オーストリア散策エピソードNo.051-100 > No.096
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意地で湖面に頭を出したグラウン村の塔
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旧グラウン村の教会塔
旧グラウン村の教会塔

イタリア北部・アルトアダージョ(ドイツ語名は南チロル)のグラウンというところには、湖面に教会の塔だけが頭を出した奇妙な風景があります。これ、観光客目当てにわざわざ作ったものじゃありませんよ。実は住民の根性の記念碑なんです。

南チロルは第一次世界大戦までオーストリア領でした。が、この戦争に敗れたオーストリア=ハンガリー帝国は1919年、サンジェルマン条約によって南チロルをイタリアに割譲します。で、これに住民が大落胆したのはいうまでもありません。なにしろチロルの人々はナポレオン戦争のとき最後まで対仏抵抗運動を続けた歴史をもつことから、「チロル人にあらずばオーストリア人にあらず」という誇りもっていましたから。

そういう折も折、1920年にイタリア政府はこの地の工業化を促すべく、水力発電所の建設を検討しました。で、当初はレッシェン湖とグラウン湖の水面を5m上げるだけの計画でしたが、1939年にはその湖面をなんと22mも上げることに変更。そんなに上がったら人口700人のグラウン村は丸ごと水没です。しかしその計画はイタリア語でわずか2週間公開されただけだったので、オーストリア系住民には寝耳に水。そしてこれがグラウンにいたオーストリア系住民の郷土愛に火をつけました。

ちなみに、下の絵は水没のずっと前にあたるハプスブルク時代のグラウン村です。今湖面に浮かんでいる塔のある教会も健在でしょ。この教会は14世紀中頃にできた歴史ある建造物です。住民が愛着をもっていたのも当然ですね。

水没前のグラウン村
水没のずっと前のグラウン村

さて、オーストリア系住民たちは農相や教皇まで巻き込んで村の水没反対運動を続けましたが、その努力が実を結ぶことはありませんでした。途中でイタリア政府が(たぶん財政的理由から)建設中断の方針を出したこともあったのですが、これはスイスの電力会社が3,000万フランの資金を提供したことで工事続行になってます。このスイス社は、自国で村撃沈ダム計画が頓挫したので電力の50%を分けてもらう条件と引き替えに出資してきたのだとか。また1943年にはナチスドイツが北イタリアを占領して工事中止の望みが出たものの、これまたドイツの敗戦でお流れになりました。まあ、ドイツが勝ったらもっとひどいことになっていたかも知れませんが。

こうして結局すべての工事は完了し、観念したグラウンのオーストリア系住民は1950年7月9日に旧グラウン教会で最後のミサを行いました。で、翌週の7月16日にはこの教会で最後の鐘が音が鳴り、7月18日にはその鐘を撤去。そして7月23日の日曜日に爆薬で教会を破壊するという手はずになっていました。しかし、ここでドンデン返しか起こります!建物のあちこちに100箇所も爆薬を仕込んだにも関わらず、崩れたのは聖堂本体だけで、塔のほうは全然倒れなかったのです。

これを見たグラウンの主任司祭アルフレート・リーパーは、「うひょひょ!神様は日曜日に教会をぶっ壊すなんてお許しにならなかったんだ。ザマー見ろ!」と大喜び。住民たちも「チロル魂ここにあり!」とさぞかし勇気付けられたことでしょう。それ以来この塔はイタリア政府に対する当てつけのようにして、ずっと湖面に頭だけ出したまま残されることとなりました。こうなるとほとんどギャグですね。

ところで、グラウン村の住民の意地の痕跡ははこの教会塔のほかにも残されています。来週はそのことをお話ししましょう。

●画像元: Die Lehrer und Schueler von  Graun = ドイツ語 ( http://www.graun.cc/ )



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