オーストリア散策エピソード > No.154
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楽しいオーストリア秘密警察
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秘密警察といえば旧ソ連のKGBや旧ナチスドイツのゲシュタポのように「コワイもの」といったイメージが強いですね。しかし、ウィーン会議時代のオーストリアの秘密警察は一味違います。密偵の物量だけを見たらKGBにもゲシュタポにも負けないパワーなのですが、質のほうに目を向けるどこか間抜けなところがあるのですから。

当時のウィーンの密偵報告には、「ロシア皇帝がアウアースペルク侯爵未亡人にストーカー行為」とか、「プロイセン王が怪しげな変装でお忍びのお出かけ」とか、「バーデン大公は淫売宿でご遊行」といった治安に関係のない興味本位の情報がふんだんに入っていました。警察大臣のハーガー男爵が「どんなに些細なことでもいいから」と言ったら、本当に些細な情報の山になったのです。そして、こういうカス情報が皇帝フランツ1世の手元までしっかり届くところはある意味でエライとも言えるのですが、皇帝がそれをけっこう喜んで読んでいたとされるところは情けなくもあります。

また、当時のオーストリア官警はゴミ箱に捨てられた手紙だけでなく、郵便ポストに投函された手紙まで開封して読んでいました。もちろんそれを禁じる法律ぐらいはあったのですが、バレないように開封する技術の進歩がさらに上だったので、官警が困ることはさほどありませんでした。しかも無断開封の対象は無差別で、皇后の手紙ですら難を免れることはできなかったのだとか。そしてその手紙に面白いことが書いてあればどんな内容だろうが構わず警察大臣にご報告。おかげで「皇帝フランツ1世が外国の貴人からトンマと思われている」という情報まで皇帝本人のところに無事に届いていたのだそうです。このほか、秘密にしておくには惜しいほど面白い話しは噂となって速やかにウィーン中に知れ渡る始末。本来政治目的のはずだった密偵活動はほとんどワイドショーも同然となりました。

なおオーストリア秘密警察の名誉のために申しておきますが、当時のウィーンの諜報活動はスカじゃない情報もしっかり集めていました。大事な仕事はちゃんとこなしたうえで、ロクでもないカス情報にも手を広げていたのです。つまり、カス情報の多さというのは余裕の大きさを示しているわけでもあるのです。しかし、この緊張感のなさはいったい何なんでしょう?

実を言うとこれ、どうもオーストリアに秘密警察まがいの組織ができるまでの経緯と関係がありそうです。オーストリアでいちばん最初に秘密警察的な組織を編み出したのは、マリア・テレジアでした。その組織の名は「風紀委員会」といって、世の男性が浮気したり若い女の子といちゃついたりするのを断固阻止するべく、配下の隠密集団を町に放っていました。普通の国なら独裁者が政治的な反乱分子を押さえ込むために秘密警察組織を作るものですが、オーストリアのそれはもっと世帯じみたことから始まっていたのです。そして、風紀委員会が嗅ぎつける話しは世間の噂好きの餌食になりそうなことばかり。これがパワーアップして本格的な秘密警察ができたら、治安維持より噂話しのネタ探しに熱心になるのは自然の成り行きかも知れませんね。同じ18世紀に最初からマジメに恐怖政治をやるつもりだったフランス革命政府の公安委員会とはワケが違ったのです。

◆参考資料:
会議は踊る - ウィーン列強会議始まる

幅健志著、三省堂
ウィーンはなやかな日々 - 第7章 会議は踊る
マルセル・ブリヨン著、津守健二訳、音楽之友社
Geheimpolizei - MSN Enzyklopaedie
http://de.encarta.msn.com/encyclopedia_761565081/Geheimpolizei.html



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