オーストリア散策シシー > トピックス No.01
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日本郵便、シシーの切手を発行
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今日は「シシー切手」の緊急レポートです。昨日(2009年11月2日)、近所の郵便局で何気なく新発行の記念切手を眺めていたら、シシー(エリザベート皇后)の肖像のついた「日本オーストリア交流年2009」のシートを発見しました。で、ちょっと調べてみたら発行時期は2009年10月16日、発行枚数は130万シートでした。まあ、これだけ発行すればシシーファンにはひととおり行き渡るでしょう。よかったですね。ただし、シシー1枚につきモーツァルトだのなんだのが9枚も抱き合わせになっていますが。

日本オーストリア交流年2009の記念切手-1
日本オーストリア交流年2009の記念切手シート

ついでながら、日本と国交を始めた頃のオーストリアは「オーストリア=ハンガリー帝国」といいましたから、2009年は日本ハンガリー交流140周年でもあります。そこで確認してみたところ、「日本ハンガリー交流年2009」という切手シートもちゃんと出ていました。で、その中にシシーの肖像の切手はないのですが、当人の名を冠した「エリザベート橋」のなら1枚入っています。この橋はハンガリーが共産党の支配下にあったころでも、帝政時代の名前を維持していたんですよ。ウィーンでは困ったちゃんのシシーでしたが、ハンガリーではニコちゃんだったのです。

なお、せっかくの機会なので、今回の「日本オーストリア交流年2009」のシートに入っている個々の切手の画像も紹介しておきましょうね。まずいちばん上の段には他の8枚よりもサイズの大きいクリムトの絵と日本の浮世絵の切手があります。で、クリムトの絵のほうのモデルはエミーリエ・フレーゲという女性。この人はクリムトの恋人でした。エミーリエ・フレーゲと日本には別に大した関係はなかったと思いますが、クリムトはのうは金箔を使った絵をいくつも描いてて、これがなかなか日本風味です。

日本オーストリア交流年2009の記念切手-2

そして2段目の2枚はウィーンの美術史博物館とシシーです。このシシーの肖像画はヴィンターハルターという画家が描いたものなのですが、昔ウィーンで聞いたところによると、レプリカも何枚かあるのだそうです。また、この肖像画の中でシシーがつけている星の形の髪飾りはウィーンのケッヒェルト(Koechert)という宝石店で作られたもので、現在はその復刻版が出ています。切手だけじゃ物足りない方はどうぞ。

日本オーストリア交流年2009の記念切手-3

上から3段目はウィーンからドナウ川を西に80kmほど遡ったところにあるメルク修道院(欧州屈指のバロック建築)の切手です。メルクは人口5千人程度の田舎町ですが、実を言うとここは「オーストリア」という地名(正確には「オスタリーヒ」)が文献に初めて現れたとき、その国の主の城があったった町なんですよ。時はハプスブルク家より約300年も前の、バーベンベルク家初期のことです。そして、そのバーベンベルク家の城があったのは、今回の切手に載っている修道院の場所なのです。

日本オーストリア交流年2009の記念切手-4

下から2段目の切手はザルツブルクとモーツァルトですね。これは何も説明する必要がないでしょう。そうそう、この2枚の切手のちょうど真ん中にある教会はコレギエン教会というのですが、これはモーツァルトのお父さんが中退したザルツブルク大学(私もここに留学してました)の付属教会なんですよ。

日本オーストリア交流年2009の記念切手-5

いちばん下の段の切手の写真はハルシュタットです。ここは歴史の教科書に載っているハルシュタット文化で有名ですね。「ハル」というのは元々ドイツ語じゃなく、ケルト語で塩を意味しているといいます。そして、このあたりでは太古の昔から塩が採れました。また、「サラリー」の語源が塩(Salt)にあるとされることからも察することができるように、塩はこの地に富をもたらしました。オーストリア最古の文明が生まれたのもナルホドというロケーションですね。

日本オーストリア交流年2009の記念切手-6

以上、今回はシシーに関係ないことがずいぶん多くなりましたが、とりあえずついに日本でも皇后様の切手が発行されたことはなによりです。個人的にはシシー一色の切手シートも発行していただきたいところですが。私はサラリーマン時代に宣伝担当の職歴が長く、広告制作で賞を取った経験もあるので、内心ではシシー切手のデザインを日本郵便に提案したくてうずうずしているところもあります。ダメ元で案だけでも送ってみましょうか?


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