オーストリア散策伝統の宿 > No.11
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Weisses Kreuz (インスブルック)
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ヴァイセス・クロイツのマーク
★★★

今日ご紹介するホテル(※注1)は観光ガイドにもよく載っているインスブルックの「ヴァイセス・クロイツ」です。このホテル名を日本語に訳すと「白十字」になります。なんだかスイスの国旗みたいな名前ですね。また、このホテルがある場所は観光名所の1つである「黄金の小屋根」(※注2)のすぐ近くで、車の多い大通りには面していません。

Weisses Kreuz
Weisses Kreuz (ヴァイセス・クロイツ)の正面

私が「ヴァイセス・クロイツ」に泊まったのは1980年代前半でした。また上の写真は会社の同僚が1994年に泊まったとき撮影してきたものです。でもまあ、オーストリアの古い宿は数十年程度じゃそんなに変わりませんから、このページにある写真は撮り直なさくてもいいでしょう。

「ヴァイセス・クロイツ」の創業は1465年です。時代背景でいいますと、インスブルックが昔のチロル伯領の首都になった翌々年です。また、当時のチロルの領主は「貨幣持ち(Muenzereich)」というあだ名をもつ「ジギスムント」というおじさんでした。このあだ名からもご察しがつくと思いますが、当時インスブルックの近くのシュヴァーツというところには大きな銀山があって、そこで掘った銀をハル・イン・チロルで銀貨にしていました。

チロルの首都になって銀貨鋳造も盛んとなれば、そりゃいろんなところから商人や旅人がやってきますね。「ヴァイセス・クロイツ」はいい時期に営業を開始したと思います。

創業初期の「ヴァイセス・クロイツ」の名称は今より1字多く、「zum weysen kreutz(白十字亭)」となっていてました。まあ、名前の意味と発音はほとんど変わらないのですが、今のドイツ語の標準語ができる前の時代でしたから、綴りのほうはややいい加減です。また、この宿はモーツァルトが泊まったことで有名なのですが、そのモーツァルトもインスブルックのことは「Innsbruck」じゃなく「Innspruck」と書いていて、これまたけっこうテキトー。もっとも、チロルの人は「b」と「p」の発音の区別が曖昧(80年代でもそれは変わりませんでした)なので、これはモーツァルトのせいだけじゃありませんけどね。

モーツァルトがこの宿に泊まったのは、1769年のことでした。この年の12月13日、当時13歳だったモーツァルトは父とともに初のイタリア旅行のためにザルツブルクを出発。そして同年12月15日午後5時半、インスブルックに来て「ヴァイセス・クロイツ」にチェックインし、4泊したもようです。ついでながら、この宿の入り口には、下の写真のようにモーツァルトが宿泊したことを宣伝する質素な記念碑が出ていますよ。

モーツァルト宿泊の表示板
モーツァルト宿泊の記念碑

なお、近くの「ゴルデナー・アードラー(金色の鷲)」というホテルには昔から王侯貴族や芸術家が数多く泊まっていたのに対し、「ヴァイセス・クロイツ」にはモーツァルト以外にこれといった人の泊まった形跡が見当たりません。しかもそのモーツァルトが訪れたのは少年時代でした。つまり、この宿は基本的に昔から一般の人々のほうを向いて家業を行っていたようです。そのせいか、宿の中にはちょっとギャグっぽい部屋も準備してありますよ。それは下の写真の部屋です。これ、窓をあけると外の風景があることはあるのですが、よく見るとそれは絵です。

窓の外が絵の部屋
インチキ窓を開けたところ

もっとも、歴史の長い宿(さすがにオーナーは数百年の間に何度も変わってますけど)だけあって、「ヴァイセス・クロイツ」のマークなどはそれなりに凝っています。下の写真はこの宿の入り口の上の部分なのですが、ここに描かれている白十字と葡萄の絵は、インスブルックを愛したハプスブルク家出身の神聖ローマ帝国・マクシミリアン1世とブルゴーニュ公国のマリアの結婚と遠まわしながら祝しているのだそうです。

葡萄と白十字の絵
葡萄と白十字の絵

また、下の写真はこの宿の前に出ている看板なのですが、このマークができたのは1665年なのだそうです。で、この看板は字が小さくてに白十字のマークだけ目立ちますが、これは当時字の読めない人が多かったためです。しかし、17世紀には字が読めない人でもここに食事や宿泊をしに来たということは、「ヴァイセス・クロイツ」ができた15世紀よりも人々の生活水準が上がってきたことの証拠になりますね。こういうところにもそこはかとなく、歴史の流れを感じることができます。

ヴァイセス・クロイツの看板
白十字の看板

このほかにも「ヴァイセス・クロイツ」の中を探せば、もっといろいろな歴史の足跡を見つけることができると思います。ここに泊まり宝探し気分で館内を探索してみるのも面白いかも知れませんね。また、「ヴァイセス・クロイツ」の1階はわりとお手軽なレストランになっていますので、宿泊以外の方もお時間がありましたら一度どうぞ。

※注1)「ヴァイセス・クロイツ」はHotel(ホテル)ではなくGasthofですから、正確に言うと「料理屋付きの旅籠」あるいは「旅籠付きの料理屋」ということになります。

※注2)一般の地図や観光ガイドでは「黄金の小屋根」という名で出ていますけど、これはちょっと大袈裟かも。実物は少しショボイうえ、名前の語尾の部分はオーストリア弁だし、作り主のマクシミリアン1世は借金漬けでしたから、ここはもっと分相応に「金色の屋根ッコ」としておいたほうがよさそうに思います。



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