オーストリア散策エピソード > No.108
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マクシミリアン1世、キレる!
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エーリヒ・フォン・ブラウンシュヴァイク=カーレンベルク
エーリヒ・フォン・ブラウンシュヴァイク=カーレンベルク


ハプスブルク家のマクシミリアン1世(1459-1519)は、勇敢、正直、公正でおおらかな性格から、「中世最後の騎士」と謳われた人物です。しかしそういう人でも、やっぱりたまにはキレることだってあります。それはバイエルン継承戦争で、マクシミリアンを裏切り敵側に寝返ったあげく無礼千万を働いた、クフシュタインの城代ヨハン・ピンツェナウアーの一味を退治するときのことでした。

クフシュタインは今のオーストリアと独バイエルンの国境にあるイン川のほとりの町で、その川を見下ろす山の上に立った城はなかなかの難攻不落ぶりを誇っていました。よって、マクシミリアン軍がちょっとやそっと大砲で打ったぐらいではビクともしません。これで調子に乗ったピンツェナウアーは「うひょうひょ!」といい気になり、フザけて箒のついた砲弾を送ってマクシミリアンを最大限に侮辱します。なんだか発想がガキの喧嘩みたいに低レベルですね。トホホ。

もちろんマクシミリアンが頭にきたのはいうまでもありません。こうなったら絶対にクフシュタイン城を陥落させてやるのだといきり立ち、王宮があったインスブルックの兵器庫から必殺の破壊力をもつウルトラ大砲の数々を持ち込みます。しかもその大砲には1台ずつ「トルコの女帝」とか「ブルグントの女」という凄そうな名前がついていて、中には「すばらしきガチョウ」という意味不明な名前のもありました。ついでにマクシミリアン1世はなぜか大砲を打つのが大好きだったそうで、自ら火薬と砲弾と詰めてはクフシュタイン城めがけて火を放ったそうです。きっと「映画・セーラー服と機関銃」の薬師丸ひろ子みたいに、ぶっ放したあと「カイカ〜ン!」と言ってたんでしょうね。で、そのガチョウだの女帝だのという大砲からお見舞いされたすざまじい破壊力の砲弾は、的の要塞に次々と命中。あの堅牢さを誇ったクフシュタイン城の壁を吹き飛ばされて、ピンツェナウアーたちはあえなく降参するハメになりました。あんまり相手をおちょくって本気にさせたのがいけなかったんでしょう。アホですね。

さて、そのあとマクシミリアンは敵軍の陣地にいたボヘミアの傭兵を無罪放免にしてやりました。「仕事で雇われて戦闘をしてただけだから、悪気はなかったんでしょう」という大らかな判断です。さすがは「中世最後の騎士」ですね。しかし、謀反の張本人であるピンツェナウアーの一味42人に対してはいつもの寛大な皇帝らしからず、「即刻全員処刑!」という命令が下りました。しかも、「もしこの命令を止めようとする者がいたら平手打ちだぞ!」と自分の部下たちにも念を押す始末。また、一転してピンチに立ったピンツェナウアーは「3万グルデンあげるお助けを!」と言いましたが、慢性的な金欠病にも関わらず、皇帝はこれも無視です。こりゃ、かなりキレていたようですよ。

こうして1人ずつ処刑が始められたのですが、17人目の男は格別に必死で抵抗し、金切り声を上げながらすごく哀れに命を絶たれてゆきました。で、これを見兼ねたある部下が勇敢にも、「皇帝陛下、これ以上の処刑はおやめになりませんか?」と進言。それは、マクシミリアンの忠臣エーリヒ・フォン・ブラウンシュヴァイク=カーレンベルクでした。この人、見上げた勇気の持ち主ですね。もちろん、皇帝は彼のところにゆくと、罰として平手打ちをすべく手を動かします。が、その手はエーリヒの頬をそっと撫でただけでした。そして、残った25人の処刑はとりやめにされたといいます。エーリヒの目によほどの説得力あったのか、それとも彼のことばで皇帝がふと我に返ったのかは知りませんけど、命の助かった敵は相当嬉しかったでしょうね。

ところで、このメチャクチャ頭にきていたマクシミリアン1世にこの捨て身とも思える進言をしたエーリヒって、どんな人だったんでしょう?歴史の表舞台では見かけない名前ですが、ちょっと興味深い人物ですね。

実はこの人、名門・ヴェルフェン家の家系出身でした。1470年にブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル大公ヴィルヘルムの次男として生まれ、のちにマクシミリアン1世に仕えて対オスマントルコとフランスの戦争に行っています。特に1504年には、レーゲンスブルク郊外のメンゲルスバッハの戦いで、前線に立つ皇帝が敵の刃にかかりそうになったとき、これを庇おうと身代わりに切られて負傷をしていますよ。つまり、エーリヒは皇帝の命の恩人だったのです。またこの人は1494年に父親からご領地分割でカーレンベルク=ゲッチンゲン侯国を継承しているのですが、当初その統治権は兄のハインリヒに託していました。マクシミリアンの家臣としての本業に励みたかったからしょう。それにしても、よく人を信じ、ついでに欲のない人ですね。

エーリヒのことばがマクシミリアンの胸に響いたのは、おそらくこうしたエーリヒの私利私欲のない行いがあったせいでしょう。そして、「処刑を諌めたらお前も死刑!」じゃなくて「平手打ちだぞ!」と言うあたりには、マクシミリアン自身が誰かに止めに入ってほしいと望んでいたフシもあるような気がします。だって、平手打ちじゃ死にませんからね。もしかしたらエーリヒはそういう主君の心の内を察して止めに入ったのかも知れません。17人の敵は処刑されてしまいましたが、当時の時世を考えるなら、25人の命がムダに失われなかっただけでもマクシミリアンとエーリヒは褒められていいかと思います。おまけにボヘミアの傭兵だってみんな助かってるんですから。

◆参考資料:
中世最後の騎士: スイス戦争とバイエルン継承戦争の間で
江村洋著、中欧公論社
SAGEN.at - Das projekt der Sagensammlung : Die Eroberung von Kufstein
http://www.sagen.at/texte/sagen/oesterreich/tirol/zingerle/kufstein.htm
Die Welfen: Erich I.(1470-1540) Herzog zu Braunschweig-Wolfenbuttel-Calenberg
http://www.welfen.de/erichi1.htm [エーリヒの画像元もこちらです]
ラインの王族: ヴェルフェン家
http://page.freett.com/mako_vl/braunschweigwelfen.html#mittlerescalenbergerich1
ラインの王族: Erich I, Herzog von Braunschweig-Calenberg, 1470-1540
http://page.freett.com/mako_vl/deutschland/braunschweigcalenbergerichi1470-1540.html



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