オーストリア散策 > エピソード > No.139 |
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ウィーンは欧州の中じゃ珍しく、「19世紀末よりも人口が減った首都」だといいます。そこでさっそく調べてみたところ、結果は下のグラフにあるとおりで、確かに第一次世界対戦のあと帝政が崩壊したらショボショボになっています。その後周辺の町を併合するなどの努力をしても、あまり効果なしという感じで。また、鉄のカーテンが破けたときも、東欧の人たちはオーストリアを素通りして、より経済力の大きいドイツにいっぱい抜けてゆきましたので、さほど人口の減少に歯止めはかかっていません。また、2000年以降は外国人労働者の流入が加速していくぶん人口が増えてきましたけど、2005年にいた163万人のうち28万人が外国人というところから考えて、元から住んでいる人はまだまだ減り続けているようです。やっぱりハプスブルク家のみなさんがホーフブルク宮殿にいてくれないとダメなんでしょうか?
ついでなので、人口10万人から20万人の中核都市はどうなっているのかも観察してみましょう。オーストリアでこのクラスの都市といえば、シュタイアーマルク州の州都で歴史も長いグラーツ、オーバーエスタライヒ州の州都であり工業都市であるリンツ、ザルツブルク州の州都でモーツァルトの生まれた町でもあるザルツブルク、チロルの首都で風光明媚なインスブルックがあります。で、その4都市の人口推移は下のグラフのとおりで、どこも第一次世界大戦前よりは大きくなっているのですが、どうも人口の多い都市ほどくたびれるのも早くなっていますね。グラーツの人口は1960年ごろでピーク、リンツは1970年ごろにピークを打っていて、ザルツブルクとインスブルックは1990年ごろから横這い傾向です。
とはいえ、首都の人口がトホホで中核都市はそこそこ健闘というのは、東京はウヒョヒョだけど地方都市は地盤沈下が止まらない日本とはずいぶん対照的です。そこでもうひとつ、オーストリアの人口数万人クラスの都市はどうなっているのかということも見てみましょう。今回過去140年の人口推移がわかったコンパクト都市は、スイスとの国境に近い工業都市ドルンビルン(フォアアールベルク州)、ドナウの水運と共に栄えて鉄道の発達とともに時代から取り残されたクレムス(ニーダーエルタライヒ州)、近隣の鉱山からもたらされる良質な鉄鉱石を生かして鉄鋼業、機械産業、軍需産業が発展した歴史をもつシュタイアー(ニーダーエスタライビ州)、鉱山技術者を養成する専門大学(←まるで秋田大学みたいですね)のある町レオーベン(シュタイアーマルク州)、その昔ロンメル将軍も教鞭をとっていたという軍事アカデミーのあるヴィーナーノイシュタット(ニーダーエスタライヒ州)、そしてバーベンベルク家(10世紀末〜13世紀半ば過ぎまでオーストリアに君臨)の居城があったという古い町クロスターノイブルク(ニーダエスタライヒ州)です。
余談ですけど、シュタイアーの人口が第二次世界大戦のとき急速に増えているのは、この町の名産品が戦車や銃だったためでしょう。もっとも、そんなものをいっぱい作っていたら連合国から大空襲を受けるはずですね。しかし、私が1991年にそこを訪れたところ、なぜか古い建物がたくさん無傷のまま残っていました。そしてシュタイアーの人口は戦争直後の1950年ごろでもむしろ増加しています。これはちょっと不思議ですね。一方、ヴィーナーノイシュタットのほうは1983年に訪れてみましたが、当時でもかなり爆撃の形跡が残っていましたよ。それから、上のグラフでドルンビルンの人口が不自然に激しく増加していますが、この都市は周辺の町をときどき飲み込んでいます。元のドルンビルンだけなら、人口の伸びもかなりおとなしいはずです。
ところで、世界の大半の国々ではグローバル競争だのビッグビジネスだのといって大都市への人口流入が止まらない中、なんでオーストリアだけは逆に人口の少ない都市に人が流れているんでしょうね?思うに、これはこの国で観光産業へのシフトが静かに加速しているせいではないのでしょうか。幸いにもオーストリアの地方には、美しい都市がたくさん残っています(というより、薄汚い町を探すのはほとんど不可能です)。そして、山林を開発して大工場を建てたり、古い建物を取り壊してビルやマンションを乱立させたり、24時間休みのない株や商品取引で身をすり減らよりも、自国のもつ美しい町という社会資産を生かして観光業に励むというほうが、ずっと幸せに生きられると思います。オーストリアの人たちは、無意識の中でそうしたことに薄々気付いているのではないでしょうか?こりゃ、トホホな歴史の多い国だからといって侮れませんよ。国際競争の波に踊らされている米国、日本、アジアの新興国の人々のほうこそ、もしかしたらずっとアホなのかも知れません。 備考:ご参考までに、オーストリア全体(今のオーストリアの領土にあたる部分のみ)の人口は下記のグラフのとおりで、直近の2006年まで右高上の状態がまだ続いています。つまり、首都ウィーン、グラーツ、リンツの人口減少は、国全体の人口動向を反映したものではないのです。
◆参考資料: |
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