オーストリア散策エピソード > No.115
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オーストリアの地名の語源 その1



今日は「オーストリアの地名の語源」の第1回目として、西部4州の州都の名の歴史をご紹介しましょう。これ、面白いことにいちばん田舎のブレゲンツが最も古い地名を残しているんですよ。

ブレゲンツ(Bregenz)- フォアアールベルク州:

このあたりには紀元前1,500年頃からケルト系の「ブリガント族」が住んでいました。そして紀元前15年にはローマ軍がやってきてここに都市を建設し、その地を先住民の「ブリガント族」にちなんで「ブリガンティウム(Brigantium)」と銘名。これが現在の「ブレゲンツ」という地名の語源になりました。すごく長持ちしてる地名ですね。

なお、今のブレゲンツを州都とするフォアアールベルク州の住民はゲルマン系のアレマン族の末裔で、ドイツ南西部のシュヴァーベン地方やスイス本土のドイツ系の人々とよく似た方言を話します。一方、オーストリアのチロルからウィーンにかけての地域に住む人々は同じゲルマン人でもバユバール族系であり、その名残としてブレゲンツあたりとは方言もだいぶ異なります。

インスブルック(Innsbruck)- チロル州:

この地名が文献に初登場したのは1167年のことでした。最初の名は少し訛ってインスプルク(Innspruk)といったのですが、その意味は「イン川(der Inn)に架かる橋(Bruecke=訛るとPruk)」という他愛もないものです。なんでも、この町でいちばん古い橋が12世紀中頃にできたことにちなんでつけられた地名なのだとか。

もっとも、インスブルックのあたりにもブレンゲンツと同様に紀元前の時代にはケルト系の人々が住むことは住んでいました。しかし、当時のケルト人たちは今のインスブルックの中心部からちょっと外れたところに住んでいたため、ケルト語がチロルの州都に直接的な影響を与えることは起こりませんでした。

ちなみに、このあたりで太古の昔にケルト人が集落をなしていた場所は今のインスブルック市の一部であるヴィルテン(Wilten)というところなのですが、このヴィルテンという名はケルト時代のヴェルディデーナ(Veldidena)という地名の名残りなんですよ。

ザルツブルク(Salzburg)- ザルツブルク州:

ザルツ(Salz)はドイツ語で「塩」、ブルク(Burg)は「要塞のような城」を意味することから、よく観光ガイドには「塩の城」がこの町の語源だと書かれています。しかし、正確にいうとこれはちょっと違います。というのも、岩塩が取れた場所は今のザルツブルクからちょっと離れていますから。実をいうとこの町にあるホーエン・ザルツブルク城はその昔「ザルツアッハブルク(Salzachburg)」と呼ばれ、これが短縮されてザルツブルクという地名ができていたのです。そして、ここに登場する「ザルツアッハ」というのは、今のザルツブルク市内を流れている川の名前です。つまり、「ザルツアッハ川を見下ろす要塞(の町)」というのがザルツブルクの本当の語源なんです。

ちなみに、ザルツブルクもケルト時代から人が定住していたところで、ローマ時代の地名はユヴァーヴム(Juvavum=語源の意味は不明)といいました。で、のちにフン族だのなんだのがやってきて町をボコボコにしたため、ここは一度廃墟となりました。そして696年に今のドイツのヴォルムスからルペールトという司教がやってきてこの地に聖ペーター修道院を建設するとともに町を再建、これが今のザルツブルクの源流になっています。ザルツブルクの町がケルト時代やローマ時代の地名を受け継がなかったのは、歴史がこうして一度リセットされていたからなんですね。

余談ですけど、今のザルツブルクの町の守護聖人は「聖ルペールト」といって、この人とは696年にユヴァーヴムの廃墟を発見して町を再建させた司教ルペールトのことなんですよ。

クラーゲンフルト(Klagenfurt)- ケルンテン州:

ここは昔から水害の多い場所ということもあるせいか、ケルト時代にマトモな町があったという記録は見当たりませんでした。もうちょっと探してみますけど。また、現在のクラーゲンフルトのあたりはその昔グランフルト(Glanfurt)と呼ばれていたのでが、その意味は単純で、近くを流れる「グラン川」の「岸辺」というものでした。で、クラーゲンフルトという地名が初めて文献に現れたのは1193年〜1199年(ケルンテン公国のヘルマンが町を建設)といいますが、そのときのスペルはかなりムチャクチャで、Chlagenvurth(発音は今とよく似たクラゲンフルト)となっていました。

クラーゲンフルトという地名の語源は未だにどこかハッキリしていません。面白いところでは、ドイツ語の「klagen」が「文句をいう」という意味だから「(洪水や伝説の極悪ドラゴンに)文句タラタラの岸辺」という説があります。でも、いくらなんでもこれは安易すぎでしょう。それに、そんなにイヤなとこならさっさと廃墟にされてたはずです。私としては、「水の精であるクラーガ(Klaga)」を語源とする説がいちばんもっともらしいと思っていますが。というのも、クラーゲンフルトに流れている「グラン川」の語源はスラブ語だし、クラーガもスラブ系の妖精の名だと聞いたことがありますので。

◆参考資料:
KNOW LIBRARY - BREGENZ
http://brigantier.know-library.net/
Stadt Innsbruck - Die Geschchite von Innsbruck
http://www.innsbruck.at/io30/browse.doB?currPath=%2FWebseiten%2FZoom%2FGeschichte
Salzburg Panorama Tours - Reich an Kultur & tradition
http://de.panoramatours.com/touristguide/history.htm;jsessionid=gu1knjmkmx2r
Wikipedia - Klagenfurt
http://de.wikipedia.org/wiki/Klagenfurt
Wikipedia - Glan (Kaernten)
http://de.wikipedia.org/wiki/Glan_%28K%C3%A4rnten%29





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