オーストリア散策書棚 > No.31
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民衆バロックと郷土
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民衆バロックと郷土


出版元 名古屋大学出版会 発行 1988.10.15 (初版)
著者 L.クレッシェンバッハー 体裁 16cm×22cm
訳者 河野眞 ページ数 358ページ


目次

伝統と生成の間を歩く ...1 / タンホイザーの天国行き ...12 / ファウスト、堕地獄と救済の間で ...25 / グラーツのジョヴァンニ・テノリオ ...48 / クラーゲンフルトの聖なる頭 ...57 / 石像の劇場 ...66 / 聖なる階段 ...74 / 救済の影 ...80 / ロンギヌスと聖なる槍 ...98 / 家長ヨーゼフ ...110 / 神の怒りの矢 ...125 / 棕梠の日の驢馬さながら、きんきらきんの服装をして ...140 / 教会塔上の雄鶏 ...147 / 穀穂文様衣装のマリア ...161 / 額に血痕をもつマドンナ / 御聖体の日に花環行列 ...185 / 聖レーオンハルトと鉄鎖 ...204 / 聖女キュマニスとヴァイオリン楽士 ...220 / 橋の聖者 ...234 / シュタイアマルク-ケルンテンの農民イエダマン ...241 / 羊飼いの歌と死の舞踏 ...261 / 訳注 ...277 / 解説 ...322 / (※巻末に地図もあり)


ひとこと


今日もかなりマニアックな1冊のご紹介です。その証拠に、この本は初版が出た1988年から現在(2006年12月3日)に至るまで18年間にわたって、一度も増刷された形跡がありません。また、これが絶版になっていないところから察するに、出版元の在庫もけっこう豊富なようです。トホホ。

しかし実際に読んでみると、この本にはオーストリア史を学ぶ人でなくても興味のもてそうなことがたくさん載っています。こういう本が人知れず在庫になっているのはもったいないことですね。本の表紙カバーに載っている著者・L.クレッシェンバッハー博士の顔が苦虫を噛み潰したような表情になているのは、そうした事態を予期してのことだったのでしょうか?

この「民衆バロックと郷土」の副題は「南東アルプスの郷土文化史」となっていますが、ここでいう「郷土」とはオーストリア南東部にあるシュタイアーマルク州のことです。オーストリア人の「郷土愛」といえば、「チロル人にあらざるはオーストリア人にあらず」と豪語するチロル州(旧チロル伯領国)が最も強烈です。この人たちは、ナポレオン戦争のときウィーンの宮廷が白旗状態になっても構わず、アンドレアス・ホーファーを首領にして老若男女を問わずレジスタンス活動に励んでいました。が、チロルの次に「郷土愛」が強いといえば、やっぱり国民の人気が高かったヨハン大公をボスにもつシュタイアーマルク州(旧シュタイアーマルク公国)ではないかと思います。この地方には「ヨハン大公のヨーデル」という歌も残っています。    

また、シュタイアーマルクの「郷土愛」というのは、t他と一風変わったところがあります。それは、ナポレオン戦争で負けたとき、ハプスブルク家の城の爆破は仕方ないとあっさりあきらめる一方で、グラーツの町のシンボルである時計台だけは必死で守り抜いたという歴史のひとこまによく象徴されていると思います。つまり、当地の人々のヨハン大公(ハプスブルク家出身)に対する敬愛は、ハプスブルク家という血筋ではなく大公個人に向けられたものであり、また、一部の人だけの出入りする場所である城よりは、コミュニティー全体の共有財産である時計台のほうが大事だったのです。そして、この「民衆バロックと郷土」に書いてあることには、そういったシュタイアーマルクの土壌の生まれる経緯がよく表れています。    

バロックといえば、権勢を誇ることを兼ねて造られた王侯貴族や大司教などの宮殿が有名ですが、さすがにシュタイアーマルクの農民や都市の民衆がそういうものをまねすることは無理でした。当たり前のことですが。ただ、バロック時代の精神というものは貧富の差に関係なく、なんだかんだいって伝わってきます。そして、民衆は民衆でそれを自分たちの中に取り込み、自分たちなりに消化してゆきました。たとえば、ドイツ語圏に広く伝わる「ファウスト博士」や「タンホイザー」の伝説がいつの間にかハッピーエンドのお話しに作り替えられた点などは、道を踏み外しても人間に自力再生の意思があればリカバリーが可能という自律的な発想の表れですね。そういう元気の源泉には、バロック時代のよきにつけ悪きにつけ力強い精神というものがしっかり影響していたと思います。    

また、ここで注目したいことに、シュタイアーマルクの民衆は進んだ都会や権力者のところから流れてくるバロックの精神をちゃんと取捨選択していたようですよ。つまり、同じバロックでも宮廷のあるウィーンとはまた違った価値観を確立していたのです。そして、こうした自分たち独自の価値観と選球眼があったからこそ、シュタイアーマルクの人々は自分たちの歴史と文化に誇りを感じられるのでしょう。    

こうして考えると、やたらに「グローバルスタンダード」に追従しようとする今の世界の国々よりも、昔の南東アルプスの民衆のほうがよほど賢明だったという気がしてきます。その意味で、この本は現代の人々にとって、モノの考え方を見直すよいきっかけの1冊になるかも知れません。    



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