オーストリア散策エピソード > No.114
前に戻る


ウィーンを闊歩した変な平和の使者
line


ヴァルリーゾじいさん
(1)ヴァルリーゾじいさん

上の写真の人物、80年代から90年代前半にかけてウィーンを訪れた方なら一度は見かけたことがあると思います。白いトーガに月桂樹の冠、そして「子供に愛を、世界に平和を!」と書かれた旗といういでたちでシュテファン教会のあたりに出没していたこのじいさんは、その名をヴァルリーゾ(Waluliso)といいました。これは、Wasser(水)、Luft(空気)、Liebe(愛)、Sonne(太陽)の頭の2字をくっつけてできた名前だといいます。

オーストリア人の友人によると、こちらからこの人に話しかけるにはひとつの作法があるとのことでした。まずこちらが指でピースをして、それにヴァルリーゾじいさんがピースで応えたら、その指のピースとピースと映画のETみたいにくっつけてにっこり笑い、これで会話が始められるんだそうです。なんだかずいぶん大袈裟な気もしますけど。もっとも、じいさんのほうから通行人に「環境問題について語ろう!」などと話しかけるときは、いちいちこんな儀式なんかやってなかったようですが。

ヴァルリーゾじいさんは帝政末期だった1914年7月2日のウィーンに生まれ、本名はLudwig Weinberger(ルートヴィヒ ヴァインベルガー)といいました。そして物心ついた4歳から5歳のころにかけて帝政は崩壊、さらにそのあともクレディットアンシュタルト銀行の破産と大恐慌、ナチスドイツによるオーストリア併合、第二次世界大戦の勃発、旧連合国によるウィーン分割統治(特に旧ソ連に占領された地域の状況はサイテー)とロクでもないことがたくさん続きました。

それから長いときを経て1980年代、欧州では東西冷戦が核戦争につながるのではないかという危機感がピークに達し、各地で数万人とか数十万人という大規模な反核集会が起こります。で、そのちょっと前に我らがヴァルリーゾじいさんもついにブチ切れ、必殺のトーガと月桂樹を旗をもってシュテファン広場に出撃。それから延々と10年以上にわたって暑い日も寒い日も「平和伝道」の活動に励むこととなりました。

とはいえ、シュテファン広場の界隈というのは大道芸人がやたらに出るところでもありますから、おとなしく地味にしていたらじいさんの平和活動はすぐにかき消されてしまします。そこでヴァルリーゾじいさんはただでさえ異様な格好をさらにパワーアップする過激ぶりを発揮。例えば左下の写真のように白いパラソルをさすこともあれば、右下の写真のように腰みのスタイルで登場することもありました。こうなるとほとんどヤケクソですね。特に腰蓑スタイルのほうはどうみても化け物ですよ。ちなみに、初期の頃と思しきWalulisoじいさんの姿はこちらのとおりで、元はけっこうマトモなうえ、少しカッコイイです。どこで道を踏み外したんでしょ?

パラソルのヴァルリーゾじいさん
(2)パラソルをさしたヴァルリーゾじいさん
腰蓑のヴァルリーゾじいさん
(3)腰蓑スタイルのヴァルリーゾじいさん


ところで、この奇抜な ヴァルリーゾじいさんがホントはかなりマトモな業績も残しているってご想像できますか?実はこの人、1970年代にドナウ川運河にある幅200m、長さ20kmの異様に細長い川中島を市民の憩いの場にするため、数万人の署名を集めることに成功したことがあるんですよ。ヴァルリーゾじいさんが80年代に入ってさらに突っ走ったのには、こうした過去の成功への自信という背景があったんです。

ドナウの川中島
(4)ドナウの川中島


また、ヴァルリーゾじいさんは「平和」のほかに「有名になること」も大好きだったようです。その証拠に、この人の写真を見ると体のどこかに「WALULISO」という名が目立つようについています。しかもアップで撮影のときには、それ専用とも思しき名札をピンで胸のところに留めるという用意周到ぶりです。また、近くで大道芸人が自分より目立つことをすると、そちらに向かって露骨に口を尖らせる一場面も。なんだかカワイイじいさんですね。でも、その甲斐あってヴァルリーゾじいさんはしっかりと「戦後最長の政権を誇ったブルノ・クライスキー首相の次に有名なオーストリア人」という評判をもらうに至り、おまけに政府系出版社の発行する「オーストリア百科」にも載るほどとなってますよ。よかったですね。

その後、ヴァルリーゾじいさんは1996年7月21日にウィーンで84歳の生涯を閉じました。もうこのじいさんの姿を見かけることはできません。しかしよく調べてみたら、ヴァルリーゾじいさんの足跡だけはしっかりウィーンに残っていましたよ。例のドナウの川中島にかかる浮き橋に「ヴァルリーゾ橋」という愛称がこっそりつけられているんだそうです。この「ヴァルリーゾ橋」は川の水嵩が増すと危険なので通行不可になるというトホホな橋なんですが、これって生前のヴァルリーゾじいさんのイメージになんだかよく合っているような気もしますね。

このじいさんの存在はギャグだったのか、それとも新たな歴史の1ページだったのか?生前はトーガや腰蓑スタイルのインパクトが強すぎて頭のおかしいじいさんという評価のほうが優勢でしたが、その後は「ヴァルリーゾじいさんがもっと早くトーガを着ていたら、ベルリンの壁崩壊も前倒しになっていたに違いない」というコメントをする人も出てきましたよ。この調子でゆけば、インドのマハトマ・ガンジーじいさんと肩を並べるチャンスもありそうです。頑張れヴァルリーゾじいさん!

◆参考文献:
Wien.at - Rund-un-Wien-Wanderung-geaendert
http://www.wien.gv.at/vtx/vtx-rk-xlink?DATUM=20010831&SEITE=020010831004
freenet.de, Suche im Freenet Lexikonaus Wikipedia- Donauinsel
http://lexikon.freenet.de/Waluliso

◆画像元:
(1) ヴァルリーゾじいさんの普通の姿 - (Oesterreich Lexikonより)
http://www.aeiou.at/aeiou.encyclop.w/w164244.htm
(2) 遍路さんみたいな恰好でパラソルをさしたヴァルリーゾじいさん(Photovisionより)
http://members.chello.at/obermann1/humans.htm
(3) 腰蓑スタイルのヴァルリーゾじいさん(Picbox.netより)
http://www.picbox.net/originale/waluliso.htm
(4) ドナウの川中島(Suche im Freenet Lexikonaus Wikipediaより)
http://lexikon.freenet.de/Donauinsel



line

前に戻る