オーストリア散策エピソード > No.142
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オーストリーと呼んでますか?
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日本には「オーストリア」を「オーストラリア」と言い間違える人が山ほどいます。しかも不運なことに、東京のオーストリア大使館はオーストラリア大使館のご近所(というより、各国の大使館が港区の一部に集中しすぎなんですけど)。おかげでオーストリア大使館には間違い電話や間違い訪問が絶えず、関係者の方々は大迷惑しているごようすです。その一方で、「オーストラリア」を「オーストリア」と間違える人はほとんどいないようですね。オーストラリア大使館のほうは全然悲鳴を上げていませんから。

欧州屈指の名門であるハプスブルク家600年の歴史もつオーストリアにとって、わりと歴史の新しいオーストラリアに知名度で負けているところには、少なからずプライドを傷つけられるものがあったと思います。いや、もしかしたら元敗戦国だからなかなか言えないけど、ホントは「元多民族国家にしてはかなり良心的な治世を行ってきた我がオートリアは、1980年代まで白豪主義なんかやっていた国とは格が違う!」という強い抗議の気持ちさえあったかも知れませんよ。

さて、こうした状況にいつまでたっても改善の兆しが見られないため、2006年10月、ついに駐日オーストリア大使館の商務部は、「もうこんな紛らわしい国名はイヤダ!」と思い、「これからは我が国をオーストリーとお呼びください」と宣言。その昔日本で同国のことを「墺太利(※注1)」と書いて「オーストリー」と読んだことがあるのでこれを復活させよう、ということになりました。しかし、私の記憶するところによると、「墺太利」というのは元々中国語の単語だったはずです。しかも、これをマトモに日本語読みしたら「オーストリー」ではなく「オウタリ」ですね。英語名をやめて中国語名というのは、ちょっと意味不明です。ここは素直にオーストリアの公用語であるドイツ語で「エスタライヒ」としたほうがよさそうですが。私の身の回りのオーストリア関係者の間でも、「なんでエスタライヒにしないの?」という疑問の声がもっぱらでした。

ちなみに、オーストリアが母国語のドイツ語名ではなく英語名で表記されているのは、この国が明治時代に日本との国交条約を締結するとき、その交渉をイギリスにアウトソーシングしたところに発端があるようです。当時オーストリア=ハンガリー帝国議会はアジアに植民地をもつべきかどうか議論し、結局「やめておこう」ということになりました。おかげで不平等条約を結ぶノウハウも全然蓄積されず。そこに目をつけたイギリスは、ちょっとした悪企みを考え付きます。それは、オーストリアから日本との条約締結を請け負って、欧米のどの国よりも不平等な条約を成立させ、それをネタにして「イギリスとの条約ももっと不平等にしろ!」と日本に迫ることでした。で、イギリスが自国の利権のためにせっせと動いたおかげで、オーストリアの国名も英語で日本に伝わったというわけです。オーストリアがこのとき条約締結の作業を自力ででやっていたら、今頃オーストラリアと間違えられることはなかったはずですよ。

オマケですが、オーストリアという国名の意味は英語でもドイツ語でも「東の国」です。一方、オーストラリアという国名の意味は「南の国」です。高知県に南国市という町がありますけど、これも英語に訳せば「オーストラリア・シティー」なんですよ。しかし、東と南では方角が90度も違うのに、ことばのほうは紛らわしいですね。

そうそう、米国の人に「アメリカでもAustriaとAustraliaをよく間違えるのでは?」と訊いたら、「rとlの発音は全然違うしアクセントの位置も異なるから、オーストリアとオーストレィリアを間違うのはよほどのアホ」とのことでした。私はそういうアホなアメリカ人の例を目にしたことがあるので、米国もそんなに楽観はできないと思いますが。

ところで、駐日オーストリア大使館商務部の「オーストリー宣言」のあとなんですが、本国のオーストリア政府はあまり真剣にこれを支えるという気がないようですね。2007年4月現在で、大使館本体は「オーストリア大使館」という表記を続け、「オーストリア航空」も「オーストリア政府観光局」も国名表記改定の動きはまったくなし。また、日本の外務省も状況を静観するばかりです。「オーストリー」という表記はこのまま見殺しになるのでしょうか?

そこでひとつ、今日は興味深いデータをご紹介しましょう。実をいうと私は2005年11月から、GoogleとYahooの検索で「オーストリア」と「オーストリー」というキーワードに引っかかるWEBサイトの数を密かに調べておりました。で、まずGoogle検索のほうなんですが、結果は下のグラフ1のとおりとなっています。「オーストリー宣言」が出た直後の11月末は物珍しさから「オーストリー」で検出されるページが増えていますけど、その後は早くも飽きられたのか、徐々に減る一方ですね。

[グラフ1] Googleで検索した「オーストリア」と「オーストリー」のページ数
Google検索の結果

Yahooでの検索結果は下にあるグラフ2のとおりで、こちらも大きな流れはGoogleと変わりありません。それどころか、Googleでは昨年11月末に109万ほどあった「オーストリーページ」が22万弱に減ったのに対し、Yahooでは107万ページから14万ページに減るという寂れようです。

[グラフ2] Yahooで検索した「オーストリア」と「オーストリー」のページ数
Yahoo検索の結果

また、「オーストリアページ」と「オーストリーページ」の合計に対する「オーストリーページ」の比率は下のグラフ3に示すような推移となっています。これ、2007年1月中旬には5%を割り込み、直近の2007年4月11日では3%前後まで落ち込んでいますよ。やっぱりダメかも・・・。

[グラフ3] 「オーストリア+オーストリー」に対する「オーストリー」の比率
WEB検索でのオーストリーの比率

しかし、トホホな事態はこれだけではありません。昨年12月に「オーストリー大使館」というキーワードでYahoo検索をしてみたら、下の画像にあるとおり、「オーストラリア大使館ではありませんか?」というお節介なアドバイスが出ています。これ、本日(2007年4月15日)の午後に再度トライしたら、結果は同じでした。人間だけじゃなく、検索ソフトまでオーストラリアに加担とは、「あれま!」としか言いようがありません。また、この検索でトップに出てくるのが大使館本体ではなく、同大使館の商務部というところには、「オーストリー宣言」をした人の意地も感じられますね。その上の2件の広告がオーストラリア関係というところは悲惨ですけど。

[図1] Yahooで「オーストリー大使館」を検索したときの結果
Yahoode「オーストリア大使館」を検索した結果

おしまいに私のスタンスなんですが、日本はまだ中国の領土になっていませんので、中国語の「墺太利」に由来する「オーストリー」を使うのは時期尚早かと思っています。もっとも、英語に由来する「オーストリア」もそれほど気が進むというわけではありませんが。個人的な希望としては、1日も早くドイツ語による国名の「エスタライヒ」にしていただきたいと思います。で、その折にはオーストリアの人たちにも日本を「Japan(ヤーパン)」ではなく、「Nippon(ニッポン)」と呼んでいただきましょうね。これがいちばん自然なかたちだと思います。

※注1: オーストリア大使館商務部が示した資料では「墺地利」と表記されています。    



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