オーストリア散策書棚 > No.35
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「塩」の世界史
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「塩」の世界史


出版元 扶桑社 発行 2005年12月30日(初版)
著者 マーク・カーランスキー 体裁 13.5cm×19.5cm
訳者 山本光伸 ページ数 446ページ


目次

序章 岩 ・・・ 9    
第一部 塩、死体、そしてピリッとしたソースにまつわる議論 ・・・ 21
塩に託されたもの/魚、家禽そしてファラオ/タラのように固い塩漬け男/塩ふりサラダの日々/アドリア海じゅうで塩漬けを/二つの港にはさまれたプロシュート    
第二部 ニシンのかがやきと征服の香り ・・・ 107
金曜日の塩/北方の夢/塩たっぷりの六角形/ハプスブルク家の漬物/リヴァプール発/アメリカの塩戦争/塩と独立/独立の維持/塩をめぐる戦い/赤い塩    
第三部 ナトリウムの完璧な融合 ・・・ 285
ナトリウムの悪評/地質学という神話/沈み行く地盤/塩と偉大な魂/振り返らずに/自貢最後の塩の日々/マー、ラーそして毛/魚より塩をたくさん/大粒の塩、小粒の塩    
謝辞 ・・・ 441    
訳者あとがき ・・・ 443



ひとこと


塩というと今ではお安い商品のひとつに過ぎませんけれど、ほんのちょっと前の19世紀まではどこの国でも大変貴重な代物でした。英語の「サラリー(salary)」の語源が「塩(salt)」というところを見てもすぐに察しはつくと思いますが。そして、オーストリアは塩が歴史に大きくかかわった国の最右翼のひとつです。

オーストリアの古代文明といえば「ハルシュタット文化」が有名ですね。そして、その遺跡があるハルシュタット(Hallstatt)の語源は、ケルト語で「塩」を意味する「ハル(hal-)」で、この村の外れには今も岩塩坑が残っています。また、ザルツブルク(Salzburg)という町の「ザルツ(Salz)」はドイツ語で「塩」という意味で、その近くにはこれまた大きな岩塩坑の町ハライン(Hallein)があります。ザルツブルクはなんと19世紀までオーストリア領ではなくバチカンから派遣されてきた大司教の国だったのですが、これだけ塩が豊富となると、ローマ法王がなかなか手放さなかったのもナルホドといったところですね。    

そんなわけで、この本は「世界史」といいながらかなりのページをオーストリア関連に割いています。よって、オーストリア史の文献としても十分に活用の価値はあります。    

とはいえ、トホホ好きの私としては、塩を巡って繰り広げられた人々の思惑や喜劇のほうがもっと面白かったですけど。例えば、オランダはスペインから独立したとき、スペインの塩が売ってもらえなくて大弱りに。が、オランダ人は警備が手薄だったスペイン領ベネズエラの塩水湖から無料で塩を調達する(つまりコソドロする)という名案でその問題を見事に解決したのだとか。また、当時の塩運搬船の船長は行った先でヒマを持て余し、最初のうちはウミガメでも捕まえて遊んでいたんだそうです。しかし、のちには奴隷と協力しあって知らない船を浅瀬におびき寄せては難破させ、そこからお荷物を失敬するという悪知恵を身に付けたのだとか。一方、イギリスのノースウィッチでは岩塩の掘りすぎで町が大陥没。この本には、そんな情けないお話しの数々がさりげなく散りばめてあります。そういう部分を拾い読みするだけでもけっこう楽しいですよ。    

余談ですけど、この本には「アメリカ・インディアンの中には、製塩を知らない部族もけっこうあった」記されていて、ちょっと不思議に思いました。で、その理由を調べたらある塩の歴史のサイトに、「人が製塩を必要とするようになったのは、農耕が始まってからのこと。なぜなら、穀物にはカリウムが含まれ、これが体内のナトリウムを減少させるからである。」と解説してありました。世界の人々がみんな狩猟生活だけしていたら、塩の歴史は生まれなかったのですね。    



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