オーストリア散策エピソード > No.122
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ロココ時代のウンコ、恐るべし!
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ウィーンの民謡に「私のお父さんは屋敷持ちだぞ(Mein Vater ist Hausherr)」という歌があります。これは、裕福な家のドラ息子が通りを歩いていたら道路掃除の男に「よう、お仲間!」と声をかけられたという歌です。もちろんドラ息子は、「なんで俺がお前のような奴のお仲間呼ばわりなんだ?」と言い返します。すると道路掃除の男は、「俺も金持ちの家に生まれたが、放蕩三昧で今はこのありさま。未来のあんたというわけさ、あっはっは。」と陽気に答えます。こういうことは洋の東西を問いませんね。ただ、なんで落ちぶれた結果が乞食じゃなくて道路掃除夫だったんでしょう?仕事がなんだろうが、労働してるだけまだマシにも思えますが。

実はこれ、道路掃除を「する」のではなく「させられる」という立場になったと考えれば、立派にサイテーということになります。というのも、昔のオーストリアでは刑罰のひとつに「道路掃除」というのがあったからです。要するに、いくら大貧民に陥っても、コソドロだの詐欺をして捕まらない限り道路掃除を「させられる」という事態は発生しないのです。こうして考えると、「私のお父さんは屋敷持ちだぞ」という歌はすごく情けない内容で、さすがはトホホ好きの国・オーストリアという感じですね。

ところで、ペットボトルも空き缶も放置自動車もない時代の道路掃除ってあまり重労働というイメージはありませんね。いったいどうしてこれが刑罰として成り立っていたのでしょうか?これについては何も文献がないため想像で考えるしかないのですが、ひとつだけいいヒントがありますよ。それは、マリー・アントワネット時代にフランスのヴェルサイユ宮殿がウンコだらけだったということです。フランス宮廷であまりに野グソがひどいため庭に「立ち入り禁止」の立て札(フランス語でエチケット)が立てられ、それが「マナー」を意味する単語になったという逸話は有名ですね。で、宮廷でさえそうなのだから、一般の人々の住むあたりはなおさらだったことでしょう。そしてそれはフランスだけでなく、ドイツやオーストリアでも似たような状況だったのではないかと。つまり昔の「道路掃除刑」というのは、「大量のウンコとの壮絶な戦い」を課されることを意味していたと考えることができるのです。

私がちょっと調べたところによると、18世紀後半のヴェルサイユ宮殿には約4,000人の人がいたそうです。で、人間の1日のウンコの量は100g〜200gといいますから、ヴェルサイユ宮殿でひねり出されるウンコの量は1日に600kg、1年では約2,200トンにも及んでいたことになります。写真や文献で見る限りウィーンのシェーンブルン宮殿もロココ時代にマトモなトイレを備えていた形跡はありませんから、状況はヴェルサイユと五十歩百歩だったのでしょう。また、昔の欧州の民家ではオマルにためたウンコを窓から外に捨てるのが一般的だったといいますが、その人口が宮廷の比じゃないことを考えたら、こりゃ道路掃除も大変ですね。やっぱり十分刑罰として通用する重労働だったんじゃないでしょうか?

話しは変わりますが、清潔な水洗トイレというのは古代メソポタミアの時代から地球上にあることはあったんだそうです。で、古代ギリシアやローマもそれをある程度受け継ぐことは受け継いだのですが、その後ゲルマン人がローマ帝国もろともに水洗トイレまで滅ぼしてしまい、これがヨーロッパの惨澹たるウンコ事情を長びかせる結果につながったのだとか。おかげでペストやコレラが何度も流行ってひどいことになっていますが。

もっとも、いくらトイレ事情がボロボロとはいえ、しばしばロココ時代のヨーロッパで宮廷の人々までが野グソのし放題だったとされるところはさすがに誇張のしすぎという気もします。だって、マリア・テレジアやマリー・アントワネットの野グソを記述した文献など全然見当たりませんから。そこでさらに調べてみたところ、こういう高い身分の人たちというのはちゃんと移動式トイレというのを持っていたころがわかりました。たとえばマリア・テレジアについては、ウィーンの王宮博物館に「オルゴールつきオマル椅子」というのが残されているそうです。これは肘掛や背もたれに細かな装飾が施された美しい椅子で、お尻のあたるところに穴があいてて、その下にオマルがついています。で、マリア・テレジアがウンコをしたら従者がイスからオマルを取り出して、その中味を外に捨てにいってたのだとか。外のどこに捨てたのかは知りませんが。また、当時のウンコ椅子先進国はフランスで、王宮博物館に残るマリア・テレジアの遺品も仏王ルイ16世から贈られたものなんだそうです。

それと、ある個人サイトのお話しによると、マリー・アントワネット時代のヴェルサイユではこのウンコ椅子が15人につき1つくらいという割合だったそうです。だから便器にあぶれて野グソに走らざるを得ない人が山ほど出たのだとか。オマケにポンバドール夫人などは時期や服装に合わるため1人でいくつものウンコ椅子を所有していたといいますから、この調子だと他の人については50人につきウンコ椅子1つという割合だったのかも知れませんね。ベルサイユがウンコだらけになるのも当然です。

おしまいにもうひとつ。ウンコ椅子からオマルを取り出す役目というのはなんだか誰もが嫌がりそうに思えますね。しかし現実はその正反対で、貴族たちが「是非そのお役目は私に!」と思うほどの人気だったそうです。というのも、ウンコをするときの国王や王妃はつい気が緩んで、いろんなホンネや極秘情報を口にすることがあったからです。人前でウンコをするロココ時代の王侯の神経もすごいという気がしますけど。さらにすごいところでは、フランスでイエズス会の連中が国王のウンコ椅子係りを買収し、スパイ目的で王がお尻を拭いたあとの紙を入手していたんだそうです。というのも、国王は時として政策の素案などを下書きした紙をウンコ用に使っていたので。ウンコ紙を洗ってパズルをするイエズス会士たちの根性はさすがですね。

しかし、たかがウンコでこれだけ庶民から王侯貴族の歴史までが脈々と動いていたというのは驚きですね。

◆参考文献:
ハプスブルク物語 - マリア・テレジアのおまる椅子(p.54-p.55)
池内紀、南川治朗著、新潮社(とんぼの本)
うんち大全 - 古代エジプトからの人類の必需品、「おまる」の歴史
ジャン・フェクサス著、高橋弘美訳、作品社
トイレ博士の「うんちの旅」
http://www11.ocn.ne.jp/~drtoilet/2000.html
http://www11.ocn.ne.jp/~drtoilet/2001.html
Healthクリニック - トイレよもやま話し
http://www2.health.ne.jp/library/3000/w3000576.html
氷栗優公式サイト「ティアラ」 - 写真夢紀行(シェーンブルン宮殿の便器の写真あり)
http://www.jttk.zaq.ne.jp/higuri/dtig/yume/ume1.htm
Wikipedia - Toilette
http://de.wikipedia.org/wiki/Toilette
Gallerie de pots de chambre
http://www.chez.com/wcinconnu/galeries.htm
Culture et communication Quebec (19世紀のおまるの写真あり)
http://www.mcc.gouv.qc.ca/region/03/tresors/page63.htm
TOP/NET(東海4県の薬剤師会)- 便でわかる体の調子
http://www.topnet.gr.jp/Hsiori/NOMIKATA/BEN.HTM


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