オーストリア散策シシー > 年代記No.04
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皇帝、シシーにひとめ惚れ - 1853年



1853年8月16日、オーストリア中部の温泉保養地であるイシュル(現在の地名はバート・イシュル)のオーストリア・ホテルに、ミュンヘンから1台の馬車が1時間半遅れで到着しました。中から降りてきたのはシシー(15歳)とそのお姉さんのヘレーナ(18歳、愛称はネネ)とお母さんのルードヴィカです。そしてこの客人たちを待ち受けることになっていたのは、長身の若きオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ(23歳)とその母ゾフィーたちでした。

この日はネネとフランツ・ヨーゼフのお見合いの日でした。しかし、シシーたち3人はこともあろうか揃って喪服姿。なんでも、親戚の葬儀に参列してから急いでやってきたうえ、着替えの入った荷物が遅れたせいでこういうハメになったのだそうです。

そんなわけで、ネネたちは喪服をつけたままフランツ・ヨーゼフたちと午後のお茶の席に着くことになってしまいました。ついでに会話のほうも思いっきりぎこちなく進み、なんだかダメダメの雰囲気に。ところが、ここでフランツ・ヨーゼフの目がふと末席で家庭教師のレヴィ夫人と並ぶシシーにとまり、「あらら、なんて愛らしい!」という感情が湧きます。一方シシーは、皇帝の視線に「あれ?お姉さんの見合いじゃなかったの?」という当惑を感じ、隣りのレーディ夫人に「こわくて何も食べたくない」とこっそり耳打ちをしていました。

この席のあと、フランツ・ヨーゼフはなかなか上機嫌で「シシーは実にいい」と言い、これを聞いたゾフィーは息子に反比例して不機嫌になりました。というのも、出来がよく姑のいうことも聞きそうなネネをフランツ・ヨーゼフにくっつけるためにゾフィーとルードヴィカが仕組んだお見合いが失敗に終わったばかりか、よりによって野生児同様に育ったシシーが選ばれるなんて想定外だったからです。ゾフィーは当然のことながらシシーの欠点をあげつらい、「ネネにしときなさい」とフランツ・ヨーゼフに言いました。

その翌日、両家のランチの席にシシーはいませんでした。事態がまずい方向に進んでいるとの危惧から、シシーは別室でレーヴィ夫人と昼食をとらされていたのです。が、シシーは自分が隔離されたことに腹を立ててレーヴィ夫人に大声で文句をいい、これが食堂にまで聞こえてきました。で、これを変に思ったフランツ・ヨーゼフはシシーを食堂に呼ぶ許可を求めます。そしてそこにツカツカとやってきたシシーは乱暴に一礼。得意の無作法をやってしまいました。

しかし、フランツ・ヨーゼフのひと目惚れはそんなものじゃ冷めません。そして、「夜の舞踏会にはぜひシシーを呼びたい」とルードヴィカに申し渡しました。

その夜、ネネは白のサテンの美しいドレスで登場、そしてシシーは元々出席の予定がなかったので、テキトーな薄いピンクのドレスで舞踏会に現われました。さらにシシーは、本来の儀礼なら腰をかがめて皇帝に挨拶すべきところで握手を求めるという無作法も発揮。母親のルードヴィカは面目丸潰れでした。

が、これにつられてフランツ・ヨーゼフもちょっとハメをはずしてしまいます。本来の儀礼を無視して、シシーとだけしか踊らなかったのですから。こうして若き皇帝がシシーを選んだことは誰の目にも明白となり、翌8月18日にフランツ・ヨーゼフははっきりシシーとの結婚を心に決めました。一方、シシーはそれを知って喜びの涙を流したあと、今度は「本当に皇后なんか勤まるのだろうか?」という不安からまた泣いてしまったといいます。多くの本にはここで「あの人が皇帝でなかったら...」というシシーのつぶやきもあったといわれていますが、これはホントかどうか知りません。ただ、マリッジブルーがすごく早い人ということだけは確かなようですけど。

ところで、シシーにひと目惚れするまでのフランツ・ヨーゼフはちびまる子ちゃんに出てくる丸尾君ぐらい母親に忠実でしたから、初めて息子に自分の意思を通されたゾフィーの心中は全然穏やかじゃありませんでした。そしてそれは、のちの壮大な嫁姑戦争の伏線となってゆきます。こういう感情には身分なんてあまり関係ないようですね。

もっとも、政治の未来だけを考えれば、ネネを皇后にするほうがよいというゾフィーの考えも一概に否定はできません。ただ、私自身はシシーとネネのどっちが正解だったのか、よくわかりませんけど。というのも、100%政略結婚だったマリー・アントワネットやルドルフ皇太子の末路は悲惨でしたし、その反対に元は政略ながら事実上は恋愛結婚だったマクシミリアン1世やマリア・テレジアの治世は善戦でしたから。

ついでながら、フランツ・ヨーゼフとのお見合いが没になったネネのほうはその後、郵便事業で財をなした名門貴族のトゥルン・ウント・タクシス家に嫁ぎ、早くに夫に先立たれてずいぶん苦労をしました。しかし母親であるルードヴィカから受け継いだ忍耐強さを発揮して持ち応え、おかげで同家は現代でも大富豪のままです。この実績が示す限り、ゾフィーがの人を見る目はそう間違ってもいなかったようですね。





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