オーストリア散策エピソード > No.145
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髭に垣間見たタバコの歴史
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W.A. モーツァルト
(1756-1791)

モーツァルトには髭がありません。これ、なぜだと思いますか?「ウィーン 路地裏の風景」(河野純一著、音楽之友社)によると、それは「当時流行していた嗅ぎタバコを吸うため」だったんだそうです。そういえば、その前後の時代に活躍したハイドンやベートーヴェンも髭なしです。よっぽど嗅ぎタバコが流行っていたんでしょうか。

ちなみに、ヨーロッパで最初の嗅ぎタバコが登場したのは1560年頃で、それはフランス王家に嫁いだカトリーヌ・ド・メディチに頭痛薬として処方されたものだったそうです。一方、その前からあったタバコは当然のことながら煙がモクモクでした。で、貴族がならず者の親分みたいに煙をプカプカ吹かすのはどうもガラが悪くていけないということで、煙の出ない嗅ぎタバコが注目されます。こうしていつしか嗅ぎタバコは薬用品から趣向品に変わり、17世紀には他の国々にも広く伝わってゆきました。

その後、嗅ぎタバコには反対勢力というのも現れます。例えば教皇ウルバヌス8世(1568-1644、嗅ぎタバコが嫌いなぐらいだから当然髭あり)は「嗅ぎタバコなんか吸う奴とは面会拒否!」と宣言。さらに1643年にはロシア皇帝ミハイル(1596-1645、髭ボウボウ)が、「嗅ぎタバコを吸う野郎を見つけたら鼻を削ぎ落としてやる!」などと息巻いていました。しかしこういう激しい反感が生まれるということは、17世紀中盤までに嗅ぎタバコが相当な勢いで拡大していたことのよい証拠でもありますね。

で、ここまで来るともう嗅ぎタバコ愛好軍団の暴走は止まりません。おしまいには日本の華道や茶道よろしく、嗅ぎタバコにも厳しい作法(例えば右手で嗅ぎタバコを出したら田吾作扱いなど)まで出て、18世紀にはこれが市民階級まで巻き込んだ一大ブームに発展しました。これでは嗅ぎタバコの邪魔になる髭なんか、恥ずかしくて人前じゃ伸ばせませんね。ことによったら、モーツァルトは嗅ぎタバコが好きだろうが嫌いだろうが関係なく、見栄で髭を剃らざるを得なかったのかも。

ところで、こうした嗅ぎタバコの歴史はちゃんとハプスブルク家の面々の髭にも反映されていたのでしょうか?これ、面白そうなので、さっそく確認してみましょう。

まず、ヨーロッパに嗅ぎタバコが誕生した直後である16世紀後半の皇帝たちを見ると、フィリップ2世とルドルフ2世は髭もじゃ。どうやら、少なくても1600年ごろまでハプスブルク帝国に嗅ぎタバコは伝わっていなかったか、あっても全然ポピュラーじゃなかったといえそうですね。

フィリップ2世 ルドルフ2世
フィリップ2世
(1527-1598)
ルドルフ2世
(1552-1612)

お次はヨーロッパ各地に嗅ぎタバコが伝わった17世紀の皇帝です。こちらを見ますと、フェルディナント2世の代から髭が少しづつ減っていますね。そして、続くフェルディナント3世では顎髭が後退、さらにレオポルト1世の髭はもっと減って、ほとんど鼻の下だけになっています。これなら鼻からものを吸う作業にもさほど困ることはないでしょう。嗅ぎタバコの普及との歩調はしっかり合っています。

フェルディナント2世 フェルディナント3世 レオポルト1世
フェルディナント2世
(1578-1637)
フェルディナント3世
(1608-1657)
レオポルト1世
(1640-1705)

その次は嗅ぎタバコが全盛期を迎えた18世紀の面々です。こちらでは初っ端のカール6世の顔から髭がきれさっぱり消えていますね。で、マリア=テレジアはいくら頑張っても髭が生えて来ないので仕方ないとして、その夫であるフランツ=シュテファン(肖像画は省略)も髭はありませんでした。また、その息子のヨーゼフ2世も髭なしで、さらに時代を降りてフランツ2世(オーストリア皇帝としてはフランツ1世)の顎もツルツル。このほか、下記では肖像を省略していますが、次のフェルディナント1世(1793-1875)の中年の頃の肖像画にも髭などは生えていませんでした。こりゃ見事に嗅ぎタバコの歴史と一致していますよ。

カール6世 マリア=テレジア ヨーゼフ2世 フランツ1世
カール6世
(1685-1740)
マリア=テレジア
(1717-1780)
ヨーゼフ2世(右側)
(1741-1790)
フランツ2世
(1768-1835)

では最後に嗅ぎタバコが廃れていった19世紀中盤以降の皇帝を眺めてみましょう。その結果は下にあるフランツ=ヨーゼフの肖像画のとおりで、ドーンと思いっきり髭を伸ばしています。で、この皇帝の若い頃の肖像画を遡ってみたら、1853年(23歳)にはまだ鼻の下にささやかな髭を伸ばしているだけ。しかし1857年(27歳)の肖像画では晩年のようなスタイルの髭になっていました。

フランツ=ヨーゼフ
フランツ=ヨーゼフ
(1830-1916)

それにしても、ハプスブルクともあろう名門一族の髭が200年以上に渡ってたかだか嗅ぎタバコにこれだけ影響されていたというのは、よく考えてみるとなかなか微笑ましいことですね。どんなに高位といっても、所詮は同じ人間です。

◆参考文献:
ウィーン 路地裏の風景 - モーツァルトにはなぜ髭がないか
河野純一著、音楽之友社
Wikipedia - Snuff
http://en.wikipedia.org/wiki/Snuff_%28tobacco%29
たばこと塩の博物館 - たばこ文化の広がり:葉巻・嗅ぎたばこ・噛みたばこ
http://www.jti.co.jp/Culture/museum/tabako/hirogari/hamaki-kagi.html
Wikipedia - 煙草
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%96%AB%E7%85%99
Wikipedia - ビーダーマイヤー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%A4%E3%83%BC
ショップ リモージュ - リモージュ物語5 嗅ぎたばこ
http://www.shoplimoges.jp/story/5.html


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