オーストリア散策エピソード > No.106
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民族主義無視のアレマン人
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フォアアールベルク州の位置
フォアアールベルク州


1991年6月25日にクロアチアが旧ユーゴスラヴィアからの独立を宣言したあと、セルビア人とクロアチア人は民族主義剥き出しですごい戦争状態になっていましたね。しかし、私の行ってたザルツブルク大学では、この地域に関する学科を「セルボ・クロアチア学科」と1つにまとめていましたよ。実はこの2つの民族って、言語の面では京都弁と大阪弁ぐらいの違いしかなく、異民族同士というのはやや大袈裟ともいえます。ただ、クロアチアはカトリック圏なのでラテン文字を使うのに対し、セルビアはギリシア正教の流れを汲むセルビア正教がメインなので、ロシアのキリル文字(ギリシア正教の伝導師がギリシアのアルファベットをもとに作った文字)を使っていますから、宗教指導者や為政者の立場なら異民族同然と見ることもできるんでしょうね。それにしても、あの戦いはひどすぎ...。

ところで、オーストリアは人口のほとんどがドイツ系ですが、ここだって細かいことをいえばある程度まとまった数の異民族はいますよ。それは、スイスに近いフォアアールベルク州に住むアレマン人です。オーストリアの大半を占めるのはかつてバユバール族と呼ばれた人々で、これはドイツのバイエルン州の住民と同じです。一方、フォアアールベルク州に住むアレマン人は、スイスのドイツ系住民やドイツ南西部のシュヴァーベン地方の住民と同系統。ということは、フォアアールベルク州がオーストリアから独立運動を起こすことだってあってもおかしくありませんね。

そこでさっそく調べてみたところ、なんだかそれらしい動きはやっぱりありました。ただし、それは民族主義とはあまり関係がありません。フォアアールベルク州の郷土史のサイトによると、1918年から1919年にかけて、この地域の住民がオーストリアからの離脱とスイスへの編入を打診しています。で、その理由というのは、第一次世界大戦でオーストリア=ハンガリー帝国が敗戦国になり、その後の経済危機と食糧難をどうにかしたいというものでした。しかし、この企ては最終的にスイス政府から断られてボツになってますけど。一時は独シュヴァーベンの人々も会議の席に現れていましたが、結局汎アレマン主義が起こる余地はなかったんですね。

ちなみに、フォアアールベルク州は元々平和的にハプスブルク領となった地域なので、ウィーンの宮廷に対する恨みなんてものは別にありませんでした。その合邦のモデルになったのは、今のチロル州(旧チロル伯爵領)をハプスブルク家が相続するときのパターンです。宮廷はチロル伯の血縁が絶える直前に「チロル自由の手紙」という文書で、この土地を相続する代わりにそこの住民の自治や権利を広く承認することを約束しました。それを見届けたフォアアールベルクの人々は、のちに安心してハプスブルク家の「フォアアールベルク自由の手紙」を受け入れることができたわけです。

こうしてみると、フォアアールベルク州に民族意識丸出しの独立戦争が起こさなかったのは、いらない喧嘩を元々売られたことが一度もなかったためとも言えそうですね。

ところで、アレマン人というのはよほど民族主義には興味がないと見えて、実はオーストリア、スイス、ドイツのほか、リヒテンシュタイン、フランス、イタリアにまで住んでいるんですよ。なんだか節操がないですね。アレマン系のことばを話す人々の分布(4つの方言に細分化したもの)は下の地図のとおりです。

アレマン方言の分布


上の地図で、赤い色は「高地アレマン方言」、ピンク色は「低地アレマン方言」、青は「エルザス(フランス名ではアルザス)方言」、黄色は「シヴァーベン方言」を話す地域です。この中で特に面白いのは、青で示したフランスに住むアレマン系のエルザス人です。

フランスといえばアルフォンス・ドーデの小説に「最後の授業」というのがありますね。ドイツ占領下で最後となったフランス語の授業のあと先生が黒板に「フランス万歳!」と書いたというお話しです。が!この舞台はなんとエルザス地方であり、そこの住民は元々ドイツ系で、彼らの日常のことばはアレマン方言のひとつであるエルザス語だったんですよ。民族はドイツ系でありながら心はフランス人だったとは、なかなか見上げた根性です。ちなみに、このエルザスの地って元はドイツのものだったのですが、その後の戦争で仏領になったり独領になったりしたあと、最後は住民投票で自主的にフランス領になったという歴史をもっています。

ついでにもうひとつ。フランス国歌は元々、革命後の対オーストリア戦争のときにストラスブールで生まれた歌なんですが、そのストラスブールってエルザス地方の首都なんです。たまたまマルセイユの義勇軍がこの歌を歌いながらパリに入ってきたので「ラ・マルセイエーズ」なんて名前がついていますけど、実はゲルマンの土地で作詞作曲されてたって、どこかギャグみたいですね。そのあと対プロイセン戦争のときにこの歌の人気はいちだんと増したわけなんですが、これも皮肉といえば皮肉です。

せっかくなので、ドイツ南西部に住む連中のことも書いときましょうね。ここでは特に黄色とピンクで示したとこの連中(シュヴァーベン人)が血気盛んで、特に15世紀にはスイスのアレマン系の人々と仲がよろしくありませんでした。シュヴァーベン人がスイスの連中を「無知文盲の多い百姓どもめ!」と侮辱してて、スイス側は相当頭にきていたのだとか。しかもこの反感は領主や騎士階級だけでなく、農民たちの間でも激しかったといい、悪口の言い合いはかなりひどかったそうです。で、当時のハプスブルク家の皇帝マクシミリアン1世が「スイス兵を侮ってはいけない」と戒めていたにもかかわらず、軍は「田舎者のスイスに天誅を!」と暴走し、そこでボロボロに負けています。

しかし、フランスやスイスの国民として積極的に国を盛り立てる一方で、複数の国に住む同じ民族同士では徒党を組むことのないアレマン系の人々は、ユーゴスラヴィアのクロアチア人やセルビア人たちとまったく対照的な存在ですね。この違いは国の為政者に振り回されるのか、為政者のほうを振り回すかの差かと思います。このまとまりのないアレマン人たちの習性は、為政者を無視して自主的に生きることにより民族主義の罠を免れようというひとつの知恵なのかも知れませんね。

◆参考資料:
1. Vorarlberg Chronik
http://archiv.vol.at/feat/chronik_2000/
2. 中世最期の騎士 - スイス戦争とバイエルン継承戦争の間で
江村洋著、中欧公論社
3. Wikipedia - Elsassische Sprache
http://www.wikipedia.ch/de/elsassische_sprache.html
4. Wikipedia - Heitige oberdeutsche Sprache
http://de.wikipedia.org/wiki/Bild:Heutige_oberdeutsche_Mundarten.PNG
5. Artifact - 最後の授業はフィクション度が高い
http://artifact-jp.com/mt/archives/200308/thelastlesson.html



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