オーストリア散策エピソード > No.149
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対日不平等条約を心ならずも大促進
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日本に黒船がやってきてから5年後の1858年、江戸幕府は米国、英国、フランス、ロシア、オランダと「安政五カ国条約」と呼ばれる不平等なウンコ通商条約を結ぶハメとなりました。すると1861年にはプロイセンがこれに便乗、さらに1864年には今じゃ永世中立国のスウェーデンや軍艦もロクにない山国のスイス、1866年〜1867年にはイタリア、ポルトガル、ベルギー、デンマークも続々と日本に不平等条約を押し付け、まさにウンコにたかる蝿の山状態となりました。

もちろん、オーストリア=ハンガリー帝国だって、しっかり日本とのウンコ通商条約締結を目指していました。しかし、初回の交渉はなぜかうまくゆかず。図体だけなら欧州随一なのに、山間の小国スイスにさえ遅れをとってしまいました。で、こうなったらオーストリア=ハンガリー帝国の手はひとつ。それは、先行する国にウンコ条約のノウハウをアウトソーシングするということです。しかし、天敵のプロイセンやフランスの世話になるのは癪だし、オランダはその昔スペイン系ハプスブルク家を相手に独立戦争をしてきた国だからこれまたアテにならず。そこで頼みの綱は消去法的に英国の後押しというセンとなりました。

こうして仲介役に立てられた英国の駐日公使ハリー・パークスは「よしきた、任せてくれ!」とオーストリア=ハンガリー帝国の申し出を快く受諾。そして心の中で「ウッシッシ!」と喜びました。そう、「ヤレヤレ」じゃなく「ウッシッシ」とね。

パークスはこのあとオーストリア=ハンガリー帝国のために大変よく働きました。単に「安政五カ国条約」を踏襲した条約文をまとめるだけではなく、当初の不平等条約では曖昧になっていたところ(関税の自主権を日本に与えないことや日本の裁判で自国の人を裁かせないこと)をハッキリした条文に書き換えるという心配りまでしてくれたのです。おかげでウンコ通商条約は大ウンコ通商条約にパワーアップ。こうしてオーストリア=ハンガリー帝国が1869年10月18日(当時の日本が使っていた旧暦では9月14日)に大日本帝国と締結した通商条約は、過去のどの条約よりも日本にとって不平等なものとなりました。ただしオーストリア=ハンガリー帝国の官僚制はとてつもなく能率が悪かったので、皇帝フランツ・ヨーゼフがサインして不平等条約の批准書が交換されたのはもっと先の1872年1月12日(旧暦では1871年12月3日)でしたけど。マジメにヤル気はあったのでしょうか?

余談ですが、米国、英国、フランス、ロシア、オランダは大きな港がいっぱいあるのに対し、オーストリア=ハンガリー帝国はほとんどが内陸で、海といえばアドリア海に申し訳程度に接しているだけでした。しかもその海に面するトリエステ(現イタリア領)の港に本土から東アルプスの山を越えて物を運ぶ手間を考えたら、ドナウ川の運河を経て黒海沿岸に物資を運んだほうがよっぽど効率的。そんなわけで、ちょっとやそっとひどい不平等条約を結んでも日本にそれほど迷惑をかけることはないはずでした。大して用のない通商条約なら、結ばなきゃいいのにという気もしますが。

ところが!大ウンコ通商条約はちゃんと日本に迷惑をかけました。というのも、「安政五カ国条約」を結んでいた米国、英国、フランス、ロシア、オランダは最恵国待遇によって自動的にオーストリア=ハガリー帝国と同じくらい不平等な条件を獲得できることになっていたので。つまり、英国公使パークスが「ウッシッシ!」と喜んでいたのはダテじゃなかったのです。そして、オーストリア=ハガリー帝国は心ならずも条約改悪の引き金を引くという汚名を被ってしまいました。トホホ。

もっとも、日本も日本で強い欧米(弱いのも混じってますが)には不平等条約を押し付けられながら、自国より弱い李氏朝鮮には1876年に不平等条約を押し付け、日清戦争のあとは中国にも不平等条約を押し付けていましたから、そうそう人のことは言えません。ただ、日露戦争のときもっと大きく勝ってロシアに不平等条約を押し付けていたら、日本を褒めてくれる国はいっぱいあったことでしょうね。

ところで、こうした不平等条約の押し付け合いにもいつかは雪解けのときがやってきます。日本の例でいうなら、アジア以外では1888年にメキシコが初の平等な通商条約を結んでくれました。そしてメキシコはハプスブルク家出身の皇帝マクシミリアンがいた国です!これはオーストリア=ハンガリー帝国にとって名誉挽回のチャンスかもしれませんよ。が、しかし!調べてみたらメキシコ皇帝マクシミリアンは運悪く平等条約締結の9年前に同国の革命軍の手で処刑されていました。こと日本との通商に関する限り、オーストリア=ハンガリー帝国の息がかかった人たちは最後の最後までトホホのやりっ放しだったんですね。

メキシコ皇帝マクシミリアンの処刑(モネ作)
メキシコ皇帝マクシミリアンの処刑(モネ作)

なお、日本では2003年に大迷惑だった黒船来航の150周年が楽しくお祝いされ、ついでに「ペリー提督来航150周年記念純銀メダル」を発売するというギャグまで行われています。どうやら不平等条約のことを根にもつ雰囲気はないもようですね。これならオーストリア=ハンガリー帝国のことを怒っている人もいないでしょう。オーストリアのみなさん、日本国民は時としていかなる国の人も真似できないほどの太っ腹になります。どうぞご安心を。

◆画像元:
Wikipedia - Maximilian of Mexico
http://en.wikipedia.org/wiki/Maximilian_I_of_Mexico

◆参考文献:
日本オーストリア関係史
- オーストリア・ハンガリー帝国と日本との最初の条約
- 不平等条約改正の際のオーストリア・ハンガリー帝国の役割

ペーター・パンツァー著、竹内精一、芹沢ユリア訳、創造社
Wikipedia - 日墺修好通商航海条約
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E5%A2%BA%E4%BF%AE%E5%A5%
BD%E9%80%9A%E5%95%86%E8%88%AA%E6%B5%B7%E6%9D%A1%E7%B4%84
旅研 - 世界歴史辞典データベース: 不平等条約
http://www.tabiken.com/history/doc/Q/Q017L100.HTM
Wikipedia - 不平等条約
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E5%B9%B3%E7%AD%89%E6%9D%A1%E7%B4%84
雄松堂出版 - 歴史年表に見る日欧交渉史関連書籍
http://yushodo.co.jp/nitiou/nenpyou.html
雄松堂書店 - アンベール『幕末日本図絵』について
http://yushodo.co.jp/pinus/59/library'santiq/contents1.html
http://yushodo.co.jp/pinus/59/library'santiq/contents2.html
外務省 - デンマーク王国
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/denmark/data.html
外務省 - 橋本総理の中南米訪問: 日本と中南米(エピソード集)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/kaidan/kiroku/s_hashi/arc_96/nanbei/episode.html
Wikipedia - 日墨修好通商条約
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E5%A2%A8%E4%BF%
AE%E5%A5%BD%E9%80%9A%E5%95%86%E6%9D%A1%E7%B4%84


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