オーストリア散策エピソード > No.102
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トゥルン・ウント・タクシス家のボロ儲け
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デ・ラ・トッレ家の古い紋章
デ・ラ・トッレ家の古い紋章


オーストリア、スイス、ドイツなど欧州の多くの国の郵便局のマークにはポストホルンというラッパ(これ→オーストリアの郵便マーク)が採用されていますが、その起源を遡ってゆくと最後には上の絵の紋章にたどり着きます。この紋章はイタリアのベルガモ出身のド・ラ・トッレ家が今から約900年前に使っていたものでした。この一族はその後ドイツ風にトゥルン・ウント・タクシスと名乗り、今の本家の人々は独レーゲンスブルクのエムメラム城に住んでいます。苗字のトゥルンは元のイタリア名のトッレ(塔の意味)がドイツ語のトゥルムになりこれがさらに訛ったもので、タクシスのほうは同家が税金(Tax)の徴収を請け負っていたことの名残りです。が、この一族は自分たちのことをイタリア人でもドイツ人でもなく、オーストリア人だとみなしているのだそうですよ。なぜなんでしょうね。

同家の郵便事業の始祖はドイツ名でフランツ・フォン・タクシスという人でした。その参入のきっかけは、1489年にハプスブルク家の皇帝マクシミリアン1世の郵便物を請け負ったことにあります。とはいえ、当初の事業は皇帝の郵便物専業で、しかも料金はゼロ。名誉だけでありがたいと思え、というところだったのでしょう。

しかし、フランツは名誉よりも儲けのほうを優先だったので、イッヒッヒと悪企みを実行することにしました。それは、皇帝から預って馬車に乗せた急使と金品を人質にとって、「有料の郵便事業を許可しなければ返さないぞ!」と迫るかなり強引なものです。で、この企てはまんまと成功し、トゥルン・ウント・タクシス家はそこから約350年以上にもわたってボロ儲けを続けました。けっこうワルですね。

もちろん、フランツの前の時代にも、郵便物を運ぶ人がいることはいました。しかしそれは、学生、修道院、あるいは個々の商業組合の飛脚が単発的にあったというレベルにすぎません。一方、フランツの郵便システムは駅を作って馬車と馬車で手紙をリレーするという組織的なもので、配達のスピードもさることながら、その配達距離も従来の飛脚とは比べ物にならないほどの優れたものでした。

郵便事業はその後さらに新たな市場も取り込みました。17世紀末になると郵便馬車が人も乗せるようになり、続く18世紀には旅行需要の拡大もあって利用者の層も広く増えていったのです。当初は4人乗りか6人乗りでしたが、そのあと12人乗りの郵便馬車も登場してきたそうですよ。モーツァルトがたくさん旅をしたのもこのおかげでしょうね。ただ、その料金はすごく高かったうえ、乗り心地は最低でした。バネの利いた車両もゴムのタイヤもない時代にデコボコ道を飛ばすんですから、快適な旅など望むほうが無理ともいえますけど。

そういえば当時のトゥルン・ウント・タクシス家の郵便馬車は苦難を象徴するという意味で赤く塗られていたのですが、もしかしてこれって御者じゃなく乗客の苦難を表していたんでしょうか?ちなみに、今の郵便バス(オーストリアでは1907年から運行)は黄色ですが、これは「今度はラクに乗れますよ」という意味なのかも知れませんね。

もうひとつ余談ですが、タクシス・ウント・トゥルン家が郵便事業をしていた頃には切手というものがロクになく(世界最古の切手は1840年にイギリスで発行、トゥルン・ウント・タクシス家の切手は1850年)、受取人が料金を払うこともごく普通だったそうです。というのも、金品を運ぶ郵便馬車は盗賊に狙われる危険があって、本当に宛先に届くかどうかわからなかったので。昔の郵便は大変だったんですね。

さて、こうした事業の成功の傍らでトゥルン・ウント・タクシス家は侯爵の地位まで上り、のちには総領のマクシミリアン・アントン・フォン・トゥルン・ウント・タクシスがシシー(皇帝フランツ・ヨーゼフの皇妃)の姉であるヘレーネ・フォン・バイエルンと結婚。これで皇帝の親戚にもなっています。そして、最初は皇帝マクシミリアン1世から脅迫まがいで商権を獲得したとはいえ、その後この一族が得た事業の発展と侯爵の地位はハプスブルク家あってこそのものでした。その意味で、トゥルン・ウント・タクシス家がオーストリア人を名乗り続けるのには十分な理由があったといえますね。

なお、同家の郵便事業は19世紀後半で幕を閉じています。1800年ごろから、「そんなに儲かるなら郵便事業を国営化しよう」という動きが起こってきたので。そしてトゥルン・ウント・タクシス家は郵便事業を次々と売却、1867年に900万マルクでプロイセン帝国に譲った事業を最後に、このビジネスがら手を引くこととなりました。そういえば現代はどの国も当時の欧州と反対に郵政を民営化の方向ですね。「儲かれば国営、儲からなければ民営化」というのは世界共通認識なんでしょうか?

オマケですが、郵便事業を手放したあとのトゥルン・ウント・タクシス家は、そのまま手をこまねいてなんかいませんでした。事業売却で得た資金を別の分野に投資してこれまた成功を収め、大富豪ぶりにいちだんと磨きをかけています。さらに1984年には当主のヨハネスが元ウェートレスでファッションはパンクとされるグロリアという女性(写真で見た限りではそんなひどい人という印象じゃありませんが...)と結婚して大ヒンシュクを受けてましたが、1990年にそのヨハネスが亡くなるとグロリアは14億ドルの資産の運用に見事な采配を発揮。亡きヨハネスは伊達にパンクの女性を選んだわけじゃなかったようで、またまたセーフとなっていますよ。

◆参考資料:
ハプスブルク夜話 - 郵便侯爵
ゲオルク・マルクス著、 江村洋訳、 山川出版
ドイツ 歴史の旅 - 郵便馬車の話
坂井栄八郎、朝日選書
雑学大作戦 知泉 - 切手の豆知識
http://www.elrosa.com/tisen/70/70995.html
Thurn und Taxis - The history of an enteprizing family
http://www.eurohistory.com/thurn.html
中世民俗資料 - 急ぎの場合は肉屋に依頼?/中世の郵便事情
http://woodruff.press.ne.jp/illusion/materia/lib/materia_faq_1-36.html
Wikipedia - Thurn und Taxis
http://en.wikipedia.org/wiki/Thurn_und_Taxis
中世ヨーロッパの郵便事情とトゥルン ウント タクシス家
http://jambo.africa.kyoto-u.ac.jp/~mizuno/mizuno_taxis.html



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