワイマール共和国時代にできたことのなど数点のご指摘をいただき、本文の後半を修正いたしました。(2005/1/2)


参考資料1:オーストリアの旧国歌・楽譜

オーストリア旧国歌の楽譜

参考資料2:オーストリア国歌のmidi
オーストリアの旧国歌の試聴はこちら、新国歌の試聴はこちらです。


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