オーストリア散策 > 伝統の宿 > No.09 |
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ザルツブルクの中心街であるゲトライデ通りには、外見の地味なホテルが2つあります。1つはゴルデネ・エンテ(Goldene Ente=黄金のアヒル亭)といって、クラスは3つ星。そしてもうひとつは今日ご紹介するゴルデナー・ヒルシュ(Goldener
Hirsch=黄金の鹿亭)で、ここは見かけによらず実は5つ星の名門ホテルです。このホテルはカラヤンが常宿にしていたところで、創業したのは旧伯爵家の人です。私はザルツブルク留学中に、話しのタネとして一度だけここへコーヒーを飲みに行きました。ちなみに、そのときは格式の高そうな場所ということで見栄を張り、ホテル内でカフェーの場所を訊くのにフランス語を使ったのですが、フロントのおじさんはそれが分からず。しかし、ロビーにいたオーストリア人の老婦人が代わりに流暢なフランス語で「カフェーはそこの通路を通って向こう側ですよ」と教えてくれ、やっぱり「普通のホテルとは客層が違うな」と実感しました。 |
上の絵は今のホテルになる前のゴルデナー・ヒルシュです。この建物の歴史は古く、文献としては今から600年も前の1407年に、ノンベルク修道院(サウンド・オブ・ミュージックのマリアがいた修道院)がまとめた税金支払い者リストに初登場しています。当時のザルツブルクは王や公爵の領土ではなくローマ教皇のご領地だったので、納税の記録も修道院に残っていたんですね。なお、このときのゴルデナー・ヒルシュはすでにガストホーフ(Gasthof=料理屋兼宿屋)を営んでいましたから、事業としてはインスブルックのゴルデナー・アードラー(Goldener
Adler=黄金の鷲亭、1390年創業)と同じくらい古いですね。なんか、どれもこれも外観に反して名前が金ピカなのは気になりますが。 |
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(2) ホテル内の通路 | (3) ロビー |
上の左側の写真はゴルデナー・ヒルシュのゲトライデ通り側の入り口とその裏の通りに面した入り口を結ぶホテル内の通路です。ちょっとした宮殿の中みたいでしょ。また、右上の写真は私が行ったときフランス語の話せる老婦人がいたロビーです。それと、このホテルには複数のレストラン(バーも)があるのですが、私がコーヒーを飲んだテーブルがあったのはゲトライデ通り側の位置だったと記憶しています。コーヒの味そのもはちょっと苦めで、個人的にはゴルデナー・ヒルシュからザルツブルク大聖堂に向かって徒歩数分ほどのところにあるカフェー・トマセッリやカフェー・フュルストのマイルドなコーヒーのほうが好みでしたけど。 |
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(4) 客室1 | (5) 客室2 |
ついでながら、今のゴルデナー・ヒルシュの基礎を築いたのは下の写真のハリエット・ヴァルダードルフさん(Harriet Walderdorff: 苗字のほうは日本語ならさしずめ森村さん)という方です。この人は世界の人々(といっても平民じゃなくそれなりの人)が集まる社交の場を作りたいと考え、1948年にゲトライデ通りにある現ゴルデナー・ヒルシュの建物を購入し、これを改修してホテルをオープン。すると翌1949年には早くもカラヤンがここのお客となり、以降亡くなるちょっと前まで約30年にわたって常連客だったといいます。また、ザルツブルク音楽祭では他の有力な指揮者や同音楽祭の名物である演劇・イェーダーマンの主役などもここに泊まるのが常だったのだとか。 |
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おしまいに、2005年10月の段階でゴルデナー・ヒルシュの創業者であるハリエットさんはまだご健在で、ザルツブルク郊外のガイスベルクという山に住み、テーブルクロスや子供服を作る仕事をしているそうです。ネット販売はしてませんけど。また、ハリエットさんのところの商品には顧客の要望に応じて下の絵のようなマークをつけることもできるんですけど、左下の絵が鹿になっているのはゴルデナー・ヒルシュ(黄金の鹿亭)というホテル名の名残りなのかも知れませんね。 |
◆画像元(縮小画像): |
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