オーストリア散策エピソード > No.147
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ユダヤ人のいないユダヤ市
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ユーデンブルクの位置
ユーデンブルクの位置

オーストリアのシュタイアーマルク州には、ユーデンブルク(Judenburg)という都市があります。で、深いこと考えずにこの地名を日本語に訳せば「ユダヤ人の城砦」という意味になり、事実その紋章も下の画像にあるとおりユダヤ人っぽい人物の横顔となっています。しかし、ユーデンブルクは別にユダヤ人が建設した町でもなければ、向こう三軒両隣りがみんなユダヤ人ばかりの町というわけでもありません。いったいどうしてこういった奇妙な地名がオーストリアに存在するのでしょう?

ユーデンブルクの紋章
ユーデンブルクの紋章

そこでさっそく調べてみたところ、ユーデンブルクの地名は、アドモント修道院で1074年に書かれた文献に「Judinburch(ユーディンブルヒ)」という名で初登場しているとのこと。で、ついでに中世のドイツ語の辞書を引いてみたら、当時の「ユーディン」という単語は今と同じくユダヤ人を指すことばで、スペルも変わっていませんでした。どうやら「ユーデンブルク」は本気で付けた地名のようですね。ただし、最初の地名がユーデンブルヒ(Judenburch)ではなくユーディンブルヒ(Judinburch)になっていたのは意図的なのか単なる訛りなのか、ちょっと興味深いです。というのも、「ユーディン」は正確にいうと「(1人の)ユダヤ女性」という意味の単語で、この都市の紋章にあるおじさんとはかけ離れ、ますます「なんだこりゃ?」になるので。

余談ですが、ユダヤ人というのはそれほど太古の昔からヨーロッパ人に嫌われているというわけでもなかったようですね。ちょっと調べてみたところ、まず11世紀にイスラム帝国が分裂すると中東のユダヤ人が迫害されてその多くがヴェネツィアなどに逃れて欧州入りしたとのこと。で、あとから欧州にやってきたユダヤ人が前からそこに住んでいるキリスト教徒と競合するような商売を始めると軋轢の元になりますから、ユダヤ人はキリスト教徒がやっていない金融業を手掛けました。キリスト教では利子をとる商売が禁じられていたのに対し、ユダヤ教では異民族相手なら利子を取ってもいいことになっていたので。が、今の時代にサラ金が目の仇とされるのと同様に、当時の欧州でも金貸し業はあまり人々のウケがよろしくなく、結果的にユダヤ人のイメージは悪くなりました。こうしてみると、ユーデンブルクという地名が生まれた11世紀という時期は非常に微妙なタイミングだったのですね。

さて、ギリギリのタイミングでめでたくユダヤの地のように名付けられたユーデンブルクは、1103年の文献によるとMercatum Judenburchと記載され、どうやら難なく「町」への昇格を達成。さらに1224年4月24日(1240年と表記している資料もあります)には、バーベンベルク家(ハプスブルク家の前に今のオーストリアを治めていた一族)のレオポルト4世がユーデンブルクを「都市」に昇格させました。しかし、この時点でユーデンブルクにユダヤ人はまだ住んでいなかったもようです。つまり、ユーデンブルクという地名はかなりの粉飾だったのです。そして、ここに初のユダヤ人の定住があったのはやっと1300年になってからのことでした。で、この時代のあたりからユーデンブルクは商業都市としての発展を加速させてゆきます。特にヴェネツィアとの交易が盛んだったことや遠くはオランダとの交易もあったところには、ユダヤ商人の人脈をほのめかすところもありますね。

ところが15世紀末になると当地のユダヤ人を巡る状況は一変、ユーデンブルクでも1496年にユダヤ人の追放が起こりました。これで「ユダヤ人の城砦」を意味しているはずだったこの町は、看板と一致しない地名をもつ都市に逆戻りしました。が、なぜかユーデンブルクという地名はそのまま変わらず。これはちょっと不思議です。

その後のユーデンブルクは時々大火で丸焼け(特に1807年の大火では9軒の家を除いて町が全部焼けたとのこと)になったりしながらも、それなりに発展を継続。さらにユダヤ人の都市でもないのに「ユダヤの城砦」を名乗る地名のほうも、なぜかそのまま何事もなく維持されました。

ただ、反ユダヤの嵐が吹き荒れた第二次世界大戦のときはさすがに、「この国にユーデンブルクと名乗る都市があるのはまずいかも?」という議論も起こったそうです。が、当時の人々はなぜかのらりくらりとしていて、すぐに地名を変える行動には移れず。そんなことをしているうちに敗戦となって連合軍に踏み込まれ、ユーデンブルクはその粉飾地名を変える機会を逸してしまいました。これ、良かったのか悪かったのかはよく分かりませんが。

それにしても、反ユダヤの代表格であるヒトラーの生まれた国(ヒトラーはオーストリアのザルツブルク州ブラウナウ・アム・インの生まれ)に1,000年近くも昔からユダヤ人のいないユダヤ市が生まれていたというのはなんだかギャグみたいですね。さらに、その地名が欧州で何度も繰り返された反ユダヤ思想をモノともせず今日まで延々と生き延びているというのは驚異的でもあります。

おしまいになりますが、ユーデンブルクに人が定住を始めた形跡は少なくても紀元前2世紀〜3世紀まで遡れるといいます。で、その時代のオーストリアに住んでいたのはケルト系の民族ですから、ユーデンブルクという地名はたぶんケルト語で、たまたまユダヤ人を意味するドイツ語と発音が似ていただけなのかも知れません。いや、その可能性はきっと高いですよ。なにしろオーストリアではケルト語で「大きな山」を意味する「カーレンベルク」の語源を同じ発音のドイツ語と混同して「禿山」にしたという前例がありますから。それに、「不思議あるところにトホホあり」はオーストリア史の鉄則みたいなものです。ひょっとしたらすでにユーデンブルクの語源となったケルト語はもう特定されていながら、「今さらユダヤおじんさんの紋章を撤回なんてできない・・・」という心配からひた隠しにされているのかも。

◆参考文献:
Wikipedia - Judenburg
http://de.wikipedia.org/wiki/Judenburg
Stadt Judenburg - Chronik der Stadt Judenburg
http://www.judenburg.at/internet/jdbg/homer5.nsf/zielframe?open&Inhalt=http://www.judenburg.at/home/Folder/chronik.htm
aeiou - Judenburg
http://aeiou.iicm.tugraz.at/aeiou.encyclop.j/j711538.htm
Mittelhochdeutsches Taschenwoerterbuch
Matthias Lexers , S. Hirzel Verlag Stuttgart
Wikipedia - ユダヤ人
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%80%E3%83%A4%E4%BA%BA


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