オーストリア散策伝統の宿 > No.07
前に戻る


Im Palais Schwarzenberg (ウィーン)
line


Hotel Kaiserin Elisabeth

★★★★★

Hotel Im Palais Schwarzenberg (ホテル・イム・パレ・シュヴァルツェンベルク)は、ウィーンのカールス教会の近くにある城館ホテルです。300年前の城を戦後にホテルとして使っているんですよ。しかもそのオーナーのシュヴァルツェンベルク家はハプスブルク時代に首相を輩出したこともあるという元名門貴族です。

下の写真は1993年の夏にここを通りかかって撮影したものです。一説によるとこの城館の半分が宿泊客の部屋になっているといいますが、ホントにそうかどうかは確信がありません。というのも、この城館の向かって右側には2階建ての別館があって、どうもそこが客室に思えてならないので。

P.S. その後の調べで、本館にはちゃんと宿泊客用の部屋(スイートを含む)があり、向かって右側の別館にはデザイナーパークルームとスイートがあると判明しました。[2005年10月16日]

1990年代の資料によると、このシュヴァルツェンベルク城の本館の一部はスイス大使館の施設としても使われているそうです。さすがは元大貴族の城館です。


ホテル・イム・パレ・シュヴァルツェンベルク

この城館が着工の運びとなったのは、1697年のことでした。ちょうどオスマントルコの第二次ウィーン包囲(1683年)が撃破されて、オーストリア各地の王侯貴族や聖職者たちの間で荘厳なバロック建築を競う熱が起こっていた時代です。

この城の最初のオーナーはシュヴァルツェンベルク家ではありませんでした。ハインリヒ・フォン・マンスフェルト-フォンディ公がオーストリアバロック建築の巨匠ルーカス・フォン・ヒルデブラントに娯楽用の城の建設を依頼し、1704年に「マンスフェルト-フォンディ城」という名で完成していたのです。

そして1716年に名門貴族のシュヴァルツェンベルク公アダム・フランツがこの城を購入。しかも彼はこともあろうかヒルデブラントのライバルであるもうひとりの巨匠フィッシャー・フォン・エアラッハに城館建築の続きを依頼しました。その工事は1720年から1727年まで続いて、今の城が完成します。それからこの城はシュヴァルツェンベルク家の夏の離宮として使われることになりました。

ちなみに、シュヴァルツェンベルク家は元々フランケン出身で、文献によるとその家系の歴史は1172年まで遡ることができます。15世紀初めには騎士の階級を得て、16世紀後半には伯爵、さらに17世紀後半にはボヘミアの領地を得て侯爵となり、ハプスブルク家の重臣を担ってきた家柄です。ボヘミアとの縁のせいか、同家は1990年から1993年にチェコ大統領の相談役も輩出していますよ。

第二次世界大戦のときはこの城もけっこう被弾して(同ホテルのHPによると庭園を中心に20発被弾とか)、しかもそのあと連合軍に一時接収されるという憂き目にも遭いました。が、1945年早々この城館はシュヴァルツェンベルク家に返還され、5年後の1950年には一族のハインリヒという人が修復を完了。そして1962年からホテルとなり、1968年にはレストランも併設されて今日に至ってます。


■まさに城館の雰囲気
どこか教会の中みたいですが、これはれっきとしたお
城の中。外から眺めただけでも18世紀の雰囲気が伝わってきます。かなり広めにできてるのは、舞踏会でもするせいでしょうか?

イム・パレ・シュヴァルツェンベルクの中

イム・パレ・シュヴァルツェンベルクの食堂

■バロック風の間
本館の中には力いっぱいバロック風の会食室があります。たぶんここはパーティー用かと思いますが、見るだけでもいい記念になりそうですね。


■それほど派手じゃない部屋
建物がアンティークなのとは対照的にモダン系の部屋で、お城の中という感じではありません。いくつかの部屋の大きな写真はこちらのサウイト(500KBもありますが)でご覧になれます。

イム・パレ・シュヴァルツェンベルクの室内


line

前に戻る