オーストリア散策シシー > アラカルトNo.16
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シシーに会える場所 - その3
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これまでに当HPではシシーの像が立っている場所を合計13箇所ご紹介しておりますが、その後も探せば出るわ出るわ・・・。というわけで、今日は新たに見つかった場所の数々をご紹介しましょう。

その1つめは、ハンガリーのエステルゴムです。ここは人口3万人ほどの小さな町。しかし、だからといって侮ってはいけませんよ。というのも、エステルゴムは西暦1000年ごろにハンガリーの首都だった都市なのですから。日本でいうならちょうど奈良にでも相当する由緒ある町ですね。そして、シシーはハンガリーの自治権拡大に大きく貢献した人物。オーストリア帝国内におけるハンガリーの地位が格上げされて1867年にオーストリア=ハンガリー二重帝国が成立したのは、シシーの後押しによるところがずいぶんありました。よって、この地はハンガリー人の心のふるさとだからこそシシーの像ができたと言えそうです。ちゃんと意味はあったんですね。

エステルゴムのシシー像
1. エステルゴムのシシー像(ハンガリー)

ちなみに、オーストリア=ハンガリー帝国が成立したときシシーがハンガリー王妃になる戴冠式を行った場所は、ブダペストのマーチャーシュ教会です。で、念のためネット検索したら、やっぱりこの教会にもシシーの像(下の画像)がありました。


マーチャーシュ教会のシシー像(ブダペスト)
2. マーチャーシュ教会のシシー像(ハンガリー・ダペスト)

お次は同じくハンガリーのミシュコルツにあるシシー像です。ここは人口18万人で同国3番目の規模を誇る都市なんですよ。でも、正直言って地元のハンガリー人以外にはずいぶん馴染みが薄い都市ですね。いったいどうしてこんなところにシシーの像が立っているのでしょう?それと、シシーの像のあるところはずいぶん辺鄙な気も。コペンハーゲンの人魚像の真似でもしたかったんでしょうか?

ミシュコルツのシシー像
3. ミシュコロツのシシー像(ハンガリー)

そこでちょっと調べてみたところ、ミシュコルツは1703年〜1711年にハンガリーがハプスブルク家に対して独立戦争をしたとき、独立軍のリーダーだったフェレンツ・ラコーツィ王子(1676-1735)が自軍の本拠地にしていた町でした。そしてこの町には、1848年にハンガリーでもう一度反ハプスブルクの家の独立を目指す革命が起こったときのリーダーだったコシュートの像も立っています。しかもそのコシュートの像が立っている広場の名前は「エルジェベート広場(ドイツ語読みではエリザベート広場)」。ハンガリーの権利拡大を強く押したシシーは、まさに独立軍や革命軍の一派という扱いですね。ここにシシーの像があるのも、ハンガリー人の愛国精神がなせるわざのようです。もっとも、反ハプスブルク家なのにハブスブルク家の人の像が立っているというのはなんだかメチャクチャでもありますが。

それと、ミシュコルツにシシーの像が建てられたのは1899年のことだったのですが、これはシシーがスイスのジュネーブで暗殺された1898年の翌年ですね。どうやらこの像には「シシー追悼」の意味もあったようです。

さて、おしまいにご紹介するのはもっと不思議な町です。それは、ウクライナ共和国のチェルノヴィッツ。ウクライナとシシーって全然関係がなさそうですね。今度こそ、理由もなくデタラメに作られた像なんでしょうか?

実はこれ、チェルノヴィッツという町の歴史の冒頭部分を読んだらすぐにヒントが出てきました。そのヒントとは、チェルノヴィッツがその昔ハプスブルク帝国の一部で「小ウィーン」という別名を持ち、これが1918年〜1940年にはルーマニア領になっていたことです。これでオーストリアとの縁はつながりましたね。また、かつてのルーマニア王国といえば、シシーの親友で名前もシシーと同じだったエリザベート王妃(ルーマニア語ではエリサベタ王妃、1843-1916)がいました。この人はカルメン・シルバというペンネームをもつ作家でもあり、さらに、ルーマニアの女性の高等教育に力を入れるなど、王政時代にしてはとても自由な発想のできた人でもありました。そんなわけで、シシーに対してよき理解者の1人でもあったわけです。この2人の縁がチェルノヴィッツにシシーの像をもたらしたのではないでしょうか?

チェルノヴィッツの像
4. チェルノヴィッツのシシー像(ウクライナ)

もっとも、チェルノヴィッツのシシー像ができた年代はハッキリしていなくて、ネットで調べたところでは1918年という説が有力とのこと。が、その年にはシシーもルーマニア王妃エリザベートも生きてはいません。これは新たな謎ですよ。今度またゆっくり調べてみましょう。    

◆参考資料、および画像元
Wikimedia - Empress Elisabeth of Austria - エステルゴムとチェルノヴィッツのシシー像
http://commons.wikimedia.org/wiki/Sisi
Wikimedia, Sisi - ミシュコルツのシシー像
http://commons.wikimedia.org/wiki/Sisi
Wikimedia, Sisi - ブダペスト・マーチャーシュ教会のシシー像
http://de.wikipedia.org/w/index.php?title=Datei:Matthiaskirche_Sissi01.JPG&filetimestamp=20070904091347
Wikipedia - Miskolc
http://en.wikipedia.org/wiki/Miskolc
Wikipedia - Elisabeth of Wied
http://en.wikipedia.org/wiki/Elisabeth_of_Wied
Wikipedia - Matthiaskirche
http://de.wikipedia.org/wiki/Matthiaskirche_(Budapest)
Wikipedia - Francis II Rakoczi
http://en.wikipedia.org/wiki/Francis_II_R%C3%A1k%C3%B3czi
Wikipedia - esztergom
http://en.wikipedia.org/wiki/Esztergom
Wikipedia - Czernowitz
http://de.wikipedia.org/wiki/Czernowitz



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