オーストリア散策書棚 > No.34
前に戻る


黄昏のウィーン - ハプスブルク王朝の終焉
line


黄昏のウィーン


出版元 新書館 発行 1986年1月10日(初版)
著者 須永朝彦 体裁 13.5cm×19cm
ページ数 275ページ


目次

●昏れゆく大帝国 - 孤独の皇帝
●双胴の鷲の下に - ハプスブルク年代記
●嵐の中の出立 - フランツ=ヨゼフの即位
●美貌の皇后 - フランツ=ヨゼフの結婚
●ライタニエン - 二重帝国の成立
●時代は円舞曲につれて - ウィーンの変遷
●皇后と王妃と女優 - 1880年代の皇帝夫妻
●マイヤーリンクの謎 - ルドルフ皇太子の最期
●旅路の果て - エリザベト皇后暗殺事件
●斃れる巨木 - ハプスブルク帝国の崩壊
●ウィーン*フィルモグラフィー    



ひとこと


この本は元々、エリザベート皇后(シシー)とその周りの人々に関する資料として買い求めたもので、しかもその意図で読んでも十分に目的の達成できる1冊でした。

ところで、ハプスブルク王朝の帝国というと、かつて面積だけは大きかったばかりに、よく「栄光と悲惨」などと表現されますね。しかし、その歴史をよく眺めてみると、「トホホはあったけど大栄光ありというのは大袈裟かも」という気がしてきます。例えばナポレオンにやられるまでハプスブルク家から皇帝が出ていた「神聖ローマ帝国」は、フランスのヴォルテールから「神聖でもローマ的でもなく、帝国ですらない」とこきおろされていましたし、それはあながち嘘ともいえませんでした。「日の沈まない国」と謳われた時代でさえ、実際のハプスブルク帝国にはいろいろなほころびがあって、それが目立たないようにつぎはぎされていましたから。そしてそのインチキ帝国は「オーストリア帝国」や「オーストリア=ハンガリー帝国」に化けるなど、あの手この手でなんとか延命し続けたものの、そこから国運が上向く気配は一向になく、第一次世界大戦での敗北とともにとうとう崩壊してしまいました。    

こうしてみると、ハプスブルク帝国というのは生まれたときからすでに寝たきりの素質を備えていたのかも知れません。そして、帝政崩壊間際に皇帝だったフランツ・ヨーゼフと皇后だったシシーは、ハプスブルク帝国を滅ぼしたというよりも、むしろ延命させてあげた人ということができそうです。先代のフェルディナント1世(無能すぎで生きてるうちに廃位)が皇帝を続けていたら、帝国の崩壊はもっと早かったでしょうし、その内容もかなりみっともなくなっていたと思います。

なお、ハプスブルク帝国が歴代の皇后の中でいちばん美しいシシーのいた時代に崩壊を本格化させたというのは、実に芸術的なタイミングだったということができます。帝国崩壊のときの皇后がもしも下品でブサイクな人だったら、著者は絶対にこの本を書く気になど到底なれなかったことでしょう。    



line

前に戻る