オーストリア散策シシー > アラカルトNo.08
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シシーのアクロバット乗馬
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シシーは乗馬の名手で、今の時代ならオリンピックで金メダルも確実な腕の持ち主だったといいます。おかげで1857年にハンガリーを初訪問したときは、騎馬民族出身だったことを誇りにする荒くれのマジャール人たちから大変な歓迎を受けました。そしてハプスブルク家に従順じゃなかったはずのハンガリー人たちは、こぞって親エリザベト派になっていったといいます。

もちろんシシーもこの歓迎によく応え、1863年にはハンガリー語の学習を本格的に開始。ハプスブルクの宮廷で必須だったチェコ語はすぐ挫折してしまったのに、ハンガリー語ほうはのメチャクチャすごいペースで上達してゆきました。

ハンガリー贔屓になったシシーは、ウィーンの宮廷を抜け出しては足繁くブダペスト郊外にあるゲデレ宮を訪れ、ここで馬術の訓練に勤しむようになりました。そして1874年には狩の馬術も習得すべく国務そっちのけで英国に渡り、ヴィクトリア女王からヒンシュクを買います。それにもめげず1876年にはまた英国に行って、今度は障害物競争の特訓を実施。その出費はハンパじゃなかったそうです。

その後、小うるさいヴィクトリア女王に嫌気のさしたシシーは、1879年に英国を飛び越してアイルランドへ遠征。そこで乗馬の腕をさらに磨き、その翌年もまたアイルランドへ渡行。かなりの入れ込みようですね。しまいには乗馬のアクロバットまで習い始めたそうですよ。放っておいたらサーカスにさえ出ていたかも知れません。

ところで、シシーの時代の女性の乗馬マナーは今と全然違っていたってご存知ですか?当時女性が馬にまたがるのはお下劣とみなされていたのです。下にあるシシーの乗馬シーンの絵をご覧下さい。両足を馬の胴の片側に揃えてそっと腰掛ける感じでしょ。しかも乗馬服はズボンじゃなくて長いスカートです。こんな不安定な姿勢と動きにくい服装で馬を疾走させるのじゃ、普通の乗馬でもアクロバットをしているのと大差ありませんね。シシーに限らず、この時代乗馬を趣味にしていた女性たちは相当な運動神経の持ち主だったと言わざるを得ません。それにしてもシシーは、よく涼しい顔でこんな曲芸まがいの乗馬マナーを守れたものですね。


シシーの乗馬
シシーの乗馬姿

余談ですが、オーストリアの北隣りのボヘミアではその昔、男性のほうにおしとやかな乗馬法が義務付けられたこともあると伝えられています。時期についてはウロ覚えなのですが、確かリブシェ王妃が没して男女戦争の起こった頃と記憶していますから、8世紀の終わり頃でしょう。このとき女性闘士ヴラスタに率いられたアマゾネス軍団は男の軍勢に対して一時的に勝利を獲得、堂々と「女尊男卑」の社会を作りました。そして、「家事や畑仕事をするのは男、戦争に行くのは女」という画期的な決まりを発布しました。さらに、「男が馬に乗るときは両足を馬の胴体の片側に慎ましく揃えること」とのお触れを出し、これを守らない男性は厳しく罰せられたのだとか。ボヘミアの女性は逞しいですね。



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