オーストリア散策エピソード > No.119
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ウィーンにもあった銭湯の全盛時代
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ヨーロッパ人はあまり風呂に入らないといいますが、これって昔からそうだったわけではありません。たとえば古代ローマは入浴のしすぎで滅んだとさえ言われています。では、いったいどうして日本と欧州の風呂の文化はこうも分かれてしまったのでしょう?今日はオーストリアの風呂を例にとって、それを解明してゆきましょう。

日本で今の入浴の元になる習慣が始まったのは、6世紀の仏教伝来の時代だったといいます。このとき、「身を清めるのは仏に対する大切なお仕え」と称して寺院が人々に施湯を実施しました。たぶんホントの狙いは「信徒を獲得して仏教の布教を拡大し、ウッシッシ!」ということろだったと思いますけど。だって、水で身を清めるのはどちらかといえば神道の発想で、仏教なら塩を使うはずですから。が、入浴そのものはとても気持ちがいいので、これが人々から歓迎されたのはいうまでもありませんでした。

一方ヨーロッパでは、515箇条という多すぎの信仰箇条を書いた堅物のベネディクトが「入浴は快楽だからけしからん」といってこれを年数回のみに制限。仏教とは正反対の態度をとりました。とはいえ、その後の歴史を見るとこれはどうやら入浴そのものの快適さを戒めているというよりも、古代ローマのような風呂のついでのお楽しみを禁じたかったというのがホンネというフシがあります。

さて、中世に入ると日本では施湯のあとに茶の湯や酒宴をする風習が広がり、これが「風呂」と呼ばれるようになりました。また、この時代になると寺社や幕府だけでなく、富裕な町人も施湯を行うようになりました。ご近所の人々を呼んで風呂を提供し、そのあと優雅に茶の湯や酒宴の席をみんなで楽しもうというわけです。さらに、農村のほうでも観音堂などに信者が酒と肴を持ち寄って「風呂」を楽しむという習慣ができ、こうして風呂は国民的な楽しみになっていったといいます。

オーストリアでもこの時代には、室町時代の日本のように客人を施湯と酒や料理でもてなす富裕な家というのがよくありました。また、ベネディクトの戒めがあったにもかかわらず、実をいうと中世のヨーロッパでは風呂屋が大人気で、ウィーンにも立派な「風呂屋街」があったといいます。営利目的の風呂屋では、日本より歴史が古いですね。ちなみに、ウィーンで風呂屋街があった場所は今のシュトゥーベンリング(Sutbenring)というところでした。で、シュトゥーべというのは直訳するとワインケラーのような「部屋」といった意味になるのですが、昔のオーストリアではこれが「風呂」も意味していたんだそうですよ。そして偶然ながら、日本の「風呂」の語源についても柳田國男氏から「室」を意味する「ムロ」という説が出ています。洞窟の中のように非常に閉鎖的な所で火を焚いたものが風呂のルーツだというわけです。

なお、オーストリアの風呂屋は食事やワインのほかにお色気サービスもやっていたので、ちょっと小金がある程度ではここに週2回ほど通うだけで文無し確実でした。が、ビンボーになるだけならまだマシで、新大陸の発見とともにもたらされた伝染病(特に梅毒)が風呂屋を介して蔓延したのはもっと致命的でした。当時のウィーンの風呂はあまり大きくないタライ型の湯船に高価なお湯を手桶で汲むもので、同じ湯に多くの人が浸かったうえ、タオルなどの使い回しも平気で行われていたため、衛生面のリスクがとても高かったのです。で、これを見た教会は「そら見たことか、神様の罰だ!」と勢い付き、風呂屋はショボーン。30年戦争(1618-1648)の頃になるとウィーンの風呂屋はほとんど壊滅してしまいました。また、現在の欧州でサウナ風呂が主流になっているのもこのときの名残りではないかと言われています。

もっとも、昔のウィーンの風呂がすべて弾圧されていたかというとそうでもありません。たとえば十字軍で傷ついた兵士には施湯がなされたし、ハンセン病の予防のために施湯が勧められこともあったといいます。要するに入浴が健康にいいことはそれなりに理解されていたのですが、風呂屋にある余計な歓楽のほうにどうしても人々がなびいてしまうので、そういう連中を一網打尽にするため、風呂そのものを禁止せざるを得ないという一面もあったのです。

ところで、ウィーンの風呂屋が沈没したころ、日本では江戸で初の銭湯(1591年)が誕生したというという記録が残っています。そして、そこからわずか20年か30年後にはすでに江戸全体に銭湯が普及していたんだそうです。まあ、当時はまだまだ湯が高価だったので、上半身は蒸風呂で下半身だけ湯に浸るものでしたけど、この普及ぶりはすごいですね。それと、江戸の日本にもウィーンのように「湯女風呂」というのができることはできて、昼間は体を洗うサービスをする傍ら夜はお色気サービスを行い、これは一時大人気となりました。しかし、なぜか1703年の震災を機にこの「湯女風呂」は自然消滅。一方、1階は風呂で2階はお茶、お菓子、将棋、囲碁のサロンというまじめな銭湯のほうは無事に生き残りました。

