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町娘と結婚した大公殿下2人
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ヨハン大公 アンナ・ポッフル
ヨハン大公 アンナ プロッフル

オーストリアの南東部にあるシュタイアーマルク州 -- ここは「アルプス王ヨハン大公」の里でもあります。ヨハン大公(1782-1859)とはハプスブルク家出身のトスカーナ大公レオポルトの息子で、生まれは華やかなフィレンツェの町でした。自由主義的な思想の持ち主とされ、ご領地の人々からの人気もなかなかです。「ヨハン大公のヨーデル」という民謡 (→試聴はこちら) まであるほどですから。この大公の人気の最大の理由は、やっぱり町娘との結婚でしょうか。

ヨハン大公が惚れた相手は、アウスゼーとい町に生まれた郵便局長の娘、アンナ プロッフル(1804-1885)です。2人が初めて会ったのは、ヨハンが30歳、アンナは15歳の時でした。そしてアンナが19歳になったとき、ヨハンはこの娘と結婚したいと思いました。で、ここで面白いのはヨハンの行動です。アンナのお父さんに「娘さんを下さい」と言って、断られていますから。皇帝継承権をもつ大公殿下にノーと言ったアンナのお父さんもすごいけれど、わざわざ低姿勢で頼みに行ったお殿様のヨハンもさすがです。アンナのお父さんは、てっきり娘が側室にでもされると思ったようですね。しかし、ハプスブルク家ではマリア=テレジアマリア女帝の時代に浮気禁止令が出て以来、特に一夫一婦制には厳しいという伝統がありました。で、最後にはアンナのお父さんも、娘の結婚を承諾します。

しかし、事はこれだけで終わりません。ヨハンは皇室の許可も得なくてはならなかったのですから。彼はその交渉に粘り強く臨みました。そして6年もかかって、皇帝ヨーゼフ1世はしぶしぶ承諾(承諾のあと宮廷の反応を見てのらりくらりしたけどやっぱり承諾)をします。1829年のことでした。そのときの条件は、ハプスブルク家の一族としての特権の多く捨てるべしというものでしたが、ヨハンはまったく平気でした。だって、アンナと一緒になれるんですから。ちなみに、ヨハン大公は大好きなアンナのことを「Nannerl(ナンネル)」と呼んでいたそうです。日本語でいえば、「アンちゃん!」って意味です。

さて、その後のヨハンですが、当時のハプスブルク家の中では最も能力と人望のあるひとりでしたから、宮廷からそれほど冷たくされたることはなかったようです。対バイエルン戦争で苦戦したり、保守派との確執で骨を折ったりはしましたが、ちゃんとマトモな仕事はありました。また、ヨハンは自然科学、技術、農業に大きな興味を示し、その豊富なコレクションはのちに郷土の博物館で展示されることになります。さらにアルプスの山歩きもよくしていて、シュタイアーマルクの地をとても愛したとされています。一方のアンナも聡明な女性で、シュターアーマルクの郷土料理の育成に力を入れたり、救児院を設立(1859年)したりと、民衆のためによい仕事を残しました。心が満たされて善政なった、といったところでしょうか。

ところで、このヨハン大公とアンナの200年以上前にも、市民の娘と結婚したハプスブルク人がいます。それは、アウグスブルクの商人の娘、フィリッピーネ ヴェルザー(1527-1580)と結婚した、チロル大公フェルディナント2世(1529-1595)です。この2人が宮廷から受けた制限はヨハン大公のときと比較にならないほど厳しく、しかもその結婚で皇室との間も大変だったと聞いています。それにもかかわらず、フェルディナント2世とフィリピーネの生活は幸福で実り多いものでした。

2人が結婚したのは、フィリピーネ30歳、フェルディナント2世28歳のときです。この2歳年上の夫人はヘタな貴族よりずっと聡明な女性で、たとえば薬草などにも深い知識をもち、127ページにおよぶ処方の本を書きました。この本は現在、ウィーンの宮廷図書館にあります。また彼女は136ページに651種類の料理のレシピーが入った本も書いています。薬草といい料理といい、市民出身ならではの業績ですね。一方のフェルディナント2世はインスブルックにあったアンブラス城を大改修、これを妻に贈ります。また、芸術品や珍しい品のコレクションを後の世に残したところは、ヨハン大公と共通していますね。

しかし、ヨハン大公といい、フェルディナント2世といい、よくこれだけ立派な女性をみつけてきたものです。その人をみる目は確かだったと思いますよ。またこの2人、必要以上の地位や特権はかえって不幸の種になるということにも気付いていたんですね。一方、同じ恋愛結婚でも、皇帝フランツ=ヨーゼフとシシー(エリザベート皇后)は幸福になれませんでした。シシーはフランツ=ヨーゼフに会ったとき、「あの人が皇帝でさえなかったら...」と言ったとか。財産にせよ地位にせよ、持ちすぎは不幸のもとだって予感していたのですね。


フィリピーネ・ヴェルザー ファルディナント2世
フィリピーネ・ ヴェルザー 大公フェルディナント2世

今回の「ヨハン大公のヨーデル」のmidiファイルは、punktさんのGENERALPAUSEというHPにあった「音の小箱」のコーナーからいただきました。このHPにはきれいな写真のコーナーもあります。



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