オーストリア散策エピソード > No.148
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ザルツブルクの謎の一軒家
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ホーエンザルツブルク城の麓の一軒家

ホーエンザルツブルク城の裏側の麓には、上の写真のような一軒家があります。芝生が広くて風通しのよさそうな家ですね。私がザルツブルク留学中に現地で聞いた話しによると、この家には「清しこの夜」を作詞したヨーゼフ・モーア(1792-1848)の洗礼名を付けた人が住んでいたかも知れないのだそうです。ちなみに、ヨーゼフ・モーアが生まれた家はザルツアッハ川を隔ててお城の対岸側にあり、そこはシュタインガッセという狭い道に面した日当たりも風通しも最悪の場所でした。これ、大貧乏だったから仕方ないけれど、名付け親の家とは見事に正反対ですね。

しかし、ヨーゼフ・モーアの名付け親が住んでいた可能性のある家というのも、よく見るとそんなにマトモな状況ではありません。その家をもっと離れて眺めるとこんな感じで、芝生は「広い」というより「不自然に広すぎ」です。しかも隣家はゼロ。これではまるで陸の孤島状態ですよ。どうしてこういうアホな家が建ったんでしょう?

実はこれ、家の主の職業のせいでこういうことになったのだそうです。その主の職業とは、死刑執行人でした。この仕事はあまりガラのよいものではありませんから、どうしても人々に忌み嫌われてしまいます。その結果、アメリカ大陸でもないのに「大草原の小さなおうち」が建ってしまったのです。

ちなみに、ヨーゼフ・モーアはお母さんが正式な結婚の手続きを経ないまま生まれてきましたので、洗礼名をつけてあげようという人が誰も現れませんでした。そして、そのとき唯一やって来たのは死刑執行人のおじさんだけでした。しかもこのおじさんだけは、「お金を払うからどうかお願い!」と必死。しかし、洗礼名なしで生きるのと死刑執行人に洗礼名をつけてもらうのではどっちがいいかというのは、まるで「ウンコ味のカレーとカレー味のウンコではどっちがいいか?」と訊かれるようなものですね。ヨーゼフ・モーアのお母さんは結局「ウンコ味のカレー」のほうを選び、味覚には我慢しながら実を取りましたけど。

それにしても、あの人里にありながら人里離れたところに住んでいた死刑執行人のおじさんはヨーゼフ・モーアの名付け親になったとき、社会に参加できてどんなにか喜んだことでしょう。そして、理由や経過はどうあれ、この世に生まれてきてさっそく誰かに幸福をもたらしたヨーゼフ・モーアは、「清しこの夜」の作詞者にとてもふさわしい人だったのですね。


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