オーストリア散策エピソード > No.151
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皇帝地下墓所の行く人来る人
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ハプスブルク家の人のお墓といえば、17世紀前半以降はウィーンのカプチーナー教会の地下にあるカイザーグルーフト(皇帝地下墓所)ということになっています。直近では1989年に亡くなったブルボン=パルマ=ハプスブルク家のツィタ皇后もここに葬られていますから、皇帝地下墓所はまだ過去の遺物ではないようですね。

さて、ハプスブルク家の面々が眠るとなると、そこに葬られている人たちの身分は当然高く、下の抜粋のとおり皇帝、皇后がズラリ。その他の人だって、最低でもして大公の称号ぐらいはもっています。ところがこの中に1人だけ、なぜかハプスブルク家には不釣合いな伯爵級の人がいるんですよ。

皇帝地下墓所に眠る人々(Wikipediaより抜粋)
皇帝地下墓所に眠る人々(抜粋)

その例外的な人の名はシャルロッテ・フックス伯爵夫人(1681-1754)です。本当のフルネームはカロリーネ・フォン・フックス=モラールトというのですが、どういうわけか少しフランス語風にシャルロッテと書いている文献がほとんどです。ドイツ語名は野暮ったくてパスだったんでしょうか。それにしても、いったいどうして大公以上の人ばかりの地下墓所にこういう身分の人がいるのでしょう?    

シャルロッテ・フックス
シャルロッテ・フックス

実はこの人、生まれも婚姻もハプスブルク家とは関係ありません。元々はウィーンの宮廷で女官をしていた人です。で、のちにマリア・テレジア(1717-1780)の教育係りになりました。そしてマリア・テレジアは優しく優雅なシャルロッテに信頼と敬意を寄せるようになったといいます。

ちなみにマリア・テレジアはシャルロッテを苗字のフックス(狐)にちなんで「フュクスィン(女狐ちゃん)」と呼んでいたそうです。日本語で「女狐」というと女忍者みたいな響きでイメージはよくありませんね。でも、いい意味で知恵者だったロンメル将軍(オーストリアの軍事アカデミーでも教鞭を取ったことがあります)が敬意を込めて「砂漠の狐」とあだ名されていたことを思い起こすと、オーストリアで「狐」といえばポジティブな意味のほうが強いのでしょう。そしてたぶん、シャルロッテの「女狐ちゃん」も単に苗字をもじっただけではなく、ちゃんと敬意が込められていたのでしょうね。

マリア・テレジアがシャルロッテにどれだけ信頼と感謝を寄せていたかについては、2つの証拠があります。ひとつは、マリア・テレジアが結婚するとき花嫁衣裳の裳裾を捧げ持つ役にシャルロッテが選ばれたということです。そしてもうひとつは、マリア・テレジアがシャルロッテに「フックス小城」(今はホーフマンスタール小城という名で現存)を贈ったということ。どちらも単なる家庭教師の扱いではありませんね。

そんなわけでシャルロッテが亡くなったとき、マリア・テレジアはこの人を例外中の例外として皇帝地下墓所に葬らせました。さらにシャルロッテの棺の覆いには「高貴な教育者の美徳に心からの感謝を込めて永遠の想いを、わたくしマリア・テレジアは捧げる」ということばも記されています。

そうそう、マリア・テレジは23歳で父親のカール6世と死別、27歳では兄弟姉妹がゼロになり、33歳のときには母親のエリザベート・クリスティーナが亡くなっています。つまり、マリア・テレジアが37歳のときまで生きていたシャルロッテは、この女帝にとって最後の幼少期からの身内でもありました。となると、シャルロッテの存在はマリア・テレジアにとって相当大きな心の支えだったんでしょうね。    

ところで、カプチーナー教会の皇帝地下墓所では、ハプスブルク家の血を引いてるのに出ていった人もいます。その人とは、ライヒシュタット公と呼ばれたナポレオン2世です。この人の父親はナポレオン1世、そして母親は戦争で負けて嫌々ながらナポレオンの皇后となったマリー・ルイーゼ(オーストリア皇帝フランツ1世の長女)でした。しかもマリー・ルイーゼは子供の頃ナポレオン人形を与えられ、「これをいじめなさい」と言われて育ったという過去の持ち主。そんなこともあって、若くして亡くなったナポレオン2世には薄情だったといいます。    

でもナポレオン2世はハプスブルク家の血を引いてるので、亡くなったあとはとりあえずウィーンの皇帝地下墓所に葬られました。しかし!1940年12月15日にあるおじさんがナポレオン2世の遺体をそこから救出。こうしてナポレオン2世は父帝が眠るパリのオテル・デ・ザンヴァリッドにめでたく移されました。たぶん本人にとってもこっちのほうがよかったんじゃないかと思いますけど。ちなみに、このナポレオン2世の遺体をオテル・デ・ザンヴァリッドに移した親切なおじさんというのは、パリを占領していたアドルフ・ヒトラーです。なんでも、ヒトラーはナポレオン1世を崇拝していたのだとか。世の中、何が幸いするかわからないものですね。    

ナポレオン2世
ナポレオン2世

◆参考資料:
Wikipedia - Kaisergruft
http://de.wikipedia.org/wiki/Kapuzinergruft
Die Kaisegruft - REICHSGRAFIN KAROLINE VON FUCHS-MOLLARD
http://www.kaisergruft.at/kaisergruft/mollard.htm
Wikipedia - Karoline von Fuchs-Mollard
http://de.wikipedia.org/wiki/Karoline_von_Fuchs-Mollard
Wikiopedia - Hofmannsthal-Schloessl
http://de.wikipedia.org/wiki/Fuchsschl%C3%B6ssl
マリアテレジアとその時代 - 第一部 若き女王: 第一章 王女誕生
江村洋著、東京書籍
Wikipedia - Elisabeth Christine of Brunswick-Wolfenbuttel
http://en.wikipedia.org/wiki/Elisabeth_Christine_of_Brunswick-Wolfenb%C3%BCttel
Wikipedia - Napoleon II of France
http://en.wikipedia.org/wiki/Duke_of_Reichstadt
Wikipedia - Marie Louise, Duchess of Parma
http://en.wikipedia.org/wiki/Marie_Louise,_Duchess_of_Parma
Wikipedia - Les Invalides
http://en.wikipedia.org/wiki/Les_Invalides


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