オーストリア散策シシー > アラカルトNo.17
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シシーと会食した日本人



日本人の中に1人だけ、明らかにシシーの至近距離で食事をしたことのある人がいます。その人とは、岩倉具視です。1873年6月に欧米使節団としてウィーンを訪れた岩倉具視は同年6月8日にシェーンブルン宮殿で行われた宮中午餐会に招待され、シシーの隣りの席でごはんを食べています。もっとも、会話は全然弾まなかったそうで、そんなに楽しい食事じゃなかったようですが。

のちの記録によると、この日のシシーは「異教徒と食事なんて気が進まない」と言って終始不機嫌だったとされています。しかし、たぶん異教徒はあまり関係ないでしょう。というのも、シシーは日曜日に肉は食べるわ、オカルトは大好きだわで、とても敬虔なキリスト教徒とはいえなかったので。それに、シシーは元々儀礼や公務に出るのが大嫌いだっだので、午餐会だろうが晩餐会だろうが公式の場ではいつでもご機嫌がよくありませんでした。ドタキャンしないで出てきただけでも上出来です。

それにしても、天皇でも首相でもない岩倉具視のお隣りにシシーを座らせるというのはなかなか大袈裟。そういえば岩倉使節団が通過した帝国内のあちこちの駅では正装した駅長らがこの上なく丁寧に歓迎して、これまた大袈裟でした。これでは日本ごの一行は不平等条約じゃなく逆不平等条約を結んだ国に行ってるみたいですね。いったいオーストリア=ハンガリー帝国は何を企んでいたのでしょうか?

実はこれ、どうも不平等条約の延命を図るのが目的だったフシがあります。欧米各国を訪れた岩倉使節団の目的のひとつには、不平等条約改正の糸口を掴むということがありました。しかし、米国や英国がそれに応じる可能性はまずありません。そこで明治政府は、まず日本とあまり利害家関係のないオーストリア=ハンガリー帝国との間で条約改正を図り、それを突破口にして他の欧米列強にも状況の改善を求められないか、ということに希望をつないでいました。一方オーストリア=ハンガリー帝国のほうは、自分が条約改正の引き金を引いて他の欧米列強から非難轟々になるのはイヤだったけど、かといって不用意に日本と喧嘩をするのもイヤでした。そんなわけで、「ここはとにかく派手に歓迎し、ウヒョウヒョ言ってるうちに問題をウヤムヤにしよう!」という選択肢しかありませんでした。

そうそう、このウヒョヒョ計画にシシーは一度ならず二度までも加担させられています。岩倉使節団がオーストリアを訪れた1873年は、ウィーンで万博が行われた年でもありました。で、万博の日本コーナーを訪れたシシーは大工の鉋さばきに感心し、そのときの鉋くずを記念に持ち帰ったそうです。確かシシーは万博の開会式をサボったはず(←後日再確認します)ですが・・・。日本コーナーではドタキャンしないだけでも偉いのにお褒めのことばまで下さるとは、ホントにご苦労なことです。

それから、ウィーン万博では日本の産品に授賞の大盤振る舞いというのもあったんですよ。出品された日本製品の200点に賞とメダルが贈られたんだそうです。特に上位の賞である栄誉賞では、大国である米国が2つしか獲得できなかったのに対し、当時まだ新興国だった日本は5つも受賞。これ、本当に全部実力なんでしょうか?私にはどう見ても不平等条約改正から日本の目をそらすことを目的としたオーストリア=のハンガリー帝国の涙ぐましいお心添えに思えて仕方ありません。

が、いずれにせよ日本をヨイショして事をウヤムヤにするオーストリア=ハンガリー帝国の作戦は大成功となりました。しかし、オーストリア=ハンガリー帝国がヨイショした日本はそのままヨイショの状態が続き、これはこれで悪くない感じでした。というのも、このヨイショのおかげで、日本は明治維新からわずか数年のうちにそうそう未開でもない国と広く思われるようになったのですから。そして、欧米が明治政府に不平等条約を押し付けるときの大義名分のひとつだった「未開人の法なんて怖くて受け入れられない」という文句は、これで少し使いにくくなってきたのも事実でしょう。そこから考えると、シシーがランチで岩倉具視の隣りに座り、日本の大工の鉋さばきに感心したということは、隠れた歴史の大きな一幕だったのかも知れませんよ。

余談ですけど、明治のころの日本ではワインを飲む欧米人を指して「血を飲んでいる」と言っていた人がいるそうですが、あれは誰が誰を見て言ってたんでしょう?もしも岩倉具視がシシーを見て言ったのだとしたら、それは誤解じゃなかった可能性もあるのですが。というのも、シシーは美容のために牛の腿肉を絞って出した血のジュースを飲んでいたことがありますから。しかもシシーがそれを飲み始めたのは1867年ですから、岩倉具視と会食した1873年なら、まだ飲んでいた可能性は大ですよ。

◆参考資料:
日本オーストリア関係史 - 四章 海の両側の外交官たち

ペーター・パンツァー著、竹内精一、芹沢ユリア訳
ウィーンの日本 - ウィーン万国博覧会の花形"日本"
ペーター・パンツァー、ユリア・クレイサ著、佐久間穆訳
ハプスブルク家の食卓 - ケーキとダイエットの間で 皇妃エリザベト
関根淳子著、集英社






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