オーストリア散策エピソードNo.051-100 > No.088
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クロワッサンのインチキ伝説
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キプフェアル(クロワッサンの遠い祖先)

クロワッサンといえばフランス名物のパンですが、その起源はオーストリアという説があります。なかなか感動的な伝説ですよ。そのお話しは以下のとおりです。

1683年、オスマントルコによる大包囲でウィーンの町は危機一髪を迎えていました。その包囲が始まって3ヵ月目のこと、深夜に地下室で仕込み作業をしていたウィーンのパン職人(当時パンの生地をこねる仕事はなぜか地下室でやるのが普通だったんだそうです)が、地中深いところから響く変な音に気付きます。賢いパン職人はこれをさっそくウィーンの守備軍に報告しました。で、この音はウィーン市内に侵入すべくトルコ軍がせっせと地下トンネルを掘っていた音と判明。危ういところでウィーン側は敵軍の作戦を潰すことができました。

そのあと待ちに待ったポーランド王ヤン・ソビエスキーとロートリンゲン公カールの援軍が来てトルコ軍を撃退、ウィーンの町はついに解放されました。そしてトンネル掘削の発見という手柄を立てたパン屋は、トルコの象徴である三日月の形をしたパンの商売を許され、これがクロワッサンの誕生になったと言い伝えられています。しかもこのパンを食べることには、「三日月野郎を食っちまうぞ」という意味もあったのだとか。しかし、ホントなんでしょうかね、これ?

1683年といえば、コーヒーの伝来でインチキ話しのある年です。それに、クロワッサンの件ではトルコ軍のトンネル掘削に気付いた英雄的パン職人の名が全然出てきませんよ。おまけに、1686年のブダペストにもまったく同じ内容のインチキ臭い伝説があり、そちらのほうも肝心のパン職人の名は不明のままですよ。やっぱりウソ八百なんじゃないでしょうか?

そして何よりも怪しいのは、ドイツ語で三日月のことはMondsichel(モントズィッヒェル)というのに、そういう名のパンをオーストリアで見たことなんて一度もないことです。いちばんクロワッサンに近い形のパンといえば、このページの冒頭に写真が出ているキプフェアル(Kipferl)というのがあります。キプフェアルというのはオーストリア風のドイツ語で、「小さな角(牛や山羊の角)」を意味します。アルプスの国らしい名前ですけど、三日月には全然関係ありませんね。

そこでひとつ、キプフェアルの祖先にあたるパンはないかと調べてみました。すると、下記のURLのページで「今から1,000年も前の文献にスイスのザンクト・ガレンでヘルンヒェン(Hoernchen)というパンがあったと記録されている」とのことを発見しました。しかも、ヘルヒェンとううことばの意味は「小さな角」で、キプフェアルと同じですよ。

Kipferl (HOERNCHEN)の説明サイト(ドイツ語ですが、証拠として掲載)

どうやら事の真相は、元々存在していた動物の角の形のパンを三日月に見立て、ウィーン包囲の恨みを晴らすべく気合を入れて食べるようになっただけみたいですね。ご参考までに、独仏語の三日月をキーワードにして画像検索をしたときの結果を示しておきますのでご覧下さい。

Croissant (仏語で三日月) : パンと三日月の両方あり
Mondsichel (ドイツ語で三日月) : 三日月ばっかりです

そうそう、よく考えてみたら、ドイツ語でトルコの三日月を指すときはHalbmond(半月)という単語を使います。で、この単語でも検索をしてみましたが、やっぱりパンの画像は出てきませんでした。

Halbmond (ドイツ語で半月) : 半月とトルコの国旗あり。パンはなし。

ところで、ウィーンのキプフェアルがフランスに伝わったのは1770年で、マリー・アントワネットがブルボン家に嫁いだとき自国のパン職人を連れていったためといわれています。で、当初のクロワッサンは今のフランスパンみたいな生地(つまりウィーンのキプフェアルと大差なし)で、ヴィエネズリー(ウィーン風)と呼ばれていたようです。

今のバターたっぷりのクロワッサンが誕生したのは、1920年のことでした。こちらのほうは正式な証拠があがってますから本当です。さすがに平民が大ビンボーだったフランス革命前後の時代じゃ、今日のように贅沢なクロワッサンはムリだったのでしょう。そして、形以外の点でキプフェアルと全然違う姿になった新生クロワッサンは、フランス名のままウィーンに逆輸入されました。やっぱりクロワッサンはウィーン生まれじゃなく、フランス生まれと言ってあげたほうがよさそうですね。

ちなみに、その昔フランス好きの友人がパリでクロワッサンを食べたら「劇的においしい」と感涙していました。一方、私がウィーンで食べたクロワッサンはあまり年季が入っていませんでした。その代わり、オーストリアで食べるキプフェアルはとてもおいしいですよ。やっぱり故国固有のパンのほうが、職人さんたちも気合を入れて作る気になれるんでしょうか?


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