オーストリア散策 > 伝統の宿 > No.08 |
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私の知っているオーストリアの古城ホテルの中に、シングルがわずか1泊32ユーロ(2005年の料金)からというところがあります。日本円にすれば5,000円でおつりがきますね。もちろんこれは一番安い値段の例ですが、通常のツインでも2人で116ユーロ(2005年の料金)ですから、やっぱり城館ホテルとしては破格だと思います。しかもこのホテル、戦後の一時期を除けば別にボロというワケじゃありませんよ。それどころか、ヘタな古城よりもずっといろんな歴史があります。 |
そのホテルとは、上の写真にあるツヴェットル(Zwettl)近郊のローゼナウ城(Schloβ
Rosenau)です。ツヴェットルというのはウィーンの北西部に大きく広がる「森林地区(Waldviertel)」にある人口1万4千人ほどの町で、このあたりにはその昔クエリンガー(Kueringer)というオーストリアではけっこう名の通った豪族が住んでいました。 |
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城内の聖堂 | フリーメソン博物館 |
さて、19世紀になるとこの城は意外な人の手に渡ります。その新しい所有者とは、下の写真にあるゲオルク・フォン・シェネラー(1842-1921)です。シェネラーというのはかなり強烈なドイツ民族主義者で、のちのヒトラーに影響を与えた反ユダヤ、反ハプスブルク思想の持ち主でもあります。 |
シェーネラーの足跡は今でもこの城の近くに残っています。それは下の写真にある変な塔です。これ、プロイセンを中心としたドイツ帝国のビスマルクを讃えてシェーネラーが建立したもので、その名もズバリ「ビスマルク塔」といいます。で、この塔のてっぺんでは毎年オリンピックみたいに火が灯されていたのですが、私がネットで調べたところによると、その祭典は今でもしつこく続いているようですよ。 |
フリーメーソンのロッジからドイツ民族主義者の居城(ウィーン生まれのシェーネラーはこの城で息をひきとりました)を経て、ローゼナウ城にはもう一度大きな波乱がありました。それは1945年のことです。第二次世界大戦後にオーストリアは米、ソ、仏、英の占領下となったのですが、この城のあるニーダーエスタライヒ州を占領したのは連合国の中でもっともガラの悪いソ連軍でした。で、当時のソ連軍というのは物を分捕ることしか考えていませんでしたから、ローゼナウ城も荒れ放題。とうとう持ち主はこの城を売りに出さざるを得なくなりました。 |
![]() スタンダードルーム |
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![]() スイートルーム |
ホテルの内部のようす |
なお、オーストリアにはこのほかに古城を利用したユースホステルというのもありますよ。それはシュタイアーマルク州の山奥にあるローテルシュタイン城です。後日、この城のこともご紹介しましょうね。 |
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