続いて江戸時代以降のオーストリアを見てみましょう。風呂屋が壊滅したウィーンでは、「お湯がダメなら水」ということでドナウ川に繰り出す人々がいたのですが、時々深みにはまって溺れたりする人もいて、これはなかなか大変でした。また、混浴だったのでどうしても邪念を抱く人というのがあとを絶たず、結局これまた当局からお目玉を食らうことに。そして1643年には「ドナウ川水浴禁止令」というのも出されたのですが、ベネディクトの戒めも守れない人たちがそんな命令なんかスンナリきくわけがありません。で、堪り兼ねた当局は1799年に水浴禁止令を再度出すとき、「ドナウ川のタボール橋のところに男女別々で2つの大水浴場を設置!お願いだからそこだけで水浴して!!」と哀願する始末となりました。ついでながら、この余計な娯楽施設のない水浴場は、その後の欧州の上品系温泉(日本の温泉とだいぶニュアンスが違います)の原型になっていったといいます。

なお、湯に浸かる入浴が完全に廃れた欧州の中で、実は19世紀に毎日入浴を欠かさないという有名な人物が1人いました。その人とは、ハプスブルク家のエリザベート皇后(シシー)です。シシーはホーフブルク宮殿に大きなバスタブを持ち込み、周囲のヒンシュクをモノともせず日々美容に努めていたんですよ。偉いですね。

一方、日本では江戸時代の終わり以降から銭湯に大きな変化がいくつも出てきました。そのひとつは男女別浴です。欧州と同様に日本も昔は混浴でした。ただ、当時の風呂は蒸気を逃がさない構造のため採光が少なくて暗かったうえ、欧州人ほど性に過剰反応する文化もなかったため、日本では邪念を起こす人がほとんどいなかったといいますが。しかし、開国のときその無邪気な混浴を見た欧米人が「こりゃ不道徳の温床になる」と自分たちのセンスで勝手に決め付けたことに日本側が譲歩、さらに蒸気を外に逃がす(つまり採光のよい)タイプの「近代風呂」ができたこともあって明治23年には「男女7歳以上は混浴厳禁」というお触れが出され、ついに別浴が普及することとなりました。さらに大正から昭和にかけて木の床はタイルの床に変わり、カランも取り付けられ、湯船は洗い場より高くされて衛生面がいちだんとよくなり、ウィーンとは逆に銭湯がますます発展してゆきました。もっとも、高度経済成長以降はかつてのようなサロンの機能が希薄になってきたし、最近は個人の家に風呂が普及してきたことから、さすがに日本の銭湯も衰退を始めていますけどね。

これに対して、現代のオーストリアのほうはシシーを見習おうという人が全然出てこなかったようで、結局湯船でリラックスする入浴の習慣は廃れたままです。でも、サウナや水浴場はちゃんと繁盛しているようですね。国民こぞってゴミまみれというほどにはなっていないところはひとつの救いです。

以上をまとめますと、オーストリアと日本の銭湯の行く末を分ける発端となったは仏教とキリスト教の入浴に対する考え方の違いであり、どうやら俗に言われる気候のせいではなかったようです。また、オーストリアの銭湯の敗北にダメ押しをしたのは、ウフフなことがしたいというお客の欲望とそれに便乗して一儲けしたがった経営者ですね。これに対して日本では古来から個人の欲望をほとんど追求せず、コミュニティー全体の楽しみに重きを置いたところがよかったのだと思います。しかし、だからといってオーストリアの文化が劣っているというわけではありませんよ。オーストリアの人々だって私利私欲とは縁の薄いくつろぎの場所を別なところにしっかり作っていますから。それはウィーン名物のカフェーです。入浴に比べたら格段にお金のかからないコーヒー1杯で何時間でも常連の人たちと談笑でき、しかもつつましく新聞を読んだりチェスに興じたりできたカフェーというのは、かたちこそ違えど日本の風呂がもつ文化と共通しているでしょ。

◆参考文献:
ウィーン 路地裏の風景 - ウィーンの風呂
河野純一ン著、音楽之友社
東京都浴場組合のホームページ - 銭湯の歴史
http://www.1010.or.jp/menu/history/rekishi01.html
伍助のホームページ - 愛媛県の公衆浴場探訪のページ > 公衆浴場のあゆみ
http://www.bekkoame.ne.jp/~pajero2/sentou/ayumi.htm
ミツカン水の文化センター - 体を洗う
http://www.mizu.gr.jp/kenkyu/mizu11_arau/no11_c01.html

Wikipedia - 銭湯
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8A%AD%E6%B9%AF


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