オーストリア散策シシー > 年代記No.3
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シシー、美人になってくる - 1848年



前回のお話しにも書いたとおり、幼い頃のシシーというのは別にきれいとかどうとかいった感じではなかったといいます。ただし、それが何歳までのことかは知りませんけど。下の写真はシシーが仲良しだった弟のカール・テオドール(愛称はガックル)といっしょのところですが、これを見る限りでは確かに美形とはいえませんね。絵の左下のタヌキみたいな犬を連れて歩いてるところもなんだかトホホな感じがします。


シシーとタヌキ犬とガックル

ところが、7歳くらいになるとシシーの表情にはどこか「ああ、やっぱり名門貴族の出だな」と感じさせる雰囲気がしっかり出てきます。下の写真はシシーの子供時代の姿を残す数少ない手掛かりのひとつなのですが、この目の表情見ているととても幼児とは思えませんね。ついでながら、下の写真だと見方によっては20代の女性にも見えますが、私の自宅にある本で別な角度から撮影した写真を見たら、日本人でいうなら13歳から14歳ぐらいの子という印象でした。


7歳頃のシシーの胸像

さて、それではシシーが初めて人から恋愛の対象とみなされたのはいつでしょう?実はこれ、けっこう早くて、わずか10歳のときだったんですよ。それは欧州で革命が大流行した1848年のことでした。この年の6月、ハプスブルク家のフランツ・ヨーゼフ(オーストリア皇帝になる直前)とその母ゾフィー大公女(シシーにとっては叔母)が難を逃れてウィーンを離れ、インスブルックの王宮に滞在していました。そして、そこにルードヴィカ大公女(シシーの母)がシシーとヘレーナ(シシーの姉で愛称はネネ)と2人の兄弟を連れて参上。とはいえ、当時18歳ですでに大人となっていたフランツ・ヨーゼフは10歳のシシーに対してまだ関心を抱くには至らず。ここでシシーに一目惚れたのはその弟であるカール・ルートヴィヒ(15歳)でした。

恋をしたカール・ルートヴィヒは野で花を摘んだりどこかから果物調達してきたりしてシシーにプレゼントしてたそうですが、これってハプスブルク家にしてはすごく質素でいいですね。また、シシーがミュンヘンに帰ったあとカール・ルートヴィヒは速攻で手紙を書き、そこには指輪も添えておいたそうです。が、シシーは手紙にも贈り物にも丁寧に応えるものの、それ以上の反応はせず。まあ、当時のシシーは今の日本でいうと小学校4年生なのに対し、カール・ルートヴィヒは高校1年生にあたりますから、恋愛への発展を期待するのは確かにちょっと無理があるという気もしますけど。だって、小学校4年生といえば「ちびまる子ちゃん」の1年上にすぎないんですから。

とはいえ、カール・ルートヴィヒの心情も理解できないことはありません。私はオーストリア留学中にわずか10歳ながらすごい美形の女の子を見たことがあるのですが、確かにこいう子なら15歳の少年が恋をしても不思議じゃないと思いました。その女の子は快活で優しくてちょっと夢見がちなところがあるうえ、弟をとても可愛がるところも子供の頃のシシーと同じでしたよ。

話を戻しまして、シシーは指輪の贈り物を受け取ったあとこれまた指輪で返礼してきたので、カール・ルートヴィヒは「うひょひょ、これは愛の誓いか?!」と思ったそうですが、それは誤解でした。いっしょに届いた手紙には、羊をもらったことや森の散歩、ボート遊び、旅芸人見物といった他愛もないことが楽しげに綴ってありましたが、色恋沙汰は皆無です。ただし、シシーがカール・ルートヴィヒをよいおともだちとして歓迎していたのはどうやら事実で、その手紙には「ポッシ(ポッセンホーフェン城のこと)に遊びにいらしてね」ということも書いてありました。

その後のカール・ルートヴィヒはお菓子に時計にブレスレッドとあれこれシシーにプレゼントし、シシーはひたすら律儀なお礼でそれに応えています。要するに平行線だったわけですね。でもこれ、もしカール・ルートヴィヒがシシーの大好きな馬の速駆けや曲芸乗りでアプローチをしていたら、風向きだってだいぶ変わっていたかも知れませんよ。それと、たとえ空振りに終わっても恋するのはいいことです。日々が楽しくなってきますから。

そうそう、シシーはカール・ルートヴィヒへのお礼の手紙に花飾りのついた専用便箋を使ったそうですけど、これはなんだか可愛らしいですね。ライオンのマークが入ったバイエルンの紋章とか双胴の鷲のついたオーストリアの紋章の便箋でなかったところは大変に微笑ましいと思います。

以上、10歳前後の時点でとりあえずシシーはステキな女の子になったものの、ちょっと気品があるところを除けば基本的にまだ無邪気なところがだいぶ残っていたようです。ただ、シシーがカール・ルートヴィヒに出した手紙の返事には、なぜか自分のことをぜんぜん書かないという傾向があったのだとか。ここにはのちに鮮明となるシシーのメランコリックな一面が早くも垣間見られるような気がします。





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