オーストリア散策エピソード > No.104
前に戻る


マリア・テレジアは方言丸出しだった?
line


マルティン・ルター
マルティン・ルター


歴史の本を読んでいると、「マリア・テレジアはウィーンの方言が丸出しだった」という記述に出会うことがあります。たぶんそれは本当だったのでしょう。しかし当時のウィーンは神聖ローマ帝国の首都だったのに、なんでそこのことばは方言扱いだったんでしょう?ちょっとフシギじゃありませんか?

実をいうとこれには、意外なところにワケがあります。それは、16世紀のある出来事をきっかけにして起こりました。

ドイツ語(deutsch)の語源は、ラテン語で民衆を意味する「テウディスクス(teudiscus)」でした。そしてその昔、宗教関係者や学者といった民衆じゃない人たちの文書は、ラテン語で書かれるのが一般的でした。聖書もそうだったんですよ。ところがのちにこの聖書をドイツ語に翻訳しようという人物が現われました。その名はマルティン・ルター(1483-1546)です。

当時の状況を申しますと、まずローマ教皇レオ10世が未完成だったサン・ピエトロ寺院の建築費を調達すべく「免罪符」を発明、1514年に「これ1枚ですでに地獄に落ちたご先祖まで助かりますよ!」と一大販売キャンペーンを開始しました。で、ドイツ語圏でその販売業務を請け負ったのは、教皇に多額のお金を貸し付けていた豪商フッガー家です。しかも、免罪符の売上の半分は教皇の借金返済に充てるということになっていましたから、そりゃもうフッガー家だって必死で売りまくります。ちなみに、その悪名高かった免罪符の価格は1/4フローリンといいますから、今の価値でいったら千円か2千円といったところでしょうか。思ったより安いですね。

が、このカネ集めに奔走する教皇に不快感を抱いたルターは、1517年に「95箇条の提題」を発表。「インチキ札の悪徳商売はいい加減にしなさい!」と苦情を述べました。もちろん、カネまみれの教皇がそんなことを素直に認めるワケはなく、ルターは1521年にあっさり破門にされてますけど。しかしこのおじさんは引き下がりません。むしろ、「聖書をドイツ語に翻訳し、誰もが教会の仲介なしで直接神を信仰をできるようにしてやろう」と息巻く始末でした。で、これができると最も困るのは聖職者勢力です。というのも、信者が教会に来店しなくてもよくなれば、聖職者たちは職場が閑古鳥になって、収入激減が確実だったので。ちょうどデルがパソコンをインターネットで顧客にダイレクト販売したとき、中抜きにされた中間流通業者の仕事がなくなったのと同じ理屈です。

さて、ひとことに聖書の翻訳といっても、当時のドイツ語はたくさんの激しい方言に分かれていましたから、もしルターが自分の故郷の方言だけで翻訳していたら、ドイツ語版の聖書の普及はあまり期待できなかったでしょう。そのことをよく承知していた彼は、構造のしっかりしたザクセンの官庁語をベースとしながら、そこに高地ドイツ語や各地の民衆のことばを織り交ぜ、しかも文体を極力簡潔にすることによって、より多くの人にわかるドイツ語を編み出しました。そしてルターはそのドイツ語で1522年に新約聖書を翻訳し、1534年には旧約聖書の翻訳も完成させます。

こうして生まれたドイツ語版の聖書は、15世紀中盤に発明されたグーテンベルクの印刷機によってたくさん刷られ、ドイツの各地にどんどん普及してゆきました。そして、この聖書が広がれば広がるほど、ルターの書いたドイツ語も人々の間に深く浸透してゆき、おしまいにはこれがドイツの共通語の基礎にさえなってゆきました。今のドイツ語の標準語も、ルターのドイツ語が発展してできたものなんですよ。

これで事情はおわかりいただけたでしょう。ドイツ語の標準語はプロテスタントが必用に迫られて作ったものだったです。一方、ハプスブルク家はカトリックのローマ教皇から帝冠をいただいている立場でしたから、聖書をドイツ語に翻訳することなんてことは許されません。おまけにハプスブルク家もフッガー家にはだいぶ借金をしていましたから、免罪符ビジネスの営業妨害だって気がひけてできなかったでしょう。その結果、マリア・テレジアの話していたウィーンのドイツ語は「方言」という地位におかれることにならざるを得なかったのです。なんだかトホホですが。

ついでにオマケですけれど、マリア・テレジアがいくら方言を話したといっても、それは農民や労働者のことばとまったく同じだったわけではありません。ことばには地理的な違いのほかに、階層による違いもあり、特にウィーンでは「その人の話すことばで家柄、学歴、職業、収入のすべてがわかる」とさえいわれていましたから。マリア・テレジアの話したウィーン弁はちょっと鼻にかかる発音を特徴とした「ホーフドイチュ(Hofdeutsch=宮廷ドイツ語)というシロモノです。ドイツの人が聞いたらただの方言と思うかも知れませんが、ウィーンの人が聞いたらやっぱり皇室の人ということがすぐわかってしまいます。

◆参考資料:
ドイツハンドブック -ドイツ語の歴史
早川東三、他著、三星堂
Wikipedia - マルティン・ルター
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%BB
%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%BC
やっぴランド - 宗教改革の背景(2)─免罪符を買えば救われるか?
http://www.actv.ne.jp/~yappi/tanosii-sekaisi/06_kindai/06-08_reformation02.html


◆画像元:
The Metropolitan Museum of Arts -
Central Europe (Including Grmany) 1400-1600 A.D.

http://www.metmuseum.org/toah/hd/refo/ho_55.220.2.htm



line

前に戻る