A.M.ハンスマンという人が書いた「音楽都市ウィーン」(日本語版は音楽の友社が発行)によると、1804年にウィーンで快適な生活を送ろうとしたら年に967フローリンのコストが必要だったと推定されるそうです。その内訳は部屋代128フローリン/年、光熱費40フローリン/年、食費500フローリン/年、服代225フローリン/年、洗濯代30フローリン/年、雑費44フローリン/年とか。食べることと着ることが支出の75%を占めるとは、なんとお気楽な生活なのでしょう。それとも、食品と衣料の物価が極端に高かったのでしょうか?
もっとも、フローリンじゃ日本の人たちには金額のレベルが全然わかりませんね。そこで、ちょっと無茶を承知の上で元々1フローリン=金3.5g(16世紀のベネチア)だったことをベースとし、これに現在(2002年8月)の金1g=約1,500円を当てはめて「1フローリン=約5,000円」ということで計算してみましょう。このレートだと947フローリンは約485万円です。これ、一見すると意外に安いようにも見えますね。でも、今のように家電、パソコン、ケータイ、自家用車、大学進学が普及してなかったことを考えれば、やっぱり生活水準のわりにコストは高かったと言えそうです。
さて、上述した年に485万円(967フローリン)もかかるのは、あくまでも豊かとされる暮らしの話しです。現実に当時のウィーンでそんな生活ができた人はごくわずかでしょう。その証拠を示すのが下のリストです。これは、1817年から1837年ごろにおける、ウィーンの人々の職業別年収ランキングです。年収500万円以上が「楽勝組」、200万円から499万円の層は「どうにかなる組」、そして199万円以下は「苦労人組」といえるでしょうか。「楽勝組」の職業から判断して、どうやら年間485万円も支出できたのは人口の1%になるかどうかというところですね。ただ、このランキングを見ると、当時と今では職業や名誉の評価がだいぶ違うことがわかり、ちょっと興味を惹きますね。
全職業の中で最も高給なのは、ハプスブルク家の皇帝です。米国の大企業のCEOにはかないませんが、日本の首相には余裕で勝利ですね。2位のウィーン大司教に2倍から3倍以上の差をつけて、君主の面目を維持しました。しかし、元をたどれば皇帝は教皇から任命されていたはずですが。バチカンの人々は皇帝と大司教の待遇の差をどう思っていたのでしょう?ウィーン会議の前後でザルツブルクをはじめとする教皇の直轄領を没収された身では、文句を言う元気もなかったのでしょうか。一方、伯爵クラスは人によってだいぶ差があります。「裕福な伯爵」の間だけでも4倍の差ですが、「裕福じゃない伯爵」も含めたらどこまで差がつくのでしょうか。この人たちは自分の領地の経済活動の運営次第で、成果が大きく変わります。今の時代で言ったら、さしずめ外資系大企業の経営者みたいな存在とも言えるでしょう。
音楽関係者の待遇がいいのは、なんだかウィーンらしいという感じがします。パリやベルリンを見ないと、本当のところは断定できませんが。しかし、音楽家がケチなことだけは断言してもいいでしょう。ハイドンが召使に与えた給与は堂々のウィーン最下位を記録しています。ハイドン自身はハンガリー系のエステルハージー公爵からけっこうな給料をもらっていたはずですが。あと、音楽の主演クラスの人なら男性よりも女性のほうが高給という点も面白いですね。
またこのリストを見ると、日雇い労働者とかごかつぎの健闘が目立ちます。若手の大学講師や郵政省の職員を5割以上も上回っていますよ。今の世界ではまったく考えられないことです。当時は力を使ったりものを生産したりする労働が、一般の公務員の仕事よりも価値の高いものとみなされていたのですね。
軍人の給与が低いのは、食事や軍服などの現物支給があるせいだでしょうか?しかし、中尉や少尉の俸給が宮廷礼拝堂の合唱児童と大差ないというのは、ちょっと笑える話しでもあります。オーストリア軍があまりにも戦争で負けを重ねた罰なのでしょうか?
※注)ここでは便宜的に1フローリン=5,000円としましたが、いろんな資料を見ていると1フローリン=3,000円など、他にもいろんな説があります。また、金との交換比率ではなく食料品などを基準にすると1フローリンの価値はさらに変わってきます。よって、下の表にある円表示の金額はお話しをわかりやすくするための参考程度と思ってください。ちなみに、2009年3月10日の金価格を基準にすると、下記の年収一覧表はこちらのとおりに激変します。
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