上の地図で、赤い色は「高地アレマン方言」、ピンク色は「低地アレマン方言」、青は「エルザス(フランス名ではアルザス)方言」、黄色は「シヴァーベン方言」を話す地域です。この中で特に面白いのは、青で示したフランスに住むアレマン系のエルザス人です。
フランスといえばアルフォンス・ドーデの小説に「最後の授業」というのがありますね。ドイツ占領下で最後となったフランス語の授業のあと先生が黒板に「フランス万歳!」と書いたというお話しです。が!この舞台はなんとエルザス地方であり、そこの住民は元々ドイツ系で、彼らの日常のことばはアレマン方言のひとつであるエルザス語だったんですよ。民族はドイツ系でありながら心はフランス人だったとは、なかなか見上げた根性です。ちなみに、このエルザスの地って元はドイツのものだったのですが、その後の戦争で仏領になったり独領になったりしたあと、最後は住民投票で自主的にフランス領になったという歴史をもっています。
ついでにもうひとつ。フランス国歌は元々、革命後の対オーストリア戦争のときにストラスブールで生まれた歌なんですが、そのストラスブールってエルザス地方の首都なんです。たまたまマルセイユの義勇軍がこの歌を歌いながらパリに入ってきたので「ラ・マルセイエーズ」なんて名前がついていますけど、実はゲルマンの土地で作詞作曲されてたって、どこかギャグみたいですね。そのあと対プロイセン戦争のときにこの歌の人気はいちだんと増したわけなんですが、これも皮肉といえば皮肉です。
せっかくなので、ドイツ南西部に住む連中のことも書いときましょうね。ここでは特に黄色とピンクで示したとこの連中(シュヴァーベン人)が血気盛んで、特に15世紀にはスイスのアレマン系の人々と仲がよろしくありませんでした。シュヴァーベン人がスイスの連中を「無知文盲の多い百姓どもめ!」と侮辱してて、スイス側は相当頭にきていたのだとか。しかもこの反感は領主や騎士階級だけでなく、農民たちの間でも激しかったといい、悪口の言い合いはかなりひどかったそうです。で、当時のハプスブルク家の皇帝マクシミリアン1世が「スイス兵を侮ってはいけない」と戒めていたにもかかわらず、軍は「田舎者のスイスに天誅を!」と暴走し、そこでボロボロに負けています。
しかし、フランスやスイスの国民として積極的に国を盛り立てる一方で、複数の国に住む同じ民族同士では徒党を組むことのないアレマン系の人々は、ユーゴスラヴィアのクロアチア人やセルビア人たちとまったく対照的な存在ですね。この違いは国の為政者に振り回されるのか、為政者のほうを振り回すかの差かと思います。このまとまりのないアレマン人たちの習性は、為政者を無視して自主的に生きることにより民族主義の罠を免れようというひとつの知恵なのかも知れませんね。
◆参考資料:
1. Vorarlberg Chronik
http://archiv.vol.at/feat/chronik_2000/
2. 中世最期の騎士 - スイス戦争とバイエルン継承戦争の間で
江村洋著、中欧公論社
3. Wikipedia - Elsassische Sprache
http://www.wikipedia.ch/de/elsassische_sprache.html
4. Wikipedia - Heitige oberdeutsche Sprache
http://de.wikipedia.org/wiki/Bild:Heutige_oberdeutsche_Mundarten.PNG 5. Artifact - 最後の授業はフィクション度が高い
http://artifact-jp.com/mt/archives/200308/thelastlesson.html
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